河合信和の人類学のブログ

 科学ジャーナリスト、河合信和の公式ブログ。人類学、先史考古学関連のニュースなどを随時掲載の予定。

トバ山大噴火にも生き残り、乾燥期の河川環境に適応し、出アフリカしていった7.4万年前の現生人類

 現生人類ホモ・サピエンスは、過去10万年以上前に何度もアフリカを後にしたが、非アフリカ人の祖先である現生人類は10万年より新しい段階で出アフリカしていった。

◎乾燥期は必ずしも人類移動を妨げなかった
 これまでほとんどのモデルでは、この出アフリカのイベントは、乾燥期が人類移動を制限したため、湿潤期に作られた緑の回廊を介して行われたと考えた。
 しかし乾燥期でも現生人類は、出アフリカを抑えられることはなかった。アメリカ、エチオピアなどの国際研究チームは、現生人類のスタート地となった「アフリカの角」の青ナイル川の支流シンファ川沿いの低地の「シンファ・メテマ1(SM1)」遺跡(衛星画像)を調査し、彼ら現生人類がいかに環境適応し、出アフリカしていったのかを考察した。イギリスの科学誌『ネイチャー』4月11日号で成果を報告した。

◎弓矢を使い河川を基盤にした食料収集行動
 調査地、シンファ・メテマ1遺跡では、約7万4000年前のトバ山超噴火で噴出された最も若いトバ火山灰クリプトテフラが発見され、年代が押さえられた。ここで現生人類は、弓と矢を用い(写真)、河川を基盤とした集中的な食料採集行動をとった。彼らは、広範囲の淡水魚類と陸棲動物を食べていた。
 化石哺乳類の歯とダチョウの卵殻から得られた安定酸素同位体は、この遺跡が季節的な乾燥度の高い時期に居住されていたことを示している。魚類の異常なほどの豊富さは、長い乾季にも季節的な川のより小さく浅い水場で捕獲が行われたことを示唆しており、中期石器時代の厳しい気候条件への柔軟な適応を明らかにしている。

◎季節的な河川の「ブルーハイウェイ」
 乾季にも残った水たまり沿いでの適応的な食料収集行動は、季節的な河川を「ブルーハイウェイ」回廊に変え、アフリカ外への拡散を促進し、この出アフリカ・イベントが湿潤な気候の時期に限定されたものではないことを推定させる。
 季節的に乾燥した条件全般を生き延びるために必要な行動の柔軟性、特にトバ大噴火の明らかな短期的影響は、おそらく現生人類の最も新しい拡散とその後の世界的な拡大の鍵となった。

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エチオピアのシンファ・メテマ1遺跡で出土した石の矢尻

初期ヒト族は142万年前頃にヨーロッパ内陸部に植民していたか

 ヨーロッパへの最初のヒト族の植民は、これまでイベリア半島のアタプエルカ、シマ・デル・エレファンテ洞窟TE9層(110万〜120万年前)のホモ・アンテセソール化石がヨーロッパ最古のヒト族痕跡と考えられたので、西から開始されたと考えられていたが、このほどウクライナ西部のコロリヴォ遺跡出土の最下層石器の年代測定などから、東からの植民も考えられることになった。
 イギリスの科学誌『Nature』24年3月28日号に、チェコ科学アカデミーとデンマーク、オーフス大学などの国際研究チームが報告した。

◎モード1型式石器の年代は142万年前頃
 コロリヴォ遺跡は沖積層と黄土の層が成層していて(写真)、ここから1970年代に下部旧石器が出土して以来、いくつかの研究グループによって研究されていたが、最下層のモード1型式(オルドワンに相当)の石器(写真)の年代はまだ測定されていなかった。
 半減期がそれぞれ139万年と70万8000年と異なる2つの宇宙起源核種ベリリウム10とアルミニウム26の石英の同位体比率を加速器質量分析計で測定して年代を推定した。これらの核種は、宇宙からの宇宙放射線によって岩石が地表にある時は石英粒に蓄積するが、地中に埋もれると崩壊し始め、半減期が異なることからこの2つの放射性同位体の比率は、地表下に埋もれていた期間が推定できる。
 測定の結果、142±10万年前、142±28万年前の2つの年代が得られた。
 報告者によれば、コロリヴォのモード1石器群は知られる限り確実に年代測定されたヨーロッパ最古の石器となる。

◎ヨーロッパ内陸部への植民は東から
 これが確かであれば、東のジョージアのドマニシ(約185万〜178万年前)と西のシマ・デル・エレファンテの年代的空白を埋めるものであり(地図)、ヨーロッパは東から植民されたという仮説を確かにし、生息地の適合性の分析から初期ヒト族が中期更新世移行期のかなり前に、温暖な間氷期を利用して、ヨーロッパ高緯度地帯や大陸内陸部に植民したことを推定させる。

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コロレボ遺跡で発見された石器126523リサイズ


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中部ドイツのイルゼン洞窟で4.5万年前のホモ・サピエンス化石と移行期とされたLRJ旧石器群の関連が明らかに

 ドイツ中部のイルゼン洞窟で、ヨーロッパ最古級のホモ・サピエンス化石(写真)が発見され、放射性炭素で4万5000年前頃のものと結論づけられた。ドイツ、マックス・プランク進化人類学研究所などの国際チームが、英科学誌『ネイチャー』2月8日号で発表した。

◎新たに人骨片4点発掘
 遺跡は、中部ドイツ、ラニスの丘の上に建てられた中世の城の下に開口するイルゼン洞窟(写真)で、戦前の1932年~1938年に発掘調査され、多数のトナカイ、バイソン、ウマなどの多数の動物骨片と人骨片、中部旧石器から上部旧石器への移行期の石器文化と見られる「リンコンビアン・ラニシアン・イェルツマノヴィチアン(Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician:LRJ=写真)」が発見されていた。
 その後、2016年~22年の再発掘調査で、LRJの石器、獣骨と共に4点の人骨片が新たに発見され、直接、年代測定を行った。その結果、前記のように約4.5万年前の年代が得られた。
 戦前の発掘も含めて抽出できた人骨9点のミトコンドリアDNAの解析で、すべてが現生人類ホモ・サピエンスと同定された。

◎LRJはホモ・サピエンスの製作が確実に
 上記の結果から、移行期石器文化と考えられたLRJは、ホモ・サピエンスの製作したものであることが確実になったと言える。
 この研究成果から、ホモ・サピエンスは遅くとも4.5万年前には中部ドイツにまで進出していたことが明らかになった。この頃、まだ典型的ネアンデルタール人が生存している時だったので、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との間にどのような接触があったのか、なかったのか、なお興味は尽きない。


イルゼン洞窟で発掘された現生人類(ホモ・サピエンス)の骨片化石(ドイツ・テューリンゲン州政府提供)
ラニス城の下にあるイルゼン洞窟

イルゼン洞窟で発掘された石器。現生人類(ホモ・サピエンス)が作ったと推定された(ドイツ・ラニス城博物館提供)

南部アフリカ、カランボ・フォールズで47.6万年前の木造遺構

 これまで前期石器時代(Early Stone Age)の木製遺物などが見つかっていたザンビア、カランボ・フォールズで、2019年に水浸しの「サイトBLB」で行われた発掘で加工された木製品が5点見つかり、その詳細がイギリス、リバプール大のローレンス・バーハム教授ら国際調査チームによって科学誌『ネイチャー』10月5日号で報告された。
 注目されたのは、大きな柱に横木を思わせるノッチの入った木製品が組み合わさって見つかった遺物だ。石器で削って横木に切り込みを作り、柱に組み合わせて構造物を建てたように見える。
 年代はルミネッセンス法で47.6万年前±2.3万と出された。
 カランボ・フォールズでは、今から半世紀以上前の1950年代から60年代にかけて、アフリカ考古学の泰斗デズモンド・クラークにより数次にわたる発掘調査が行われ、アシューリアン石器と共に、木製の棍棒と掘り棒も見つかっていて、年代は今回発見の木造遺構と大差ないと思われる。
 推定年代から考え、南部アフリカにまだホモ・サピエンスが出現しない前なので、調査者たちは木造遺構はホモ・ハイデルベルゲンシスの作ったものと考えている。
 この発見で、ホモ・サピエンス以前の旧人類の新たな行動が垣間見えたのは、大きな成果だった。

The underlying log水浸し遺跡発掘風景02木造遺構ザンビア

人類が人肉を食べた最古の痕跡確認、半世紀以上前にトゥルカナ湖東岸で発見のオコテ層出土ヒト族脛骨で

 ケニア、トゥルカナ湖東岸で1970年にメアリー・リーキーに発見され、詳しい研究がなされないままケニア国立博物館に眠っていた約145万年前のヒトの左脛骨骨幹部 (KNM-ER741)に、アメリカの女性研究者らが石器のカットマーク(切り傷)を検出し、この頃のヒト族に人肉食が行われていたことが分かった。
 研究結果は、2023年6月26日付で科学誌「Scientific Reports」に発表された。

◎約145万年前のKNM-ER741脛骨
 スミソニアン国立自然史博物館の古人類学者ブリアナ・ポビナー博士は、2017年、ナイロビのケニア国立博物館を訪れ、そこに収蔵されている数十点のヒト族の骨を調査した。ポビナー博士が探していたのは、骨に残る肉食動物の噛み痕だった。それが見つかれば、初期人類がハイエナやライオンなどのネコ科などの捕食動物に食べられていたことの証明になるからだ。
 ところが、そうした噛み痕は全く見当たらなかった。その代わり、ヒト族の左脛骨骨幹部1点(KNM-ER741)に石器の切り痕のようなものがついているのを見つけた。メアリー・リーキーが、半世紀以上前にトゥルカナ湖東岸で発見した骨だった。骨は、クービ・フォラ層群のオコテ層の出土だから、年代は約145万年前となる。
 似たような傷は、トゥルカナ湖西岸から見つかっていた同時代のアンテロープなどの下顎、橈骨、肩甲骨化石にも見られた。おそらく初期人類が得た草食獣の死体から、石器で肉を切り取った痕だ。

◎傷を正確に型取りし、898点の対照例と比較
 ヒト族左脛骨の傷が、石器のカットマークだとすれば、ヒト族が人肉食をしていたことの決定的証拠になる。なおヒトの骨のカットマークは、これまでスペイン、グラン・ドリナ洞窟TD6層(約78万年前)を初め、ネアンデルタール人骨やホモ・サピエンス人骨でも多数の確認例がある。オコテ層のKNM-ER741の傷が石器のカットマークと確認されれば、人肉食の歴史は145万年前まで遡ることになる。
 ポビナー博士は、歯科医が歯型を取るのに使う材料で傷痕の型を取り、共同研究者のコロラド州立大学の古人類学者マイケル・パンテ博士に送った。
 パンテ博士は、パデュー大学の博士課程で人類学を研究するトレバー・キービル研究員と共には、傷痕の3Dスキャンを作成、実験で動物骨につけられた石器による切り痕、動物による噛み痕、踏みつけ痕など合計898点と比較した。この分析により、KNM-ER741の11カ所の傷のうち少なくとも9例が石器によって付けられたものであることが判明した。

◎ホモ・エレクトスが支配的になっていた東アフリカだが他種ヒト族も残存
 カットマークの被害者の属性は分からないし、カットマークを付けたヒト族も分からない。しかし145万年前頃のトゥルカナ湖東岸からは、ホモ・エレクトス化石が大量に見つかっており、彼らはアシュール・インダストリーの石器文化を発展させていた。
 一方で、まだこの頃、ホモ・ハビリスとパラントロプス・ボイセイが残存しており、加害者も被害者も、その可能性は残る。
 しかし東アフリカではホモ・エレクトスが支配的なヒト族の地位を固めていたので、カットマークを付けて人肉食をしたのはホモ・エレクトスと考えた方が適切だ。
 もしKNM-ER741もホモ・エレクトスだったとすれば、同一種間のカニバリズムとなる。しかしホモ・ハビリスかパラントロプス・ボイセイだったとすれば、ホモ・エレクトスは明らかに異種動物と認識していただろうから、普通の獲物の肉と思って食べたのかもしれない。
 いずれにしろ人類の人肉食の歴史は、145万年前まで遡ることになった。
 下の写真は上からヒト族の左脛骨に付けられた傷、中央は動物化石の石器のカットマークでa)はアンテロープの下顎、b)アンテロープの橈骨、c)は大型哺乳類の肩甲骨、下は石器で肉を切り取られたと見られる左脛骨と切り傷の拡大部。切り傷はすべて同じ方向を向いており、石器を扱う手が、握りを変えることなくすべての痕を連続してつけたことを示している。

145万年前の脛骨(けいこつ)についた切り痕は、食用として脚から肉を切り離すために石器が使われたことを示唆している



今回のヒト族の脛骨と同じ地域から出土した、同じ時代の動物化石の拡大写真食肉処理が施されたと考えられるヒト族の脛骨と、切り痕の拡大画像。
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