野次と自白の強要


安倍晋三が街頭演説に対する野次にナーバスになっているという件、SNSなんかではいろいろ揶揄の対象となっているようです。なにせ当人が国会では下劣な野次を飛ばしまくってるわけですから、街頭演説で野次られるのも、野次を気にするのを嗤われるのも自業自得で、まったく同情には値しません。
しかし野次られるとしゃべりにくい……という現象そのものはたしかにあります。足利事件の供述分析に関わった心理学者・高木光太郎氏は2010年にNHKの「爆笑問題のニッポンの教養」に出演した際、虚偽自白の要因(の一つ)を、人間は“自分の言っていることを信じてもらえないということに慣れていない”と説明していました。日常的には私たちは、(少なくとも表面的には)好意的な態度ではなしを聞いてくれる相手とだけ会話をしており、私たちがのびのびと言いたいことを言えるのは、私の言おうとすることを否定したり疑ったりしない相手が目の前にいるからだ、ということになります。
野次というのも「相手の言うことを信じない、という意思表示」の一つですから、野次られた安倍晋三がうろたえたりムキになったりするというのは、まあ実に人間的なことではあります。政治家としての器はどうか……というのはまた別の話になりますが。