映画「廃都」製作日記

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「廃都」と大震災と大津波と福島原発

2011年03月31日 21時28分09秒 | 映画製作日記


3月31日の今日。
穏やかでぬくぬくとした小春日和です。
小さな庭の月桂樹から、沢山の新芽が芽吹いています。

僕たちも震災の日には、少しだけその渦中に居ました。
製作の野田は、この日常磐線沿いの道を歩いて帰って来ました。
渡邉は崩落してきた本とCDに埋もれて、タダタダその揺れに恐怖していました。
しかしその時は…、その後のことを予想だにしていませんでした。
僕たちは、管理会社からの連絡も無いまま、ガスが出なくなった事で困り果てていました。
しかし…。
大震災は、言語に尽くせない被害を残し、いや更に被害を広げていました。
東日本大震災。
大地震と大津波。
それに加えて、福島第1原発の事故。

僕たちが「廃都」で描こうとしているのは、生きる術を失った人間と、生きる術を得られない若者の交流。
残酷な運命をも含めて描いていると思っています。
でも僕らの物語は、この現実の前ではチリのように吹き飛んでしまうのではないか。
この未曾有の大惨事を経験した後で描かれねばならない物語とは…。
そんなことを思うことすら高慢で傲慢な思い上がりかもしれません。

僕らも多少の災害をこうむりながらも、作業を再開しようと考えていました。
しかし、この大震災と大津波と大人災の後に表現する物語りとして、このままの物語でそれでいいのかを考えていました。
考えと言うよりも、拭い去れない不安だったのかも知れません。
…本当にこれで良いのか?
編集台の前で何も出来ない日々が続きました。
そして昨日30日。
自分自身の目で現実を見続けながら考えようと思い、福島へと向かいました。
非力な僕は、現実の前に立たなければ、この大災害を前にしても観念のオバケでしかないのだと思ったのです。
その後で、もう一度繋ぎなおし不足しているものは撮影しようと考えました。
そして最終仕上げ。
勿論フルHDのカメラは持っていました。

車を走らせているうちに僕たちは、福島第1原発の正面玄関前まで入ってしまいました。
報道というフィルター無しに、原発の現状をどうしても自分の目で見たかったからです。
正面入り口は、放射能さえなければ特別に慌しい雰囲気もありませんでした。
時を経て正面入り口から近くの町へと移動した僕たちは、たまたま出会った車上の人に「…へはどう行くのか?」と聞いたのです。
実は、一箇所だけ原発の全容を撮影できる場所がソノ近くにあったのです。
彼は「行かれるが…」と答えてくれました。
「でも行くな」
大声でもなく怒りの声でもなく、諦めきったような落ち着きの中で淡々とした声でしたが、初めて僕らは恐怖を覚えました。
彼は内ポケットから線量計を取り出すと、僕の身体に向けました。
その計測器がピーピーと鳴っていました。
「あそこは…全然違うから…行くな」
そうして彼は去っていきました。
多分彼は、東電の下請け労働者だったに違いありませんでした。

僕らは、原発から7㌔ほど離れた、津波で壊滅した街へと向かいました。
津波が破壊したその町は、無事だった人々も原発の事故で急いで非難したらしく全く手付かずの瓦礫の山でした。
地面からビルの三四階の高さまで埋め尽くす、かつては人々が暮らしたであろう
モノの残骸。
一切が震災と津波の時のままに放棄されているのだと思いました。
シンと静まりかえった瓦礫の山。
取り残された犬と猫が、陽炎のようにさ迷っている。
放射能の汚染下では、全てのものが放棄されていく。
そして再び僕らは原発から3㌔以内の村や町へ向かいました。
戸締りもしないまま飛び出すように逃げ出した様子が、家々のたたずまいから伝わってきます。
見捨てられた犬と猫が餌を求めていました。
道路には、小動物の死骸が点在しています。
狸や猫たち、そして放棄された養鶏場や小屋に閉じ込められた牛。
ある家では、鎖に繋がれた飼い犬に鎖から自由な別の犬が自分の唾液を
舐めさせていました。
飢えて乾ききっているのです。
犬たちも、そうやって唾液を舐めあって生きようとしている。

大地震と大津波と原発によって何が壊れ永遠に失われようとしているか。
いまも僕たちが失い続けているものは何か。
あの地域の人々は、原発に汚染された土地へ帰ることも出来ず、自らの古里で地震と
津波の被害から立ち直るすべすら失ってしまうのだろうか?
自分たちの一生があった世界が消滅させられようとしているのだと思いました。
東電の下請けの現地の作業員が守ろうとしているのは、発電所なんかではなくて
彼らの人生が詰まった自分たちの世界だと思います。
家や田畑や家族や親類や友達やいがみ合う隣人や角の魚屋……この事故さえなければ永遠に続くかと思われた「平凡」な日常。
この地域の出来事も、やがて世の中は忘れ、痛みは当事者だけが背負ってゆくと思うのです。
そしてその人々も忘却の中で…。
一人の、英雄でも天才でもない、当たり前の人間の物語り。
むしろ失敗したり負けたりしてしまうそんな側にいる人間の物語り。
ニュースで語られるように、「無名」の人間は何処にも居ないのだ。
みんな自分の名前を持って、その名前において生きているのです。

人間は…と思います。
僕らが描かねばならない物事とは…。
いま僕たちは、新しい表現も見出せないでオロオロしています。
まして非力で才能にも乏しい僕などは…。
いま現実が生々しく流れ込んでいます。
「廃都」が、届いて欲しい人の魂に届けられるものを持った映画となる事を祈りながら。
現実に激しく打ちのめされながら、それでも作り続けています…。


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