弱さを受け入れて楽しもう
2011年1月19日(水) 8:12:39
今年は50歳だなぁ、と、去年の終盤から意識していたのだが、そのせいもあるのかな、急に酒が弱くなった。
「自分は酒が強い」というのが自分の中で「自分は男である」というのと同じくらい自明かつレゾン・デートル的だったので、これは実にショックである。呆然とする。愕然とする。自覚するだけならまだいい。他人に言われた。会社の後輩に「さとなおさん、酒弱いすね」と言われた。これは参った。さ、酒が弱い? さけがよわい? サケガヨワイ・・・そんな日本語あったっけか?
脳みそが拒否する。自分がサケガヨワイって何?
・・・まぁそれでもワイン1本くらいはまだ飲めるのよ。でも1本半くらい行ったらもうベロベロだ。つか、強調しとくが「バーボンならボトル1本は行けた自分」なのだ。「日本酒だって一升は行けた自分」なのだ。それがなぁ。ワイン1本半でなぁ。なんだかとっても屈辱的だ。
昨晩も友人とふたりでワイン2本飲んでかなりベロベロ。嗚呼ついに。ついに「酒が強い自分」という自意識を捨てるべきときが来たのか。ジタバタジタバタ。
そんな自意識すぐ捨てろと思う方もいるだろう。強くても弱くても酒は酒、と笑う人もいるだろう。ワイン1本飲めたら充分じゃんと疑問に思う方もいるだろう。でもね。酒を飲み始めて30年。自分=酒が強い、とずっと思ってきたのである。毎日のように飲み、強いことを確認し、自分に刷り込んできたのである。酒は大得意分野だったのだ。意外とすぐには捨てられない。情けないほどその地位にしがみつく。
どっかの雑誌に椎名誠がこんなことを書いていた。
「(海岸で草野球をやっていて)去年までは若者たちとホームラン競争をやっていたのに、今年、急に打てなくなった。チームのお荷物になった。呆然としている」椎名さんもこの自意識、すぐには捨てられずジタバタするんだろう。
というか、ガキの頃から野球とか抜群にうまくてプロになった人が「自分の衰え」を知って引退を考えるとき、こんな呆然とした感じなのだろう。人生ずっと得意分野だったことが急に出来なくなるこのショック。
老人たちって「いろんなことが出来なくなっていく過程」を生きているんだなぁとふと気がつく。
自分がそうなってきてみて急に「自分ごと」としてわかった。いままでもわかってたつもりだったけど浅かった。こんなに悔しいものなのか。彼らはこの悔しさにじっと耐えているのか。
仕方ない。弱さを受け入れて楽しもう。
弱いなりの楽しみがたくさんあるはず。今年はそういう第一歩を踏み出す年でもある。
というか、これって「日本」にも言えるよね。経済的に世界トップだったのに、ふと気がつくといろいろ出来なくなっている。悔しいしジタバタする。でも、きっと、その「弱くなった自分」を受け入れた先に、違う幸せがある気がする。