石上神宮
石上神宮は、奈良県天理市布留町に鎮座。
祭神は、布都御魂大神・布留御魂大神・布都斯魂大神。
相殿に宇麻志麻治命・五十瓊敷命・白河天皇・市川臣を配祀。
「延喜式」神名帳山辺郡「石上坐布都御魂神社名神大、月次相嘗新嘗」に比定される。
また、摂社「出雲建雄神社」も延喜式内社。
主祭神の布都御魂神とは、 武御雷神が所有する神剣「韴霊」のこと。崇神天皇の代に、宮中に祀られていたこの剣を、物部氏の祖・伊香色雄命に命じて、石上の高庭に遷し祀らせたという由来が伝わっている。このことにより、物部氏は石上神宮を氏神として仰ぐようになったという。
石上神宮と物部氏の話は、『日本書紀』にも出てくる。垂仁天皇の代、五十瓊敷命に一千口の剣をつくらせて石上神宮に納めさせた。五十瓊敷命は、それを管理するようになったが、老齢になったため妹の大中姫命に神宝の管理を頼んだ。しかし姫に辞退されたため、物部十千根大連に委ね、以後は物部氏が石上の神宝を治めることになった。
石上神宮の代表的な神宝に、七支刀(国宝)がある。これは、銘文に「泰和四年」(369)の年号と、百済王と倭王の名が記された、古代の日朝関係を物語る貴重な遺品である。こうした多数の武器が奉納されていたため、大和朝廷の武器庫という役割も担っていたと考えられる。
中・近世には、戦火の被害や神領没収などにより衰退していたが、明治時代になって神宮号の復称も許されて、社運を盛り返した。
1874年(明治七)には、「韴霊」が埋斎されているとの社伝がある禁足地の発掘を英断。もともと本殿はなく、拝殿後方の禁足地に主祭神を祀っていたが、発掘によって神剣が出土したため、本殿を新たに建てることになった。「神と仏の道を歩く」より
[摂社]出雲建雄神社
出雲建雄神
[末社]猿田彦神社
主祭神:猿田彦神 配祀神:底筒男神、中筒男神、上筒男神、息長帯比売命、高靇神
[摂社]天神社(西面)
高皇産霊神 神皇産霊神
[摂社]七座社(北面)
生産霊神 足産霊神 魂留産霊神 大宮能売神 御膳都神 辞代主神 大直日神