2019年に向けた注目のビジネスキーワードとして急浮上している「MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)」。自動車メーカーや公共交通を巻き込む「100年に一度」のモビリティ革命は、どのような産業インパクトをもたらすのか。このほど上梓された書籍、『MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ』の著者の一人である、日本総合研究所創発戦略センターの井上岳一シニアマネジャーによる解説を3回に分けてお届けする。

18年10月、トヨタ自動車とソフトバンクの共同会社の設立会見での一幕
18年10月、トヨタ自動車とソフトバンクの共同会社の設立会見での一幕

 MaaSと書いて、「マース」と読む。Mobility as a Service、すなわち「サービスとしてのモビリティ」を意味する言葉である。このMaaSが今、世界の自動車業界、交通サービス業界を席巻し始めている。

 18年10月4日、大きな驚きをもって迎えられたトヨタ自動車とソフトバンクの提携・共同会社設立の発表においても、MaaSという言葉が使われていた。Mobility側のトヨタとNetwork側のソフトバンクから取って、MONET Technologies(モネ テクノロジーズ)と名付けられた共同会社は、「需要と供給を最適化し、移動における社会課題の解決や新たな価値創造を可能にする未来のMaaS事業」を行うという。2020年代には、トヨタのMaaS専用次世代車両である「e-Palette(イーパレット)」によるAutono-MaaS事業も展開していく方針だ。Autono-MaaSはトヨタの造語で、「自動運転(Autonomous)によるMaaS」を意味する。

モネ テクノロジーズによるAutono-MaaS事業では、移動中に料理を作って宅配するサービスや診察を行う病院送迎サービス、移動型オフィスなどのモビリティサービスが想定されている
モネ テクノロジーズによるAutono-MaaS事業では、移動中に料理を作って宅配するサービスや診察を行う病院送迎サービス、移動型オフィスなどのモビリティサービスが想定されている

 トヨタはMaaSを実践するために、真逆の体質の企業に見えるソフトバンクと提携する道を選んだと言える。この1年間、豊田章男社長は、「100年に一度の大変革の時代」と言い続け、今年1月には自動車メーカーであることを超えて、「モビリティ・カンパニー」に自己変革することを宣言した。世界有数の自動車メーカーに、このような大決断を迫るような事態が今、世界では進行している。そのモビリティ革命の中心にあるのがMaaSである。MaaSが迫る本質的なパラダイムシフトの正体とは何か。

MaaSという考え方が生まれた背景とは?

 まずMaaSを正しく定義付けることから始めよう。MaaSとは、マイカーという魅力的な移動手段と同等か、それ以上に魅力的なモビリティサービスを提供し、持続可能な社会を構築していこうという全く新しい価値観やライフスタイルを創出していく概念のことだ。鉄道、バス、タクシー、レンタカーといった従来の交通サービスや、カーシェアリング、自転車シェアリング、配車サービスなどの新しい交通サービスをすべて統合し、1つのスマートフォンのアプリを通じてルート検索、予約、決済機能にオンデマンドでアクセスできるようにする。MaaSアプリの利用者は、移動のニーズに応じて最適な交通サービスの組み合わせを選択し、ドア・ツー・ドアでシームレスに、かつリーズナブルに移動できるようになる。

MaaSのイメージ。従来、各モビリティサービスに個別にアクセスしていたものが、MaaSアプリで一括して予約、決済できるようになる。『MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ』より
MaaSのイメージ。従来、各モビリティサービスに個別にアクセスしていたものが、MaaSアプリで一括して予約、決済できるようになる。『MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ』より

『MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ』

 もともと「サービスとしてのモビリティ(MaaS)」という考え方は、マイカーに対する概念だ。マイカーは時間と場所を選ばず、プライベートな空間でどこにでも移動できる良さがある半面、交通渋滞や事故を引き起こし、乗っていない時間は駐車場に置き去りで、貴重な土地をムダに占有するという厄介な面も持っている。大人数を運ぶのには向いていないし、環境負荷も高い。旅客における単位輸送量当たりのCO2排出量は鉄道の7倍、バスの2倍以上である(国土交通省の試算)。人口密度の高い都市の交通の手段として見たときに、マイカーは圧倒的に分が悪い。

 だから欧州やカナダ、米国の一部の都市では、モータリゼーションが急激に進んだ70年代から、マイカーをやめて鉄道などの公共交通に回帰しようという動きが生まれた。中心市街地からマイカーを締め出し、廃止していた路面電車を現代的なLRT(低床型トラム)として復活させ、バスや鉄道とネットワークすることで使い勝手を高め、人と環境に優しい交通網を作り上げる都市が出てきたのである。

 それらの都市では、中心市街地に人が戻り、街がにぎわいを取り戻した。そこで90年代になるとLRTを中心とするまちづくりが世界的に注目され、公共交通への回帰が喧伝されるようになったが、まちづくりと交通政策を一体的に推し進めることのできる強力なリーダーシップを持つ自治体以外、進めることができなかった。だから、20世紀の間は、大多数の都市ではマイカー依存から抜け出すことはできなかったのである。

 しかし、21世紀になって状況が変わった。インターネットとモバイル機器の普及により、まず、カーシェアリングや自転車シェアリングのような新しいモビリティサービスが登場した。スマホの普及後は、アプリを使ってオンデマンドでクルマを呼べる配車サービスが登場した。とりわけライドシェアと呼ばれるマイカーを使った配車サービスは、いつでも好きなときに呼べて、ドア・ツー・ドアで好きなところに行ける。タクシーよりずっとリーズナブルで、アプリ上で決済もできてしまうという便利さから、世界中で瞬く間に広がった。

MaaSは、マイカー利用を半減させる

 これら新しい交通サービスの登場により交通手段は一気に多様化した。そこで2010年代になると、多様な交通手段を使いこなすためのスマホアプリが登場し、最適な経路や交通手段を案内するだけでなく、アプリ上で予約や決済もできるようになった。

フィンランドのMaaSグローバルが展開するMaaSアプリ「Whim(ウィム)」
フィンランドのMaaSグローバルが展開するMaaSアプリ「Whim(ウィム)」

最新のCEOインタビューはこちら「交通も月額制へ 『MaaS生みの親』が明かす世界の新潮流」

 これを定額乗り放題のようなパッケージプランとして提供すればいいというアイデアがフィンランドで生まれ、MaaSというコンセプトにまとめあげられたのが14年のことである。その翌年には、生みの親となったフィンランド人がMaaSを事業化するためのベンチャーMaaSフィンランド(16年にMaaSグローバルに改称)を立ち上げ、16年にはヘルシンキでMaaSアプリの「Whim(ウィム)」(気まぐれの意)をリリースして、実際にサービスを開始した。

 Whimには色々な料金プランがあるが、最上位のプランでは月額499ユーロ(約6万4000円、1ユーロ=128円換算)で、1回5km以内までのタクシーも含めて、市内の交通手段が乗り放題になる。499ユーロを高いと思うか安いと思うかはそれぞれだろうが、マイカーを保有すればローンと維持費で最低でも月額4万~5万円にはなるから、公共交通の乗り放題が付いて6万円強なら決して高くはない。マイカーは便利なようで、目的地で駐車場を探すなど何かと手間がかかるが、Whimならばそんなストレスからは解放される。それこそ、その日の気分と場所に応じて気まぐれに移動手段を選べる自由は、マイカーにはないものだ。

Whimユーザーの移動手段の変化。出典:MaaS Global(自転車と徒歩での移動は除く)
Whimユーザーの移動手段の変化。出典:MaaS Global(自転車と徒歩での移動は除く)

 MaaSグローバルの資料によると、サービス開始後、Whimユーザーのマイカー利用率は半減している(40%→20%)。Whimの登録者は18年10月現在で6万人だから、マイカー利用が40%(2万4000台)だったものが半減すると、単純計算すれば実に1万2000台のマイカーが路上から“消えた”ことになる。一方、導入前は50%に満たなかった公共交通の利用率が74%に増加しており、タクシーとレンタカーの利用も増えている。

 それが、ヘルシンキの経済や社会にどれだけのインパクトをもたらしているのかまでは分からない。しかし、マイカーが減れば、その分、渋滞や事故は減るだろうし、大気汚染やCO2排出量も減る。クルマに占拠されていた道路は人のための空間になり、子供は路地で遊べるようになるだろう。マイカーが減ることは都市にとっても人にとっても、メリットこそあれデメリットは少ない。

MaaSが実現した世の中はどうなる?

 それでは、MaaSによって自動車産業や公共交通に訪れる「破壊と創造」はどんなものか。まず、公共交通事業者は、マイカーに奪われていた客を取り戻すチャンスだ。欧州では、既にスイス鉄道やドイツ鉄道がMaaSの展開を始めている。公共交通は「サービスとしてのモビリティ」の元祖といえるが、MaaSは公共交通事業者にとってはサービス領域を広げるチャンスと捉えられている。国内でいち早くMaaSへの参戦を表明しているのも、東日本旅客鉄道(JR東日本)や小田急電鉄、東京急行電鉄などの鉄道事業者だ。

 一方、自動車業界でMaaSにいち早く参戦したのはダイムラーだ。ダイムラーは鉄道以外のあらゆる交通サービスを傘下に収め、それを「moovel(ムーベル)」というアプリでワンストップに提供している。ドイツ鉄道とダイムラーは、ドイツ国内でMaaSの主導権争いを巡って、しのぎを削っているように見える。

 マイカー利用を半減させるMaaSは、自動車業界にとっては“敵”に見えるかもしれないが、ダイムラーのように積極的にサービス領域を取りにいくことで、新たなチャンスが開ける。MaaSは、確かにマイカーの販売台数は減らすかもしれない。だが、その分、配車サービスなどに使用するサービスカーの需要は増えるし、1台当たりの稼働率も高める。それは整備需要の増加を意味するのだ。

 また、OTA(Over the Air)による車載システムのバージョンアップやIoTを生かしたクルマの状態監視が広がっていくことで、クルマはネットワーク端末化する。スマホがさまざまなサービスの土台となったように、移動空間であるクルマはスマホ以上に多様なサービスを生み出す“ふ化装置”となる可能性がある。生活者とのリアルな接点を持つ自動車ディーラー網との強いつながりを生かしながら、移動以外のサービス提供を含めてどれだけ自社の付加価値として取り込めるかが、自動車産業がMaaS時代を生き残れるかどうかのカギとなるだろう。

 公共交通との連携も重要になる。米フォードは公共交通の運営受託を開始しており、トヨタは西日本鉄道などと複数の移動手段を組み合わせたルート検索・予約・決済ができるMaaSアプリ「my route(マイルート)」の実証実験を11月から福岡市で始めている。

トヨタと西鉄が手掛けるmy routeは、鉄道や地下鉄、バス、自動車、レンタカー、タクシー(Japan Taxi)、自転車シェア(メルチャリ)、駐車場予約(akkipa)を1つのスマホアプリに統合したマルチモーダルな移動支援サービス
トヨタと西鉄が手掛けるmy routeは、鉄道や地下鉄、バス、自動車、レンタカー、タクシー(Japan Taxi)、自転車シェア(メルチャリ)、駐車場予約(akkipa)を1つのスマホアプリに統合したマルチモーダルな移動支援サービス

 MaaSが巻き起こすビジネスインパクトは自動車・交通業界にとどまらない。小売業や観光業のように人の動きが決定的に重要な産業もあるし、不動産業のように交通の利便性が大きく影響する業界もある。位置情報ゲームの「ポケモンGO」を思い浮かべれば、ゲーム業界も決して無縁ではないことが理解されよう。人とモノの動きに関係がないというビジネスを探すほうが難しい。モビリティ革命はあくまで「手段」であり、その先にある“果実”は世界がこれから模索し、手にするものだ(連載「Beyond MaaS モビリティ革命の先にある変化」)。

 半導体大手の米インテルと調査会社の米ストラテジー・アナリティクスは17年、自動運転が実用化されたことを前提にすると、世界のMaaSの市場規模は2050年には7兆ドル(約770兆円、1ドル=110円換算)になると予測している。この見立ての正確さはともあれ、MaaSが巨大な潜在力を秘めていることだけは確かだ。

 トヨタの「モビリティ・カンパニー宣言」で幕を開けた18年は、鉄道事業者を中心に、各企業のMaaSへの参戦表明が相次いだ。6月に閣議決定された政府の成長戦略「未来投資戦略2018」の中でもMaaSの実現がうたわれ、18年は、さながら「MaaS元年」の様相を呈している。モビリティ革命の巨大なうねりのなかで、今、まさに全産業のゲームチェンジが始まろうとしている。

『MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ』(日経BP社)
2030年、世界で100兆円以上に達すると予測されるモビリティサービスの超有望市場「MaaS(Mobility as a Service、マース)」。自動車メーカーだけではなく、鉄道やバス、タクシーといった公共交通、シェアリングビジネス、配車サービスをも巻き込む「『100年に一度』のゲームチェンジ」で生き残る秘策とは――。
交通サービス分野のパラダイムシフトにとどまらず、MaaSで実現する近未来のまちづくり、エネルギー業界から不動産・住宅、保険、観光、小売り・コンビニまで、MaaSの「先」にある全産業のビジネス変革を読み解く、日本で初めての本格的なMaaS解説書!

日経ブックナビ
Amazon
この記事をいいね!する