あけましておめでとうございます。今日は新年からちょっとウェットな内容というか、「私はなぜ研究者を辞めなかったのか」について書き留めておきたいと思いました。いや「誰得」な話なんですけれども。
端的にいうと「辞める勇気がなかった」
自分のここまでのキャリアをざっくり振り返ると、修士のときに同年代の同業者のトップ集団の水準から出遅れて、博士課程でもその差は埋まらずに、ポスドク時代にさらに引き離された、という冷たい感覚の中で研究を続けてきました*1。
なので、博士課程の末期からポスドク時代は常に「私は本来ならば研究者を辞めるべきだ」という思いをずっと抱えながら生きていました。研究者として生き残るための「勝ち目」がまったく見えない状態でずっと研究を続けてきたわけです。
それでもなぜ私は研究者を辞めなかったかというと、端的にいうと「辞める勇気がなかった」からです。
研究者を辞めることは怖い
研究者を辞めるというのは怖いことです。
研究者にとって研究とは「メシの種」であると同時に「生きる意味」でもあります。研究者を辞めるというのは、そのどちらをもいちどきに失うことを意味します。とても怖いことです。
私には研究者を辞めるという勇気がどうしてもありませんでした。
美談には決して回収され得ないもの
つまるところ、なぜ私が研究者を続けられてきたかというと、辞める勇気がなかったからです。
なんとも情けないですよね。「夢を諦めなかった」といえば格好がつくかもしれませんが、それは事実とは異なります。「私は本来ならば研究者を辞めるべきだ」とずっと思いながら、単に辞める勇気がなかったのです。
いくじなしだったのです。
ここには「美談には決して回収され得ないもの」があります。なかなかこういう話をわざわざする人も居ないので、書き留めておくことにしました*2。