脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「苦労」は過大評価されている

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「若い時の苦労は買ってでもしろ」という諺があるように、若いうちはとにかく苦労をしなければダメだ、というアドバイスをしてくる人がいる。主に、年配の方に多いように思う。これは、日本の典型的サラリーマンの価値観にはよく合致しているようで、若いうちに苦労することを嫌がったりするヤツはけしからん、俺が若い頃はもっと大変だった、でも苦労したおかげで今の俺がある、という説教はもはや老害テンプレ表現の域にまで達している。

 

僕は、この「苦労は尊い、若いうちに苦労することは意味がある」という主張には真っ向から反対したい。僕は「苦労」は過大評価されていると思っている。苦労なんてしないほうがいいに決まっている。避けられるなら避けられたほうがいい。

 

僕がなぜこんなことを書くのかというと、「若い時に自分が苦労したことなので、相手も同じ苦労をすればいい」という考えでは、何ら進歩がないと思うからだ。自分が昔苦労したことで、後輩も同じ苦労をしているのだとしたら、状況は何も改善していない。大切なのは、「自分が苦労したことで、後の世代を苦労させない」という姿勢である。自分が「苦労」したことがあるのならば、その苦労を緩和するための策を講じ、さらにそれを後の世代に広めて、はじめて胸が張れる。

 

「俺も苦労した、でもいい経験になったと思う」というのは、自分がもうその仕事で苦労しなくてよい立場になっているから言えるのである。そういうことを偉そうに言う人には、「そんなに苦労が尊いと思うんだったら、先輩代わりにやってください」と言ってみたい。果たしてどうなるだろうか。きっと顔を真っ赤にして怒るだろうなと思う。

 

会社に入ると、「自分も新人時代はこういう苦労をしたから、お前らもやるべき」という押し付けがあまりにも多い。これは、組織における「負の連鎖」だ。負の連鎖を断ち切ろうとしないだけでなく、偉そうに上から目線で「若いうちの苦労はいい経験になる」と言うのはあまりにも身勝手ではないだろうか。

 

結果主義だ、成果主義だと言われはじめているものの、日本ではまだ「苦労」が過大評価され、「怠惰」が過小評価されていると僕は思う。ビジネスの本質は、苦しむことじゃない。利益を生み出すことだ。「苦労」を信仰する人には、それで果たしてお金が稼げるのかと質問したい。

 

「苦労」を過大評価するのはもうやめにしよう。自分が苦労したことで、もう誰も苦労しないような、そんな仕組みづくりを心がけるべきである。

 

 

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