政党政治と満洲事変の関係が良く整理されており
勉強になりました。
1928年3月の「木曜会」で「満洲に完全なる政治的勢力を
確立する」という決定から1931年12月の若槻礼次郎内閣の
閣内不一致による総辞職までを描いています。
上記の流れで政党政治は民政党の浜口雄幸、若槻礼次郎に
至る流れ、軍部は宇垣派の南陸軍大臣金谷参謀総長と反宇垣派
であり永田鉄山を中心とする位置一夕会の中堅幕僚との対立を軸
に綺麗に事象を整理して満洲事変と政党政治を描いています。
満洲事変の流れを描いた著作は多いですが、南満州から北満洲占領
に至るまでの流れとその間の政党政治の動きがよく整理された著作が
意外と少ないので本書は勉強になりました。
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満州事変と政党政治 軍部と政党の激闘 (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2010/9/10
川田 稔
(著)
激闘86日。万策尽き政党政治は終焉した。従来考えられていた以上に堅固だった戦前政党政治が、なぜ軍部に打破されたのか。そこには陸軍革新派による綿密な国家改造・実権奪取構想があった。最後の政党政治内閣首班、若槻礼次郎の「弱腰」との評価を覆し、満州事変を画期とする内閣と軍部の暗闘が若槻内閣総辞職=軍の勝利に至る86日間を、綿密な史料分析に基づき活写する。(講談社選書メチエ)
- ISBN-104062584808
- ISBN-13978-4062584807
- 出版社講談社
- 発売日2010/9/10
- 言語日本語
- 本の長さ268ページ
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2010/9/10)
- 発売日 : 2010/9/10
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 268ページ
- ISBN-10 : 4062584808
- ISBN-13 : 978-4062584807
- Amazon 売れ筋ランキング: - 521,248位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2016年12月4日に日本でレビュー済み
2011年6月6日に日本でレビュー済み
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浜口雄幸と永田鉄山では、浜口雄幸を尊敬している著者の思いを非常に感じたが、
こちらの作品では永田鉄山に恨みがあるのでは・・と感じてしまうほどの著者の研究の偏りを感じた。
真っ黒なレビューもさくらっぽい・・印象を受けてしまう。
歴史学者とは、「公正」な物の見方が出来る「頭脳明晰」な人間がなるものかと思っていたが、
著者の作品を読ませていただくと、疑問が出てきた。
国防と言う観点の軍隊の意味は、平和ボケ日本人には理解が難しいのだろうか。
こちらの作品では永田鉄山に恨みがあるのでは・・と感じてしまうほどの著者の研究の偏りを感じた。
真っ黒なレビューもさくらっぽい・・印象を受けてしまう。
歴史学者とは、「公正」な物の見方が出来る「頭脳明晰」な人間がなるものかと思っていたが、
著者の作品を読ませていただくと、疑問が出てきた。
国防と言う観点の軍隊の意味は、平和ボケ日本人には理解が難しいのだろうか。
2014年11月22日に日本でレビュー済み
歴史教科書的な一般的理解だと、満州事変は陸軍に引きずられ、その後大戦への引き金となった・・・ということだが、そう単純でもない。本書は柳条湖事件(1928年)から五・一五事件(1932年)での政党政治崩壊までを扱う。
政治家もただ徒に軍部に従ったわけでもなく、陸軍の中にも国際世論を気にする不拡大派もいた。満蒙侵出を推したのは永田鉄山ら一夕会の企図が働いていたことがよくわかる。当時の政党の対立構造や、若槻内閣の総辞職の背景説明など、素人にも大変わかりやすかった。写真や図版など多い。
政治家もただ徒に軍部に従ったわけでもなく、陸軍の中にも国際世論を気にする不拡大派もいた。満蒙侵出を推したのは永田鉄山ら一夕会の企図が働いていたことがよくわかる。当時の政党の対立構造や、若槻内閣の総辞職の背景説明など、素人にも大変わかりやすかった。写真や図版など多い。
2010年10月5日に日本でレビュー済み
刺客に襲われ志なかばで病没した濱口雄幸の遺志を継ぐべく、外相幣原喜重郎、蔵相井上順之助ら濱口の主要閣僚が留任した民政党による第二次若槻禮次郎内閣が発足した。再び台閣に立った若槻自身は、財政家(もと大蔵次官)で男爵として貴族院に議席を持つが、一貫して政党政治家として行動している。
濱口は明確な外交、内政のビジョンを描いており、それは国際社会との協調と中国への内政不干渉を柱とする幣原外交、財政の整理と国際競争力の向上を企図した井上財政という形で着実に実行されていた。また、陸軍大臣の宇垣一成とその党派は民政党内閣と協調しており、さらに元老の西園寺公望と暗黙のうちに呼吸をあわせていた大戦間期の政党政治の体制はかなり強固なものであった。
本書はその強固であったはずの政党政治が、陸軍によって打破される過程を描写する。満洲事変こそが、その劃期をなす事件であった。
まず、著者によれば満洲事変はひとり関東軍が暴走したものではなく、軍中央(陸軍省、参謀本部)の主要実務ポストと関東軍の高級幕僚を占めていた反宇垣派の陸軍中堅幕僚グループ「一夕会」によって計画、実行されたものであるという。一夕会の中心人物として、著者は永田鉄山の名をあげる。
永田もまた明確な国防構想とそれに基づく国家改造のプランをっていた。(濱口と永田、二人の路線の相克は同じ著者の『 浜口雄幸と永田鉄山 』に詳しい)
自派で要職を固めた陸軍中堅幕僚グループは事変を惹起し、宇垣派のトップをも含めた陸軍全体を、ひいては国論を「満蒙領有」と国家改造へと引きずろうとする。攻める陸軍中堅幕僚グループ。守る若槻内閣は先手をとられ後退を余儀なくされるが、著者によれば事変の勃発から三ヶ月のうちに体勢を立て直していたという。宇垣派の陸軍トップとの協力関係を再度樹立した内閣は関東軍の満洲全域への展開の阻止に成功し、事態は膠着の様相を見せる。
が、ここで思いもかけぬ事で若槻内閣が崩壊する。陸軍の統制に苦慮していた若槻はより強力な体制を求めて野党政友会との連携を主要閣僚の安達内相に諮った。これが隙になった。幣原外相、井上蔵相に反対された若槻首相はただちに政友会との接触を断つよう安達内相に伝えるが、なぜか安達は連立内閣にこだわり閣議にも出てこない。やむなく若槻内閣は閣内不統一を理由に総辞職する。
著者は、この謎の行動の陰に一夕会が関与した可能性を指摘する。若槻の回顧録『 明治・大正・昭和政界秘史 』にはあっさり書かれているこの出来事も、満洲事変を巡る陸軍中堅幕僚グループと政党政治の暗闘の中に位置づけるとかなりスリリングだ。
本書では数多くの人物、出来事、事件、当事者や周辺の人物の証言を紹介しており、これまで単に関東軍に引きずられていたやに思われていた日本国内においてこそ、事変を巡って激闘が演じられていたことを鮮やかに描いている。ここでは、その一部だけを紹介しようとして、かなりの長文となってしまった。是非、全文に目を通していただきたいと思う。
濱口は明確な外交、内政のビジョンを描いており、それは国際社会との協調と中国への内政不干渉を柱とする幣原外交、財政の整理と国際競争力の向上を企図した井上財政という形で着実に実行されていた。また、陸軍大臣の宇垣一成とその党派は民政党内閣と協調しており、さらに元老の西園寺公望と暗黙のうちに呼吸をあわせていた大戦間期の政党政治の体制はかなり強固なものであった。
本書はその強固であったはずの政党政治が、陸軍によって打破される過程を描写する。満洲事変こそが、その劃期をなす事件であった。
まず、著者によれば満洲事変はひとり関東軍が暴走したものではなく、軍中央(陸軍省、参謀本部)の主要実務ポストと関東軍の高級幕僚を占めていた反宇垣派の陸軍中堅幕僚グループ「一夕会」によって計画、実行されたものであるという。一夕会の中心人物として、著者は永田鉄山の名をあげる。
永田もまた明確な国防構想とそれに基づく国家改造のプランをっていた。(濱口と永田、二人の路線の相克は同じ著者の『 浜口雄幸と永田鉄山 』に詳しい)
自派で要職を固めた陸軍中堅幕僚グループは事変を惹起し、宇垣派のトップをも含めた陸軍全体を、ひいては国論を「満蒙領有」と国家改造へと引きずろうとする。攻める陸軍中堅幕僚グループ。守る若槻内閣は先手をとられ後退を余儀なくされるが、著者によれば事変の勃発から三ヶ月のうちに体勢を立て直していたという。宇垣派の陸軍トップとの協力関係を再度樹立した内閣は関東軍の満洲全域への展開の阻止に成功し、事態は膠着の様相を見せる。
が、ここで思いもかけぬ事で若槻内閣が崩壊する。陸軍の統制に苦慮していた若槻はより強力な体制を求めて野党政友会との連携を主要閣僚の安達内相に諮った。これが隙になった。幣原外相、井上蔵相に反対された若槻首相はただちに政友会との接触を断つよう安達内相に伝えるが、なぜか安達は連立内閣にこだわり閣議にも出てこない。やむなく若槻内閣は閣内不統一を理由に総辞職する。
著者は、この謎の行動の陰に一夕会が関与した可能性を指摘する。若槻の回顧録『 明治・大正・昭和政界秘史 』にはあっさり書かれているこの出来事も、満洲事変を巡る陸軍中堅幕僚グループと政党政治の暗闘の中に位置づけるとかなりスリリングだ。
本書では数多くの人物、出来事、事件、当事者や周辺の人物の証言を紹介しており、これまで単に関東軍に引きずられていたやに思われていた日本国内においてこそ、事変を巡って激闘が演じられていたことを鮮やかに描いている。ここでは、その一部だけを紹介しようとして、かなりの長文となってしまった。是非、全文に目を通していただきたいと思う。
2010年9月23日に日本でレビュー済み
満州事変のメカニズムがくっきり見えるような快感。この時期を扱った類書では味わえないほど分かりやすい。具体的なポイントを押さえて説明してあり経緯がよく理解できる。戦争を避けるための人間の努力がギリギリまで続けられ、平和への選択肢が実現可能であったことが見えてきて、それが歴史への希望を与えてくれる。同時に、それが当時の民衆には見えなかったということが、現在の私達への教訓にもなる。
一例をあげると、戦争への選択肢を実現した張本人である石原莞爾は個人的なカリスマ性に包まれいて事変の実態を見えなくする要因にもなっていた。この本は石原の行動を一夕会の組織の一員としてのそれとして捉えることによって、彼の等身大の実像に近づいている。石原人気は現在も続いているが再考を促すだろう。
軍部の謀略と政党政治の実相を民衆が知っていたら世論の流れは違っていたに違いない。私達が市民として成熟するために、この本は基本教材でないだろうか。さらに、ここで描かれた平和への戦いを隣国の国民にも知ってもらうことは議論の公共空間を形成していくうえでも必須のことだと思う。
一例をあげると、戦争への選択肢を実現した張本人である石原莞爾は個人的なカリスマ性に包まれいて事変の実態を見えなくする要因にもなっていた。この本は石原の行動を一夕会の組織の一員としてのそれとして捉えることによって、彼の等身大の実像に近づいている。石原人気は現在も続いているが再考を促すだろう。
軍部の謀略と政党政治の実相を民衆が知っていたら世論の流れは違っていたに違いない。私達が市民として成熟するために、この本は基本教材でないだろうか。さらに、ここで描かれた平和への戦いを隣国の国民にも知ってもらうことは議論の公共空間を形成していくうえでも必須のことだと思う。