原因は

12/21付産経新聞より、

乳児治療で大やけど、指3本失う 医療ミスか 神奈川県警が関係者聴取

 神奈川県二宮町で今年5月、自宅分(ぶん)娩(べん)で生まれた男の乳児が直後に低体温と呼吸障害に陥り、搬送先の病院で治療を受けた際に両足などにやけどを負い、足の指3本を失っていたことが20日、乳児の両親への取材で分かった。神奈川県警は業務上過失傷害容疑も視野に入れながら、事実把握のため医療機関の関係者から事情を聴いている。

 父親(34)によると、乳児の母親(40)は当初、自宅近くの助産院で出産を計画。経過は順調だったものの、5月27日夕から不規則な陣痛が始まった。助産院を受診した母親は「まだ大丈夫」などといわれ、いったん帰宅。ところが、同日深夜から再び、陣痛が強くなり、呼んだ助産師が自宅に到着した後の28日午前8時12分に出産した。

 乳児は呼吸状態などが悪く、約1時間半後に助産師の判断で近くの診療所に運ばれた。しかし、診療所では対応しきれず、秦野赤十字病院(神奈川県秦野市)に搬送。呼吸不全や低体温症などと診断され、NICU(新生児集中治療室)で応急措置を受けた後、28日午後1時50分ごろに人工呼吸管理設備の整った市立病院に救急搬送された。

 だが、市立病院で乳児の右足などにやけどがあることが判明し、熱傷病棟がある大学病院に転送された。重度のやけどと診断され、6月に右足の小指と薬指、左足の小指を切断した。

 父親は秦野赤十字病院に処置の内容ややけどの経緯について説明を要請。病院側は乳児の体を温めるため、保育器に入れ、ドライヤーで暖めたなどと説明したという。ただ、やけどの原因については「原因は不明。救命を最優先した処置に問題はなかった」などとしているという。

 乳児の父親は8月、県警秦野署に被害を訴え、県警は関係者の聴取に乗り出している。

 取材に対し、秦野赤十字病院は「複数の病院にまたがる事案。(やけどが)あったかどうかも含め、調査中」とコメント。一方、乳児の父親は、「診療所などでは治療経過をみていた。他の病院でやけどしたとは考えられない」と話している。

 乳児の父親は「詳細な説明をしない病院の不誠実な対応には憤りを覚える」などと訴えている。

可能な限り冷静に事実を抜き出して行きたいと思うのですが、乳児の両親は、

    父親(34)によると、乳児の母親(40)
母親が高齢出産であるのは確認できますが、経産婦であるのか、初産婦であるのかは不明です。後は時間関係を表にして見ます。

日付 時刻 事柄
5/27 不規則な陣痛があり助産所受診。「まだ大丈夫」と言われ帰宅。
深夜 陣痛が強くなり助産師に連絡
5/28 8:12 助産師立会いの下に出産
9:45頃 乳児の呼吸状態が悪く、助産師の判断で診療所に搬送
時刻不明 診療所では対応しきれず、秦野日赤に搬送。呼吸不全、低体温症の診断
13:50 秦野日赤から市立病院に転送
日付不明 時刻不明 熱傷が発見され、大学病院に転送
6月 右足の小指と薬指、左足の小指を切断


幾つか判り難い点があるのですが、新生児の呼吸不全の程度がどれ程であったのだろうです。少なくとも出生直後から重度であった可能性は低そうです。助産師が診療所への搬送を決断したのは
    乳児は呼吸状態などが悪く、約1時間半後に助産師の判断で近くの診療所に運ばれた
ここは1時間半後に搬送の必要を判断したのではなく、診療所(提携医療機関だったのかな)に到着したのが1時間半後であったとするのが妥当です。自宅から診療所までの搬送時間は不明ですが、助産師が搬送必要の判断を行ない、そこから診療所に連絡し、了解を得て搬送する手順が必要ですから、おそらく出生後1時間を過ぎたぐらいに判断を行なったと考えられます。

出生から診療所に到着するまで(もしくは救急車を利用したのならその時点まで)は、酸素投与は行われていませんから、その程度の呼吸不全であったかもしれません。ただなんですが、診療所到着時にはかなり悪化していたと考えられ、直ちに秦野日赤に転送されています。診療所の判断として、酸素投与ではとても対応できるレベルの呼吸不全でなかったと考えるのが妥当でしょう。

ここでやや判り難いのが秦野日赤の対応です。診療所到着から市立病院転送までがおおよそ4時間です。推測ですが、秦野日赤に患児がいた時間は3時間ほどではないかと考えられます。行われた治療は呼吸不全と低体温症に対してのものであるのは記事にありますが、

    NICU(新生児集中治療室)で応急措置を受けた後、28日午後1時50分ごろに人工呼吸管理設備の整った市立病院に救急搬送
普通に考えればNICUで「応急措置」とは妙な表現です。言ったら悪いですがNICUは応急処置を行うところではなく、治療の終着駅になるところです。そこで秦野日赤の小児科ページを確認してみたのですが、どうやら常勤医は3人のようで、NICUについては、

入院では、小児混合病棟(感染症用陰圧室4床を含む一般小児病床12床、準NICU2床)で、他科と協力した治療を行っています。

なるほど!秦野日赤のNICUは準NICU、つまり本当のNICUではなく、酸素投与とか比較的軽症の呼吸器管理程度が行える規模と考えればよいようです。そういう小児科は確かにありますし、私も経験した事があります。そうなると「応急措置」の言葉の解釈も微妙に変わります。診療所からの搬送を受けた時点で、「うちでは無理」の判断が下された可能性も出てきます。

無理なのが呼吸不全の程度なのか、低体温症の重症度なのか、それとも両方なのかはわかりませんが、搬送を受けてから早期の時点で市立病院に転送要請を行ったんじゃないでしょうか。これがすぐの転送にならなかったのは、市立病院のNICUの空き待ちか、患児が搬送できる程度に持ち直すまでの治療が必要であったぐらいが推測されます。


さて問題の低体温症ですが、いつ起こったかです。確認されたのは秦野日赤ですが、起こったのは秦野日赤より前と考えるのが妥当です。秦野日赤の前の診療所は記事の印象として素早い判断で秦野日赤への転送を判断したように考えられますし、診療所であってもクベースぐらいあるでしょうし、診療所から秦野日赤への転送も湯たんぽ式であっても搬送用クベースが使われたと考えます。

そうなると診療所以前の自宅分娩時に既に起こっていたと考えるのが妥当です。出生から診療所到着まで約1時間半となっていますし、自宅分娩では医療機関に較べて有効な保温手段において劣ると考えるのが妥当です。ここで気になるのは、出生時の患児の状態はどうであったのだろうかです。出生から1時間半経過して診療所に到着していますから、出生時は見た目上安定していたのでしょうか。

残念ながら情報としては、

    乳児は呼吸状態などが悪く
これしか書かれていません。これはあくまでも個人的な印象ですが、後の経過を考えると患児の呼吸不全は重い目のTTNぐらいだったんじゃないかと推測しています。MASも否定できませんが、医療機関ではそういう時にクベースに収容して酸素投与しながら経過を見ます。後は医療機関の能力次第で、呼吸管理まで出来るところなら自前で治療しますが、そうでないところは症状をどこか見切って高次医療機関へ転送します。

ただTTNにしろMASにしろ出生早期から呼吸不全症状は出現します。TTNやMAS以外の可能性もありますが、出生後に呼吸状態がある程度「徐々」に悪化したのであれば、低体温症が呼吸悪化を増悪させた可能性もあると思われます。助産師は分娩の後、褥婦の産後ケアが必要なはずですが、なにぶん1人ですから、患児への目配りが十分でなかった可能性はあるんじゃないでしょうか。

これは助産師だからと言うよりも、1人だからの要素が大きいと思います。どんなに能力があろうとも手は2本しかなく、二人同時に並行しての治療は限度があると言う事です。家族とてbabyが元気であればともかく、状態が悪くなれば処置に悩むと考えます。さらに条件として良くないのは、急遽の自宅分娩ですから、助産師にしても、家族にしても準備が十分でなかった可能性も考えます。

ちょっと強引な推理ですが、患児は出生時に軽度のTTNがあったが低体温症によりこれが増悪したか、それとも低体温症だけで呼吸不全が発生し増悪した可能性も考えられます。自宅から診療所まで1時間半ですから、考えるとしたらその辺りになります。


さて熱傷なんですが、これがどの程度範囲で起こっていたかは結果しか分かりません。

  • 熱傷病棟がある大学病院に転送
  • 右足の小指と薬指、左足の小指を切断

市立病院段階の情報としては辛うじて、
    右足などにやけどがあることが判明
なんと言っても情報が限定されていますから、これだけで考えないといけませんが、どうやら足中心に熱傷があったようです。経過的にはどうしても秦野日赤が疑われるのはある程度やむを得ないのですが、他の部位の熱傷の拡がりと程度はどうだったのだろうの疑問は生じます。低体温症の治療と言っても、そんな特殊な事を行うわけではなく、要は温めるです。

もう少し具体的に秦野日赤が行った温め方が記事になっています。

    病院側は乳児の体を温めるため、保育器に入れ、ドライヤーで暖めたなどと説明したという
これは父親が病院側からそう聞いたとなっていますが、ここは思いっきり「???」です。保育器(クベース)はともかく、「ドライヤー」ってなんじゃらホイです。babyの低体温症の治療は「要は温める」としましたが、私の知る限りクベースに放り込むです。クベースに入れた上で、通常よりやや高めに温度を設定してbabyの体温上昇を待つのがすべてじゃなかったでしょうか。

あえて「ドライヤー」を考えると、入院時の処置でインファント・ウォーマを使った可能性があり、あれの上方からの熱源を「ドライヤーのようなもの」と表現した可能性はありますが、普通はそう表現しない様な気がします。あえてドライヤーとなると・・・これは聞いただけで見た事もありませんが、溺水患者の加温に使われる事はあるとされます。

秦野日赤の小児科はひょっとして、そういう経験があり、babyの低体温症に適用したのでしょうか。つうかそこまで必要なぐらいの緊急事態が生じていたのでしょうか。それでも素直にクベースに収容した方が効果的とも思うのですが、どうにもドライヤーが本当なら、どういう事態になっていたか想像するのが難しい感じです。

可能性として転送時にクベースを温めるのが間に合ってなかったもありえますが、それならインファント・ウォーマで十分なはずです。インファント・ウォーマにドライヤーを併用でもしていたのでしょうか。もう一つ言えば、治療流儀は大学系列や病院で微妙に違うので、秦野日赤ではドライヤーがデフォなのかもしれません。色々書きましたが、一番基本の父親の勘違い、もしくは記者の勘違いも考慮に入れておく必要はあります。

私が考える範囲ではドライヤーを用いたとしても短時間と思われます。どう考えてもクベースに収容した上でドライヤーの併用が延々と行われたとは思えないからです。それでもってクベースの加温で熱傷を起こす可能性はどうでしょうか。これもあんまり聞いたことがありませんが、非常に低い様な気がします。温度設定によっては無いとは言いきれないかもしれませんが、普通は起こるようなものではないと考えます。

それとクベースで起こったのなら全身に及ぶ低温熱傷になるはずです。ですから熱傷の範囲の情報が欲しかったのですが、辛うじて判るのは「どうやら」下肢が中心である事です。ここは仮定ですが、下肢中心の熱傷があったとすれば、どこで下肢だけ熱傷が発生したかを考える必要があります。だからドライヤーにも話がつながらない事もないのですが、ドライヤーであっても下肢だけ温めるとは思いにくいところがあります。


ここから先はさらに推測に推測を重ねる事になりますが、秦野日赤以外で熱傷が起こった可能性はどうかです。ツイッター上では、低体温による凍傷の可能性も出ていましたが、5月末の神奈川でそこまでの寒さにさらされるかの問題はあります。凍瘡ぐらいはありえても凍傷まで進行するかの疑問があります。もっともbabyの低体温症でありえないかと言われれば、これは知見がありません。

もう一つ疑問なのは、熱傷についてどうも秦野日赤では気が付いてなかった様子があります。クベースでの加温は通常オムツだけで行われますから、そこまでの熱傷があれば気がつきそうなものです。それが気付かずに市立病院に転送され、市立病院でわかったになっています。秦野日赤では呼吸状態と体温に注意が払われ、熱傷に気が付かなかったの説明も不可能ではありませんが、ちょっと腑に落ちないところではあります。

これはあくまでも可能性ですが、秦野日赤から市立病院に転送中に熱傷が生じた可能性はないでしょうか。これも可能性としてかなり低いのですが、秦野日赤から市立病院への転送には搬送用クベースが用いられたと考えるのが妥当ですが、これに何らかのトラブルが発生したと言う見方です。

搬送時にはアンビュで呼吸補助を行いながら市立病院に向ったと考えられますが、患児の観察はどうしても不十分になります。救急車で搬送されたと考えて良いのですが、あれは急発進・急停車を繰り返す上に、かなり揺れますので、同伴の医師も十分な観察が行えないとしても良いと思います。もし何らかの原因で搬送用クベースが異常高温になり熱傷を起していても気がつきにくい状態とは言えます。

もし搬送用クベースのトラブルなら、秦野日赤ではまったく気が付かず、市立病院で気が付いても不思議ではありません。通常NICUへの搬送入院では、NICUの入口で搬送用クベースごと受け取り、NICUの中でbabyを取り出して処置にあたります。だから秦野日赤にすれば患児が熱傷を負っているとは最後まで気が付かなかったというストーリーです。


まあ、最後の仮説もあくまでも仮説です。そのうえかなり無理のある仮説でもあります。言えるのは真相がどうなっているのか、非常に推測し難い事件です。不幸な事故にあわれた患児が、これに挫けず頑張って生きていって欲しいと願うばかりです。