聖武天皇の命日、1日間違えた 宮内庁
東大寺(奈良市)の大仏を造営した聖武天皇(701~756年)と、鎌倉時代の後嵯峨天皇(1220~1272年)の命日を1日ずつ間違えていました――。こんな調査結果を宮内庁が26日までにまとめ、「書陵部紀要」に掲載した。
明治政府が1873年に従来の太陰太陽暦を太陽暦(グレゴリオ暦)に切り替えた「明治の改暦」で、命日の新暦換算を誤ったのが原因。約140年間、命日を間違えたまま祭祀(さいし)を行い、庁内資料にも記載していた。対外的に影響はなく、今春から正しい日に直した。
福尾正彦陵墓調査官によると、聖武天皇の業績を調べるうち、命日の「天平勝宝8年5月2日」は太陽暦で「756年6月8日」に当たるのに、同庁の資料には1日早い「756年6月7日」と間違って記載しているのに気付いた。歴代天皇の命日を再計算したところ、後嵯峨天皇の「文永9年2月17日」も、1日遅い「1272年3月25日」となっていた。
換算過程を示す記録はなかったが、1880年に内務省が発行した旧暦と新暦の対照表「三正綜覧」で計算したところ、やはり1日ずつずれた。「三正綜覧には天平勝宝8年4月が小の月(29日)、同年5月は大の月(30日)とあるが、実際は逆で、聖武天皇の命日が1日ずれる。三正綜覧の基になった改暦当時の対照表に間違いがあり、そのまま引き継がれたのだろう。新暦と旧暦の換算は難解で、むしろ計算機がない時代に2つしか誤りがないことに驚いた」と福尾調査官。
毎年、観光客でにぎわう東大寺の命日法要「聖武天皇祭」は毎年5月2日に行われている。〔共同〕