2011年3月29日6時31分
福島第一原発の事故に伴い、原発から5キロの所にある施設から逃れた重度の知的障害のある子どもや大人200人余りが、避難先を転々としている。いま3カ所目。付き添う職員やボランティア約50人とともに、小さな建物で限界の生活を続けている。
福島県富岡町の「東洋学園」は通所と入所の施設を持つ社会福祉法人。第一原発と第二原発の間にあり、県内各地から、知的障害のある子どもと大人を受け入れている。
地震発生翌日の12日、入所の児童・生徒と20〜50代の大人計250人がバスで避難し、同県川内村にある同法人の施設に入った。その日のうちに政府の避難指示の範囲が広がったため、夜中に再び移動。避難所になっていた同村の小学校の体育館に着き、他の避難住民に交じって一晩を過ごした。
だが、突然の環境の変化に大きな声を出したり、落ち着きを失ったりする子どもが相次いだ。「一般の人と一緒の避難所は無理」(猪狩学・児童部長)と考え、13日には学園が所有する同県田村市の通所施設に移った。
戸建てで周囲に空き地があるため他の人に気遣う必要はなくなった。市も食料や日用品などを提供してくれた。ただ、問題は施設の広さ。もとは40人定員の施設のため、20畳ほどの2部屋と小体育館に全員がひしめき、昼も夜も身動きがとれない状態だ。
ストレス発散のため、職員が時々外に散歩に連れ出してはいるが、これまでのような畑作業や粘土いじりもなく、部屋で寝ころんだり座ったりして一日中過ごしている。
職員やボランティアの中には津波で家が流されたり身内が行方不明になったりした人もいるが、入所者の生活を維持するため、洗濯や掃除、物資の調達や薬集めに奮闘している。ただ、みな疲れ果てており、「もう限界。あと1カ月も持たない」と猪狩児童部長。学齢期の児童・生徒は4月から養護学校に通わせなくてはならず、職員らは移転先を求めて情報収集を急いでいる。(斎藤智子)