中国高速鉄道事故と福島原発事故は同質同根だ(1)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その26)

ちょうど1年前の2010年8月2日のことだ。私は友人のジャーナリストと一緒に北京からピョンヤン行きの国際列車の車中にいた。詳しいことは1年前の日記、「近くて遠い国、北朝鮮への訪問」シリーズを見てほしいが、当時すでに在来線と並行して北京から天津まで走る高速鉄道が2008年8月から営業運転を始めており、天津以遠の路線は鋭意建設中だった。物凄い勢いで路線が延長されていく高速鉄道建設の現場を目の当たりにして、その規模の大きさと超高度成長ぶりに目を見張ったものだ。

あれから1年、中国最長の北京―福州間の高速鉄道が開通してから1か月も経たない2011年7月23日、温州郊外で信じられないような追突事故が発生した。事故の詳細はまだ究明されていないが、事故現場の映像は日本でも繰り返し報道されたこともあって、その衝撃的なニュースは一瞬の間に国内を駆け巡った。

国鉄道省の人命を無視した現場対応、原因究明を放置した拙速な運行再開、事故調査についての厳しい報道規制など、中国政府・共産党の事故対応は国内外の大きな批判を呼んでいる。とりわけ隣国である日本での反響は大きく、開業以来死亡事故ゼロの新幹線と比較して、「危険な中国」「安全な日本」のイメージが一挙に広がった。

だが、私は中国高速鉄道事故と福島原発事故のあまりにも似通った性格に気付かずにはいられない。一言でいえば、それは「巨大な“利益共同体”は必然的に大事故・大災害を惹き起こす」というものだ。「独立王国」として名高い中国鉄道省(鉄道利益共同体)は、安全を軽視(無視)して大規模かつ急速な高速鉄道建設と運行を強行し、今回の大衝突事故を引き起こした。「原子力ムラ」といわれる日本の政財官学メディアの連合体(原発利益共同体)は、原発安全神話を振りまいて事故対策を怠り、福島原発事故・大災害を招いた。

両国の共通点を取り出してみると、以下のような特徴を列挙できる。第1は、国家の基本的性格が「開発主義国家」だということだ。開発主義国家とは、国家が主導して各種資源を企業設備投資や国土インフラ整備に集中し、高い経済成長を実現して強大な国家・国力をつくりあげる国家機構・システムのことである。発展途上国が離陸し、先進国へ急成長していく場合に採られる国家戦略で、政治的には「開発独裁国家」として現われることが多い。

中国は「社会主義国家」と名乗ってはいるものの、実態は「開発独裁国家」だと言ってもおかしくない存在だ。とりわけ訒小平以来の開発主義の促進によって、国家の開発権限と財源を掌握する共産党と官僚の支配力が一段と大きくなった。鉄道省はその象徴とも言うべき存在で、国土インフラの中核である鉄道の建設・運行を一手に掌握することによって、政府部内においても文字通り「独立王国」をつくりあげた。

「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」という言葉があるが、開発独裁国家もその例に漏れない。「開発独裁」は「開発利権」に直結し、必然的に官僚・企業の腐敗と汚職を生みだす。開発規模が大きくなり、開発権限が大きければ大きいほど、開発利権(腐敗と汚職)も大きくなる。中国鉄道省のここ数年の年間投資額は、国費投入と銀行借り入れ・債券発行なども含めて7兆〜9兆円規模に急拡大し、2011年度末の負債額は24兆円、資産に占める比率は58%に達していた。

一方、日本が「土建国家」「企業国家」と称されるほど、企業の設備投資や国土の公共投資に国家財政を投入してきたことはあまりにも有名だ。通常、発展途上国は成長するに従ってハードな公共投資額(土木建設費、固定資本形成)の割合が減少し、医療福祉や教育文化、環境保全などソフトな分野に重点が移っていくものだが、日本は世界の経済大国になってからもGDP(国内総生産)に占める公共投資額はいっこうに減らなかった。欧米先進国は2〜3%が普通だが、日本は常に5〜6%の倍近い水準を維持してきた。それが自民党長期政権の政治経済基盤となった。

中国が「共産党一党支配」であるのと同じく、戦後日本は基本的に「自民党一党支配」だった。「開発独裁国家」は安定した長期政権の方が好都合である以上、発展途上国では「個人独裁」になるか、「一党支配」になるかのどちらかだ。しかし、先進国日本で自民党一党支配が続いたのは、豊富な国家財政力によって各分野に政財官学メディア一体の利益共同体が形成され、それらが連合して巧みに国民を支配してきたからだ。

業界団体、官僚、族議員、御用学者、マスメディアは、各種利益共同体の不可欠のアクターであり、強力なプレイヤーだった。電力業界を中心とする「原発利益共同体」は、そのなかでも最も結束力の固い、最も影響力のある利益共同体だろう。だからこそ、原爆の洗礼を受けた日本で「原子力の平和利用」を旗印にして、また世界の中の屈指の地震国で、「安全神話」を土台にして54基もの原発を集中建設することができた。これは「世界の七不思議」といってもおかしくない。

だが、自民党の一党支配は、土建国家への隷属と世襲議員の劣化そして業界団体の高齢化・弱体化によって命運が尽きた。自民党が「泥船化」しつつあるのを見て、若い船乗りたちは民主党へ乗り換えた。でも行く先は変わらず、漕ぎ手も変わらなかった。財界はグローバル化一色となり、アメリカ滞在が長いだけの経営者が財界首脳になり、国民経済を顧みなくなった。利益共同体の甘い汁を吸った御用学者やマスメディアは批判力を失い、次の時代を切り開く構想力を持てなくなった。福島原発事故が発生したのは、こんな歴史的転換点だったのである。(つづく、東日本大震災の復興計画に関する調査で、1週間ほど日記は休みます)。