「家に犬がいたり、猫がいたりすること」について。


ほぼにちわ。

「ほぼ日」にはブイヨンが登場することが多いので、
犬や猫など動物といっしょに暮らしている方から
メールをよくいただきます。

家に犬がいたり、猫がいたりする。

でも、それって、なんだろう。

ちょっとそんなことを考えさせる
6月4日の「今日のダーリン」があり、
それについてたくさんのメールをいただきました。

全部ご紹介できないのが申し訳ないくらい、
どれもすてきなメールばかりでした。
どうぞ、ご覧ください。

まずはその日の「今日のダーリン」を再掲載し、
みなさんのメールをご紹介します。

・いま、猫を飼おうかどうしようか考えている
 田中さんちのおとうさんへ。
 「家に犬がいたり、猫がいたりすること」について。

 犬も、猫も、人間のように話さない。
 人間のように考えない。
 人間のようなほしがり方をしない。

 だけれども、
 犬や猫を家族としている人たちは、
 犬のことを、猫のことを、
 役立たずだとは考えないし、
 劣ったやつだとも思わないだろう。

 それどころか、
 人間がうまくできていないことを、
 犬や猫がじょうずにやってみせたりすると、
 人は、犬や猫という家族を尊敬する。
 人間よりも人間の理想に近いようなところを、
 犬や猫が持っていることがある。

 特になにもできない犬や、
 すばらしい意見を言うわけでもない猫を、
 家族の人間たちは、愛することができる。

 なにかができるから愛するわけではない。
 人のことばをしゃべれない犬や猫を、
 敬したり愛したりしているうちに、
 なにかがじょうずにできることや、
 ことばをうまくしゃべれることが、
 いちばん大事なことじゃないかもしれないと、
 気づくようになる。

 犬を家族に迎え入れること、
 猫といっしょに暮らすようになることは、
 つまり、じぶんより弱いものの世話をしたり、
 ただのいのちというものを愛したりする、
 ということなのかもしれない。
 ぼくは、そんなことを考えていて、
 うちの犬は、その横で寝ている。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
たいしたことない人間と、なんでもない犬とが、家にいる。

 (2011年6月4日「今日のダーリン」より)



メールアイコン 父は、うちの犬(柴・16歳くらい?)に
戒名を準備してます。

「養育院一太◯◯(←忘れた)」
らしいのですが、
「養育院」は、姉妹2人に
たくさんのことを教えてくれたからだそうで、
変な名前で笑ってしまいます。
そして「一太」は、
センスもへったくれもない、
現在の「わんた」という名前から(笑)。
好き放題の飼い主です。
(o)



メールアイコン 2007年に19年一緒に過ごした
愛犬キョンを亡くしました。

18歳から37歳という
多感な時を一緒に過ごし、
亡くしたばかりの痛みの最中には
親友か我が子を失ったような喪失感を感じ、
心の腫れが引いた頃には
本当に痛いところが明確になり、
失ったのは自分の半身であり、
痛かったのは半身がもぎ取られたからだった。

自分より弱いものを守る意識は
自分を強くする。
守りたかったものをなくすと自分が弱くなる。
でもそれを乗り越えるために思考する。
人の痛みが手に取るようにわかったり、
生きていくなかで
考える機会を与えてくれたり。

形はなくとも存在は存在する。
でもやっぱたまには、
あのかわいい形をしたキョンを
抱き締めたいな、って涙ぐんだりもします。よ。

思いのたけを一方的にごめんなさい。
ありがとう。


(y)



メールアイコン うちにも、なんでもないけど掛け替えのない犬が
二匹います。
一匹は、老犬のシーズー♂うーちゃん。
この子は、ペットショップで
商品として売れ残り生活1年を過ごし、
商品故に最小限のご飯にゲージのみの生活で
見るに耐えない姿でうちに来て約15年。
御歳16.5歳。既に老犬介護生活の真っ只中。
リンパ腫癌を発症し心配ながらも
日々様子見状況。今も寝転ぶ私のお腹の上で
寝ています。これが安心らしいです。
もう一匹は、保健所で殺処分の方に入れられ
数日の命だった推定9歳の
ヨークシャーテリア♀のなのはちゃん。
この子はお腹に乳腺腫を大小7個も抱えていて、
治療もせず棄てられたと推測。
痛々しいのは、前の飼い主から教わった
いくつかの芸をすること。
幸せだった時もあったんだなあって思う哀しさ。
そんな我が家に来週月曜日
初めて猫を迎える事になりました。
橋の下にダンボールに入れて棄てられていた
生後二週間ほどの三匹のうちの
白黒中長毛種の子。
保護した方からお世話いただいての
里親さんになります。楽しみと初猫生活に
ちょっとだけドキドキですが、
これから老犬と生還犬と新入り小猫とわたしの
新しい生活が始まります。
犬や猫と生きることは、言葉や価値に表せない、
とにかく自分で感じる
穏やでやさしい空気だと思います。
ワンニャンとおばさんは元気に暮らしま〜す。
(m)



メールアイコン 私は2さいの犬を飼っています。

ときどき私の言葉のフレーズに
異常に反応します。
首を必死で傾げるのですが、
何を考えているかわからないときがあるんです。
そして、体全体で表現する愛おしい彼を見て、
必死でシグナルを解こうとする。

私はいままで、人に対してこんなに理解しようと、
相手のことを必死で考えたことがあるだろうか?
‥‥と教えられるんです。
それからふと、食卓に座っている母を
見ると思うんです。認知症が進んでいく母に
私はどれだけ理解してあげようとしているかって。
(Rury)



メールアイコン 満七歳の小倉生まれの猫と暮らしています。
四年前に札幌に一緒に連れてきました。
ただただ温かい暖かい存在で、
笑顔と愛情と信頼を
こんなにも寄せてくれてる家族。
私とトム娘は家族です。
(l)



メールアイコン 私はセキセイインコと暮らしています。
雛から育てた二羽です。

子供の頃はずっと犬を飼っていました。
忠犬ハチ公のような子もいました。
別れてずいぶん経ってから
たぶん遠くから家の車が走っているのを見つけて
必死で走って車のうしろを
追いかけてきていた時は、
驚き号泣したことも‥‥
再会したのに連れて帰ってあげられなかったのは
今も胸が痛みます。

やがてマンション暮らしになってからは
小鳥が家族でした。

また月日がたち長い間ペットはいませんでした。

最近、久しぶりに小さな生き物を迎え、
あらためていのちって、
温もりや動きだと感じます。
会話はできないけど(でもうちの子は
メスには珍しくベラベラ喋りますが)
表情しぐさで伝わりますね。

存在すべてが愛おしくて
胸がいっぱいになります。
大切にお世話しています。
(c)



メールアイコン 実は私も、今人生で一番
ネコを飼いたいと思ってる時期でして‥‥。
田中さんへのお返事、興味深かったです。

震災以降、一時期は
「非常事態の時に無事に
連れて逃げられるか心配」で
ネコ熱も収まりつつあったのですが、
最近また復活してしまいました。

情けない話、子供も居ないので、
何か守るものを持つことで、
最近のあらゆる情報を見ての不安を
打ち消したい気持ちがあるような気がします。
人恋しいのと同じで、
ネコ恋しいといいますか‥‥。
自分でも飼いたい動機が
すごく不純だと思います‥‥。

元々飼っている人は、
家族と一緒だから飼い犬、飼い猫を守る!
っていう気持ちは自然に生まれて、
そこで自然と人間も
癒されるんだろうな‥‥って思います。

自分の為の不純な動機が
心の中から消えるまでは、
我慢しようと思います。
私の癒しの為だけに利用しちゃうようで、
いやなので‥‥。

もし助けたい子との出会いがあったり、
めぐり会いがあったら、
その時はお世話したいなーって思います。
(yuki)



メールアイコン そうなんですよ、
猫を飼っていてよく思うのです。
「何一つ!!役に立たない!!
 ばかりか、むしろ迷惑かけてばっかり!!
 なのに、こんなに家族中から愛されてる。
 猫ってすごいなあ。」
って。
そして子どもを叱ってばっかりのとき、
「この人だって、最初は
 『いるだけで愛される』
 存在だったじゃないか」
と、反省したりもします。
3.11のときも、
人間の都合におかまいなしの存在があって、
ずいぶんと和んだものです。
ちなみに私と末娘はアトピーで、
お医者さんに
「猫なんかかって大丈夫なんですか!?」
と驚かれたりもしたのですが(笑)、
症状の悪化<猫のいる楽しさ と判断し、
飼うことにしました。
症状はよくも悪くもならなかったので、
判断は間違ってなかった、と思っています。
(ぽち)



メールアイコン 5歳のヨークシャテリア女子がいます。
人間のコトバは話せないけど、
人間のコトバは理解します。
感情を抑えられないときはあるけど、
感情を読み取ることはできます。

その場の空気を読みとる力を
私は彼女から学んでいます。
(りかちゃん)



メールアイコン 我が家には5才のウサギがいます。
基本的には草食動物なので、犬や猫のような、
豊かな愛情の表現力はありません。
それでも名前を呼べば走って来るし、
頭を撫でれば、とろけるような顔をします。
電気のコード、壁紙、柱もかじって食べちゃう
困ったちゃんでもあります。
でも、飼っていてよかった、
といつも感じています。
外出していても「ひぃちゃんが待ってるから
早く帰ろう」と思ったり、
スーパーで新鮮なチンゲン菜を
おみやげに買ったり、
ウサギのことを考えると心が温かくなります。
子育てと同じだとつくづく感じます。
毎日の生活を楽しくさせてくれる、
大切な存在になっています。
飼ってみるまでは想像もできなかったことです。
(ひぃちゃんまま)



メールアイコン 今日のダーリンコラムは心に沁みました。
先月、唯一無二の可愛い可愛い愛猫♂を
病気で亡くしたばかりで
思い考えることがたくさんあったからです。
愛猫は1.8歳という若さだったので、
不憫やら悔しさ、そして、
飼いきっていない物足りなさで
しばらく心は虚しくなりました。
息子(世間では一応COOLな存在)も
泣くし‥‥こんな目に合わせる
「天というもの」を恨んだ時もありました。
そして、大阪能勢にあるアークさんへ行って
愛猫が残したキャットフードを
全部差し上げたりしました。
(オリバーさんともお会いできました)

しかし、愛猫が残した心の穴は
どうしても猫でしか癒されない! との
決心になり、再び仔猫♀を飼い始めました。
動物の命への経験値なんて積
みたくはありません、が、先代の猫の命を
終わりにして思い出にすることは嫌でした。

でも、仔猫を飼ってほんとに良かった!
安らかな寝顔は宝! です。
名前は、先代のニャンコ症候群から
癒してくれる薬草との意味を込めて
「ハーブ」にしました。

これからも世界のイヌを代表して
ブイヨンちゃんを愛して下さいね。
私も世界の猫を代表してハーブを愛します。
(なかおか)



メールアイコン 6/4の今日のダーリン、
すごくひりひり沁みました。

愛することの喜び、尊さを見失った自分には
苦い内容だったなぁ。

生き物を飼うこと、
何かの世話をすることって、
自分が擦り切れていたら
できないことですよね。
その余裕がない自分は、
今バランスを崩してるって
ことなんだろうな‥‥。

家族を愛すること、命を愛すること、
言葉ではイメージできるのに、
実践は本当に難しい。

自分を愛せない人は、
自分以外のものも愛せない。
それを思い出させてもらいました。
今日もありがとうございました。
(H.N:ありがとう!)



メールアイコン 動物から教えられることが毎日のようにある。
教える気なんてさらさらないだろうけど。

うちの猫、男三匹、血のつながりも何もない。
お兄ちゃんは二匹の弟が
ある日突然やってきた。
二匹で固まっているのを遠くで見つつも
そっとほっときながら、
二匹が近づいてきたら顔を寄せ。

挙げ句の果てにはお兄ちゃんの
ちっちゃい胸をお母さんのおっぱいに見立て
チュパチュパ吸い出す弟たちを
優しい眼差しをもって、
頭からお尻まで舐めるお兄ちゃん。

性別や出生、毛(肌)の色、順番‥‥

そんなことが
いままで気になってたことや
反対に気にもとめていなかったことが、
なんとちっぽけでなんと深いことか。

私は少なくとも私のこの人生の中で
三匹に出会えたことは、
私の人生を肯定できる数少ない、
大きな存在であることは間違いない。

そう思う横で彼らは眠り、便をし、
物を倒し、それぞれにしている。
(k)



メールアイコン 動物を家に迎え入れること。
色々な理由を考えていました。

いつも頭の中にあったのは、

「人間の心の隙間を埋めるため」

そんなの人間のエゴだ。
そういう理由で迎え入れられる動物が
かわいそう。
そんな風に思っていました。

5年前にうちにいた愛猫を亡くしてから、
そんなことを考え始めました。
15年前に渡米した際に一緒につれて来た、
私の愛猫。私の運命共同体的存在。

でも、理屈じゃないな、
やっぱり動物がそばにいるっていいな。
なんて、思っているのが
本当のところかもしれません。
(K)



メールアイコン うちの愛犬との散歩では、
今まで自分が話しをしない人に
愛犬は平気で自ら近寄って
挨拶をしに行きます。

その行動は、私には突飛でしたが、
愛犬には自然な事で、その愛想の良さ、
優しさにはかないません。
人を見直すきっかけになりました。
愛犬に鍛えられてます。
(M)



メールアイコン 我が家には20年生きてくれた猫がいましたが、
動物は人間に見えないもの、聞こえない音、
匂いや空気を感じていて、家族を密かに
守ってくれていたような気がします。
人間の言葉も解っているとしか
思えないことがありました。

先日、私はブイちゃん宛に
メールのようなものを送ったりして、
ちょっと変な人なのかもしれませんが‥‥
人間に愛されている生き物(植物も)への
信頼があるから、つい話しかけたくなるのです。

田中さんもぜひ猫を飼って、ゆっくり、
シンプルに話しかけてほしいです。
神社でお願いごとをしている時のように、
素直な気持ちになれますから。
(u)


みなさんのメールを拝見していて、
いま、東日本大震災の後なので、
生命にたいして
すごく真摯に向かい合えているのかもしれない、
と思いました。

たくさんのメールを、ありがとうございました。

さて、「ほぼ日」はおかげさまで、
6月6日に13周年を迎えました
いつもご愛読いただき、ありがとうございます。

あまりお返事やご紹介ができませんが、
postman@1101.comにいただくメールが
毎日、「ほぼ日」を励ましてくれます。

これからもお気軽に、メールをお送りくださいね。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

2011-06-12-SUN

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乗組員みんなで読んでいます。
これからもご意見、ご感想をお寄せください。
アクセスの数字の後ろに「人」の姿が見えると、
乗組員一同、なによりの励みになるのです。

postman@1101.com 宛に送ってもらったメールは、
このコーナーで紹介させていただくかもしれません。
なのでぜひハンドルネームを記入してくださいね。
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「載せちゃイヤ!」と書き添えてください。

ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等の著作権は
翻案権を含んでほぼ日に譲渡されたものとします。
ほぼ日にいただいた原稿、メール(投稿)等は、
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