仕事で諏訪に行ってきました。
仕事先は諏訪市でしたが、降りた駅は茅野駅です。
改札を出たとたんに、マスクをはずしました。
空気がきれい。息がラク。花粉症なし。
ここに住むか?

駅前からタクシーに乗り、取材をすませ、またタクシーで戻って、仕事終了。
せっかくだから蕎麦でも食べていきますか、と
人気のない駅前をブラブラ歩いていたところ、何やら気になる建物をみつけました。

新星劇場。

雪を抱いた山並みをバックに、こじんまりとした映画館がたっています。
外観はこんな感じ 。このアングルだと残念ながら山は見えませんが。
覗き込むと、何ともアットホームな雰囲気なのです。

「RED」と「海猿」と「アンストッパブル」がかかっていました。
日帰りだったので、さすがに観ていく時間はなく、そのまま後にしましたが
やけに気になって仕方がない。
ネットで検索してみたところ、
ここでは毎年、「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」というのを開催していることがわかりました。
公式サイト によると
  昭和29年夏、『東京物語』をつくり終えた小津監督は、
  コンビを組むシナリオライターの野田高梧氏の蓼科の山荘「雲呼荘」を初めて訪れました。
  八ヶ岳の山麓に拡がる高原の自然と霊気にふれて、
  小津監督はたちまち気に入ってしまい「水がうまい。洒がうまい。空気がうまい。」と、
  以後昭和38年に没するまで野田高梧氏と、この蓼科高原にあぐらをかいて
  数々の名作を送り出したのです。
  お二人は心からこの地を愛し高原の生活を愉しみました。
  そして、何よりも仕事に打ち込みました。
  蓼科高原は小津映画のこころのふるさとであり、  
  ここ蓼科から晩年の多くの名作が生まれたのです。
  「雲呼荘」はもう残っていませんが、
  昭和31年以降、両先生の仕事場となった「無藝荘」は当時のたたずまいを留めた姿で
  蓼科での生活の拠点であった「プール平」に保存・公開しております。
  このようなお二人のゆかりの地、蓼科高原・茅野市で
  平成10年「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」がスタートしました。
  映画祭を通じて、多くの方々に  「小津映画・小津のこころ」に触れていただくとともに、
  小津に続く旬の内外の作品の上映、シンポジュームやシネマトーク、
  ここから21世紀の映画が生まれることを願い、
  平成14年に始まった短編映画祭などを盛り込みながら
  「映画」を通して文化・人的交流が図られ、
  やがては映画・映像文化の発展につながることを期待しています。

おおお、そうでしたか。
ただものではなさそうだと、感じてはいましたが。
そして茅野市では驚くことに、「映画館の日」があることも発見。
小津監督ゆかりの地として、映画文化を展開するために
毎月第3日曜日(1月と8月は第4日曜日)、市民は無料で映画を見られるのだそうです。
場所はもちろん、皆さまの新星劇場。

市民じゃないとダメなのかしら。
やっぱりここに住もうかしら。

これが次回の上映案内。
http://www.city.chino.lg.jp/kbn/04030051/04030051.html

そしてこちらが、新星劇場の公式サイト
http://shinsei-gekijou.com/

移動映写サービスにも積極的で
夏には星空の映画祭 というのもやっているそうです。

去年は「アバター」を上映したらしい。
野外で観る「アバター」ってすごそうだわ。

茅野に住むか?
この映画祭だけは一度行ってみたいなあ。