NT 10年11月号 冲方×富野 第5回 未来の開き方

夢か現実かの二択では未来は絶対に開けない

富野 今回の編集部からのお題は、“若者たちの未来への提言”です。でもね、この設問自体が間違っているんですよ。若者なんて未来どころか来年のことすら想像つかない。就活やってる人は、就職が決まらないかぎり何も考えられないというのが現実でしょ。でも、こういうテーマを設定した瞬間に、メディアの人間は夢か現実かという二択を迫る。そんなのは、お前らが安定した仕事についてる気楽な立場だから言えることであって、夢か現実かの二択で未来なんていうのは絶対に開けない。
冲方 そもそも夢と現実というのは横並びではないということですか?
富野 そう。現実というのは安定した未来ということでしょ。そんなの誰だって求めている。自分の好きな仕事をやりながら安定した未来を手に入れたいというのは皆が思うことで、夢か現実かではなくて、夢も現実もなんですよ。でも実際にはこんな仕事しかできないから、仕方ないけどここで頑張るというのが、現実でしょ。安定か適性かで職業を選ぶ人なんて1%もいないですよ。
冲方 そうですね。夢を追うことが大事と言われると、あらためてどんな夢を抱こうかというところから始めようとする人が多いと思うんですが、監督のおっしゃるとおり、夢はすでに追っているんですよね。そのことにどれだけ自覚的になれるか、そして、そのためには何を身につけなきゃいけないのかを知ることが大切だと思います。まず基礎的なものを身につけないかぎり、何が欲しいと言っても何も手に入らない。
富野 うん。どういう状況に陥るかわからないのが若者の未来なのだとしたら、どんな状況でもつぶされない自分をつくるということが、一番大事なことになる。そのために何が必要なのかというと、体力と気力、そして応用力です。それさえきちんともっていれば、逆に自分が望んでいるものに近い職業は選べるかもしれない。じゃあ、それらを養うためにどうすればいいかというと、部活を含めて年相応にやるべきことをきちんとやっておくしかない。ものすごく身もフタもない話だけどね(笑)。
冲方 でもそのとおりですよ。
富野 僕のようなデスクワークでも体力に尽きるというのが実感なんですけど、僕とは比べものにならないくらい大量の原稿を毎日書いてらっしゃる冲方さんはいかがですか?
冲方 やっぱり体力ですね。肉体が最後の支えになる。
富野 もちろん、気力は体力を支えるために当然なくちゃならないものだけど、まず基礎体力がなければ原稿一枚、絵一枚描けない。だから、自分は文科系だという自覚がある人も、高校くらいまでは体を動かすということをやってほしい。それをやらないとあらゆる職業に対応できないんですよ。運動は苦手だけど、文章が書ける、絵が描ける。だから部屋にこもって小説家やマンガ家を目指すっていうのは、大間違いです。

不安定な生活に耐えられる自分をつくることが重要

富野 自分の“好き”や自分の手の届く範囲外の世界を知るということはとても重要だと思います。そこで冲方さんに聞きたいんだけど、子供のころに海外で生活したことは、小説を書く際に有効に働きました?
冲方 はい、まさに応用力が身についたと思います。
富野 具体的にはどういうこと?
冲方 僕が学んだのは常識のスイッチの切り替えです。ある局面での常識は、別の局面になるとまったく通用しなくなるということを海外で暮らしたときにたたき込まれたんです。
富野 でも外国人も日本人も同じ人間じゃないですか。朝起きて、歯を磨いて、ご飯を食べるのはいっしょでしょ。そういう常識すら通用しないんですか?
冲方 通用しない場合もあります。たとえばイスラムの友人はラマダーン断食月)の時期になると生活がガラリと変わります。当然、こっちの接し方も変える必要がある。
富野 僕はイスラム圏に行ったことがないからわからないけど、本当に昼間は何も食べないんですか?
冲方 ツバすら飲まないですよ。体育の授業中、口の中にツバがたまると吐き出すんですよ。で、授業が終わったら死にそうになってる。敬虔な人はそれくらいやります。ただ、日が落ちるとものすごく食べるし、飲む。そうやって、明日の飲まず食わずに備えるんです。
富野 あぜんとしちゃうけど、それが彼らの常識なんですよね。
冲方 精神力の鍛錬という点では、ずば抜けていると思いましたね。
富野 そういう話を聞いちゃうと、今の日本の社会というのは、本当にだらしのないものになってるなと思わざるをえないねぇ。
冲方 そうですね。日本で暮らしていると、相当自覚的に自分を鍛えようと思わないと、基礎体力すら身につける機会がないような気がします。
富野 この話は先月の100年もつ作品はどうしたらつくれるのかということに直結していて、やはり何となくではつくれないんですよね。それなのに、自分の好きなことを徹底すれば成功するみたいな言い方を平気でしてるじゃない。
冲方 まがりなりにも教育機関を名乗っている専門学校が、それを言っちゃダメだろうと思いますけどね。
富野 麻生政権のときにアニメやマンガを産業にするという気運が高まって、国立大学でさえアニメ学科、マンガ学科をつくることが恥ずかしくなくなった。そこまで国家が国民を堕落させていいのかって思うんだけど、それを産業論で済ませちゃうわけです。もっと言えば、学生を集めるために、今の子供たちが食いつきやすい学科を作ってるだけなんですね。
冲方 食いつきやすい学科だというだけで……。
富野 そう。マンガ学科卒業したからといってマンガ家になれるわけではないんだから。
冲方 振るい落とされることが必然なんだということを、どこかで公言しておかないと、オレたち落ちちゃったけどどうしてくれるのっていう層が形成されちゃいますよね。
富野 でも、それを言ったら最後、生徒が集まらなくなるわけだから、好きなことを頑張れば成功するという言いかたになるんですよ。組織論が優先される大人の世界というものがあって、そこでは実体がないものや、何が有効なのかまったく見えないものが平気で稼動していく。だから、若者たちはまず、それにだまされない知恵を身につけなきゃいけない。
冲方 それも基礎学力の一部ですね。
富野 そう。これは応用力にもつながるんだけど、事態を見て、これはいったいどういうことなんだど想像できる基礎学力は身につけておかないと、大人たちに簡単に食いつぶされちゃいますよ。
冲方 よく今の若者は安定志向だと言われますが、安定した生活を求めるよりも、不安定な生活に耐えられる自分を作り上げることのほうが重要なんですよね。
富野 そのとおりです。
冲方 そのためには、今の自分がどんな武器を与えられているのかということを自覚して、それを活用していくところから始めないといけない。たとえば僕だったら、子供時代を海外で暮らしたことだったり、陸上部で毎日何十キロと走ったことが、小説家としてすごく役立っています。
富野 陸上と小説って一見何のつながりもないようだけど、そうじゃないんだよね。文科系の人間はスポーツ系の部活やってる人間を、自分たちとは違う特殊な人たちと思いがちだけど、そうじゃない。彼らがやってることを自分たちはやっていないという点で、すでに彼らに対して遅れをとっているんですよ。

一期一会の緊張感の中で友達づきあいをしてきた

富野 もう一つ重要なのが、人との出会いです。これは僕にとっては応用力の範疇に入るんですね。自分に一番欠けている部分ですから。人づきあいに関しては、意識して学習していく必要があると思います。
冲方 監督に人との出会いが欠けていると言われたら、ほかの人たちはどうすればいいんですか(笑)。
富野 いや、僕はダメですよ。だって友達いないもん。
冲方 監督に友達になってと言われたら、誰でも喜んでなりますよ。
富野 友達がいないという、その原因は自分にもあって、友達を求めていないという部分も少なからずはあるんでしょうね。冲方さんにとってはどうなの? 友達とか人と上手につきあうということは。
冲方 僕の場合は3、4年ごとに住む場所が変わるという生活を送ってきたので、完全に一期一会なんですよ。僕の友人は今アメリカにいますとか、今は連絡がつきません、どこにいるんでしょうねみたいな(笑)。
富野 では、あまり今の職業には有効に直結していないんだ。
冲方 いや、そういうことでもないですね。一期一会だからこそ、その人のパーソナリティや文化的な背景を全力で知ろうという訓練はかなりしました。この1年が過ぎたら、この人とは手紙でしかやりとりできないという緊張感の中で友達づきあいをしてきた。僕にとって友達というのは、気楽なつきあいというよりも、ものすごい瞬発力でお互い理解し合って、それを何年継続できるかという…あのときの1週間が今の10年20年をつくっていくという、そんな感じですかね。
富野 そういう一瞬の出会いで本物の友達ができることもあるわけです。いっぽうで、ネット社会が進んだ今は、出会わなくても友達になれると思っている人たちもいる。
冲方 ツイッターとかですね。
富野 あれで人とつながれるという感覚が僕にはまったくわからない。
冲方 僕もあれで人とつながれるかは疑問です。このひと言がおもしろいとコピペして、ぐるぐる回していくという機能は面白いなとは思いますけどね。結局、ツイッターというのはことばの組織化ですよね。今はそこに合流することが主眼になっていて、そこで自分が何を得るのかという目的がまったく見えなくなっていると思うんですよ。
富野 そのとおりです。では、次回は目的設定の話から入りましょう。