何度も紹介してきたように、世界のエネルギー問題のプロの意見では、もっとも危険なエネルギー源は石炭であり、「脱原発」で石炭火力の運転が増えると環境汚染や健康被害は増える。しかし世論調査では、77%が「原発を将来やめる」ことに賛成している。朝日新聞が大衆に迎合して「原発ゼロ社会」キャンペーンを張るのはマーケティングとしては正解だが、それは人々を幸福にするのだろうか?

日本で大気汚染による呼吸器疾患で死ぬ人は年間数万人にのぼるが、原発の放射線で死んだ人は50年間で1人もいない。後者のリスクを減らして前者のリスクを増やすのは、客観的には不合理だが、主観的には合理性がある。人々には確実な(目に見える)損失より不確実な(それより大きな)損失を好むリスク回避バイアスがあるからだ。

脱原発で火力が増えると、短期的な安心は高まるが、長期的な安全性は下がる。つまり脱原発は、将来世代にコストを先送りしているのだ。日本の政治は、系統的にこのような意思決定を続けてきた。90年代には、大蔵省は「金融不安」を恐れて不良債権の最終処理を先送りし、政治家は財政赤字を無視してバラマキ財政を続けてきた。その結果、人々は貧しくなり、生活も不安定になった。

このように長期のリスクを無視して短期の安心を求める福島みずほ症候群によって、日本は安心だが安全ではない社会になってしまった。しかし人々は、現在の経済停滞の原因が自分のバイアスだということに気づかない。それは人々の意識の「古層」に深く根づいているからだ。経済学者が日本で無力なのも、こうしたシステム1レベルの暗黙知をシステム2の論理で変えようとしているためである。

ではシステム1は何によって変わるのか、というのは学問的にもおもしろい問題だが、今のところ定説はない。規範的行動経済学では、こういうバイアスを利用して合理的な結果に導こうとしているが、これではバイアスそのものは変わらない。

マルクスとエンゲルスは、こうした暗黙知をイデオロギーと呼び、「支配階級のイデオロギーが、どの時代においても支配的なイデオロギーである」がゆえに、大衆の意識を変えるには暴力革命しかないと考えた。その結論はともかく、暗黙知は身体に規定されているという彼らの洞察は、レイコフなどの認知科学の成果と一致する。システム1を変えるには、ゆるやかな衰退ではだめで、財政破綻などの<暴力>が必要なのかもしれない。