コラム

尖閣問題で菅が払った大きすぎる代償

2010年10月07日(木)20時16分

負け試合? Francois Lenoir-Reuters (left), Yves Herman-Reuters

負け試合? 菅は温家宝(右)と会談して尖閣問題を「収束」させたが、世論の支持は
取り戻せない(10月4日)Francois Lenoir-Reuters (left), Yves Herman-Reuters
 

 ブリュッセルでのアジア欧州会議(ASEM)首脳会議に出席していた菅直人首相と中国の温家宝首相が10月4日、廊下で出くわす形で会談。これで尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件以来続いていた日中の対立は収束した格好だ。

 両国は予想通り、戦略的互恵関係の重要性を再確認し、ハイレベル協議や文化交流を再開させる。だが、一連の対立を経て何が戦略的に変化したのかは明確でない。

 中国はこれを機に、領有権争いに絡むあらゆる出来事に猛烈に抵抗してくるようになるのだろうか。中国は、今まで以上に好き勝手に振舞える影響力を手に入れたのか。それとも、自国民が他国で拘束されるにはどこの国でも反発するという例の一つに過ぎなかったのか。コンサルティング会社サミュエルズ・インターナショナル・アソシエーツ(ワシントン)のソーラブ・グプタが論じたように、日本が中国人船長を逮捕する根拠が薄弱だった今回のようなケースでは特にそうだろう(グプタによれば、1997年の日中漁業協定のため、尖閣諸島沖では日本側に中国船を取り締まる権利はないという)。

■「検察の判断」が中国の抵抗を強めた

 一方、尖閣論争で最も得をしたのはアメリカだという主張がよく聞かれるが、これは言い過ぎだと思う。沖縄の基地問題は今後も進展せず、日米同盟に暗い影を落とし続けるだろう。

 ただしそれ以上に重要なのは、今回の事件は民主党政権の中国寄りの基本姿勢を強化させただけのようにみえることだ。中国との政治的関係を深める以外に選択肢が乏しいなか、日本は建設的な二国間関係の構築に向けてさらに努力を傾注するしかないだろう。尖閣問題は日本が全面的に方針を転換するきっかけにはならず、菅政権の前にこれまでも存在したのと同じハードルを一段と引き上げただけなのかもしれない。

 台頭する中国と衰退しつつも依然として強大なアメリカが支配する地域において、日本は2つの超大国と共存する道を探るべきだという民主党政権の基本的な外交方針は、今も変わっていない。とはいえ、中国との対立は日本国内にさまざまな影を落としている。

 とりわけ大きな影響を受けたのは菅政権の支持率だ。小沢一郎との代表選対決に勝って20%近い急上昇をみせた菅政権の支持率は、尖閣問題の対応を誤ったという国民の評価によって再び50%近くに下がった。

 日本政治に詳しいジャーナリストのピーター・エニスは、菅政権の対応は見事だったと主張する。アメリカの支持を取り付けつつ、中国の圧力に長期に渡って抵抗し、中国人船長の釈放は政府ではなく那覇地検の判断だという主張を可能にしたからだ。
 
 だが日本国民の受け取り方は違う。読売新聞の世論調査では、回答者の83%が政治介入をしなかったという菅の言葉を信じていない。また、外交と安全保障政策を政権の最優先課題にすべきだと答えた人の数は、8月初旬の4%から10%も増加した。こうした世論の変化は一時的なものかもしれないが、支持率の落ち込みによって菅が野党の協力を取り付けるのは一段と難しくなった。

 結局、菅は敗北したのだろうか。少なくとも、日本政府の対応は素晴らしかったというエニスの見解に、私は完全には同意できない。

 政府の最大のミスは、船長の釈放を検察独自の判断だと強調したこと。これによって、中国は抵抗を一段と強めることになった。司法の判断という言い分を認めれば、暗に日本の領有権を暗に認めることになってしまうからだ。

■初めから外交問題として対処すべきだった

 日本政府が本当にこの問題を法的プロセスに委ねる気だったのなら、検察の判断だという政府の主張も理解できる。だが、実際に司法判断が出るまで待つ覚悟が政府にあったとは思えない。

 菅政権はこの問題を司法に委ねるのではなく、漁船衝突の直後から実態通りに外交問題として扱うべきだった。日本の司法の権威を傷つけたことも、政府に対する世論の反発の一因だ。
 
 船長の釈放をぎりぎりまで引き延ばすことで、日本は中国に、今後日本にどこまで圧力をかけるべきかを再考させることに成功したかもしれないし、ひょっとすると中国との領有権紛争をかかえる他の国々の支持を勝ち取る助けにもなったかもしれない。各国が協力してレアアース禁輸のような中国の経済的脅しに対抗する機会にもなった。

 だが、そうしたプラス効果の代償として、菅は国内での支持を失った。世論の支えを失った今、参議院で過半数を割った民主党を率いる菅首相が経済再建に集中するのはますます困難になるだろう(前原誠司外相が言うように、アジアで日本の影響力を高めるには経済の建て直しが不可欠だ)。

 尖閣問題で日本がいかなる中期的メリットを享受したとしても、菅が被った甚大な短期的代償を埋めあわせることはできない。

[日本時間2010年10月6日15時06分更新]

プロフィール

トバイアス・ハリス

日本政治・東アジア研究者。06年〜07年まで民主党の浅尾慶一郎参院議員の私設秘書を務め、現在マサチューセッツ工科大学博士課程。日本政治や日米関係を中心に、ブログObserving Japanを執筆。ウォールストリート・ジャーナル紙(アジア版)やファー・イースタン・エコノミック・レビュー誌にも寄稿する気鋭の日本政治ウォッチャー。

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