デマ論議にとことんつきあう渡邊教授(@ynabe39)
- toshihiro36
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「再臨界で大爆発系のデマ」と「外国人の窃盗団が系のデマ」もそれぞれ「独自の固定客層」を持っている。「流言やデマには伝達者の不安や願望が反映される」という社会心理学の教科書的知識がきちんと現実を説明することに驚く(それに驚くのも変だがw)。
2011-05-16 06:38:20いっぽうで「なにかをデマとして否定する心理」にも同様にその人の不安や願望が反映されるということは私の知る限り教科書には書いてなかった。デマを否定する側が常に冷静で真実に近いとは限らない。これから社会心理学の授業をするときにはそれについても述べたいと思う。
2011-05-16 07:08:06「当初デマだと信じていたことが次々に現実になっていく」ことを多くの人が経験したことは,これからしばらくの日本人の行動にそれなりの影響を与えると思う。
2011-05-16 07:10:02デマの問題でも私が言ってるのは「いっけん脊椎反射ではなく冷静に情報を分析してデマを否定しているように見える人」においても「自分の不安や願望をデマ否定に反映させている部分は必ずある」ということ。この主張が多くの共感など呼ぶはずがない。
2011-05-16 10:27:23では逆に「不安じゃない人」が仲間増やしとして安全だという意見を信じ、「デマ否定」をしている場合もありますか?自分の実感としてはそちらなのですが。 RT @ynabe39: 心理学の知識からいえば不安が生じた時には不安の低減を目指すのがデフォルトで,不安を補強するのは「仲間増やし」
2011-05-16 10:50:59不安でなければ仲間を増やす動機がありません。その人たちこそ無意識に不安だから仲間を増やすのでは。 RT @HirokiNagase: では逆に「不安じゃない人」が仲間増やしとして安全だという意見を信じ、「デマ否定」をしている場合もありますか?
2011-05-16 10:53:27なにかが誤情報であるか(ネット語でいえば「デマであるか」)は時間の経過と文脈によってどうにでも変わる。ある時点では誤情報であり実際にデマゴギーとして伝達されたことが後に真実になったり,別の場所では真実であることはまったく珍しくない。
2011-05-16 10:55:02戦時中の「日本は負ける」という「流言」はある程度は敵国のスパイや反政府主義者などによって「デマ」として流されたのだろうが,それは結果として真実になったわけだし,デマを信じた人の方が結果として真実に近かった。ただしこれはすべて結果論でありその時点ではわからないことだ。
2011-05-16 10:59:32@ynabe39 ある状況を推測する場合「ここがおかしいよ」の指摘の妥当性をぶつけ合う事が必要でないとおっしゃるのですか?結果論によって。もしそうならば可能性を論議する事は不可能になるのではないでしょうか?「時間の経過」と「文脈」?的に。
2011-05-16 19:53:19@bitiguso いいえ。ぶつけ合うのはよいですが「デマを言う側」と「デマを批判する側」それぞれの正しさや妥当性は時間の経過や文脈に依存する相対的なものだということです。
2011-05-16 19:54:28@ynabe39 それって「リアルタイムでは情報の妥当性を測る事ができない」ってことでしょ?ああ、それと文脈って文言は除いた方がいいと思いますよ、「妥当性を推し量る」って文脈で。
2011-05-16 19:59:36「コンテクスト」といえばわかりますか?文脈という言葉はそういう意味で使っています。 RT @bitiguso: それって「リアルタイムでは情報の妥当性を測る事ができない」ってことでしょ?ああ、それと文脈って文言は除いた方がいいと思いますよ、
2011-05-16 20:00:40付け加えれば,デマとデマ批判との「論争」は実際には「情報の妥当性」をめぐっては戦わされていない場合がかなり多いと思います。 RT @bitiguso: それって「リアルタイムでは情報の妥当性を測る事ができない」ってことでしょ?
2011-05-16 20:02:56ああそういう意味ですか。デマ問題についてはほとんどの人は「コンテクストを経ない妥当性」があると思っているでしょ? 私が指摘しているのはそのことです。だから「文脈」という語を強調している。RT @bitiguso: 「コンテクスト」を経ない妥当性ってなんスか?
2011-05-16 20:06:19@ynabe39 それは「コンテクストを経ない批判(議論)」への批判ですね。それって、それ自体デマのようなものですよね。つまり渡邊先生は「実はデマ批判していた」ってことなんですか???
2011-05-16 20:10:50たんなる間違いや誤情報,あるいは誤判断と「デマ」は違いますよ。RT @bitiguso: それは「コンテクストを経ない批判(議論)」への批判ですね。それって、それ自体デマのようなものですよね。つまり渡邊先生は「実はデマ批判していた」ってことなんですか???
2011-05-16 20:12:16そういう意味では「デマを批判する言説」が間違っていたり誤判断である可能性は「デマそのもの」と同程度であるという,至極当たり前な主張になります。そういう意味ではたしかに「言う必要もないこと」ですねw RT @bitiguso:
2011-05-16 20:13:38@ynabe39 ほう、ネットでのデマ批判を=で「デマとデマ批判との「論争」は実際には「情報の妥当性」をめぐっては戦わされていない」位に捉えるのが妥当だと?ならばそうハッキリ言えばいいのに・・・。
2011-05-16 20:13:44というか,その用法だと「デマ」と「単なる誤情報」の区別がつかないと思います。(自分から見て)間違ったことを批判するのは当然ですが,それを「デマ」と言って批判することには別の動機や構造があると思います。 RT @bitiguso:
2011-05-16 20:15:563月にメルトダウンだと言った人を「デマだ」と批判しておきながら、いまメルトダウンだと言ってる人を「それはすでに3月に起きたことでいま騒いでもしょうがない」というのはやはり都合がよすぎると思う。
2011-05-16 21:46:01@ynabe39 そーいうことこそ具体的な文脈を経た上で議論すべきでは?「コンテクストを経ない批判」はいい加減にしたらどうですか?
2011-05-16 21:55:22むしろあなたが「特定のコンテクスト」にこだわってるのだと思うなあ。 RT @bitiguso: そーいうことこそ具体的な文脈を経た上で議論すべきでは?「コンテクストを経ない批判」はいい加減にしたらどうですか?
2011-05-16 22:00:22俺は「あなたが正しいかどうか」にあなたが感じるほどの重要性は感じていないんだよね。あなたが何かの文脈で正しいかどうかは俺には どうでもいいことだ。 RT @bitiguso:
2011-05-16 22:04:59