「暴力装置」についての政治学講座

富崎隆氏(駒澤大学教授)による「暴力装置」についての解説。 Twitter熱中教室。
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Tomisaki Takashi @tomi_polisci

何か、「暴力装置」という言葉が、政局となっているみたいですね。@sugawarataku さんと同様、政治学者としては、「は?」という感じです。(笑)そこで、少し解説。@sekohiroshige

2010-11-19 01:25:41
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)「国家」が、社会的装置として、企業その他の社会集団と区別できるのは、「一定の地域・住民」に対し「正統的暴力」を独占している、という点にあります。これは、ウェーバー以来、政治学では、最も通常の定義です。なお、(国際政治上の)「国家主権」の本質的意味もそこにあります。

2010-11-19 01:26:37
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)よって、国家を社会的装置とするならば、軍隊および警察(検察)が先の意味での国家機関の中核であり、「暴力装置」である、というのは、左翼とか右翼とかいう話ではなく、政治学における標準的見解でしょう。というか、事実としかいいようがない。

2010-11-19 01:27:22
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)なお、社会において「正統的暴力の独占」が実現されていない状況は、一般に「無法状態」となります。そして、このような状況では、成員は「万人の万人に対する闘争」を通常避けられず、自らの生命と財産を維持することが困難です。

2010-11-19 01:28:32
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)よって、我々にとってこの意味での「(正統的暴力の独占を実現する)国家」は(成立していないと、自分自身の生命維持さえ困難となってしまうという意味で)不可欠の社会的装置といえます。

2010-11-19 01:30:27
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)一方で、「暴力を独占」した「国家機構」は、その圧倒的権力から、歴史的にもしばしば大量にその成員を殺害してきましたし(ヒトラー・スターリン・毛沢東・ポルポトは、現代史における悲劇的実例)、現代でもいわゆる「非自由民主主義体制」国家では、一般にしばしば住民を殺害・拘束しています

2010-11-19 01:33:00
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)つまり、「一定住民・地域における正統的暴力独占」という意味での「国家装置」は、我々人類にとって想像し得る限り恐らく永遠に「不可欠」なものでしょうが、一方でその性質上、成員の殺害を含む「権利侵害」をする可能性をもつという意味で「危険」なものでもある、ということです。

2010-11-19 01:36:40
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)そして、いわゆる「民主化」とは、この「暴力装置」を、「自由で競争的」選挙によって選出された政治的リーダー(文民政治家)が制御することに、その本質があります。それは、「民主化」表現する古くからの言葉「bulletからballotへ(弾丸から得票へ)」に表われています。

2010-11-19 01:38:28
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)ちなみに、「国際社会」がアナーキー(無法状態)的である、という国際政治学における前提も、その本質的意味は、人類社会において、「正統的暴力の独占」を果たす「世界政府」がない、ということです。戦争の基本的原因も、ここにあります。この辺は、一般の人には別の解説が必要でしょうが..

2010-11-19 01:40:49
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

「暴力装置」問題,ちょっと追加(笑)。『国家のゆくえ』でも解説してますが,拙著では他に『現代の政治学3 比較政治学と国際関係』という,学部生向けのテキストでも少し解説してます。97年出版ですから,13年前ですが。参考までに。http://amzn.to/dCHxYX 

2010-11-19 17:41:29
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)『現代の政治学3』から,以下引用(79頁)。私の担当章で,「国家」や「民主政」定義等を確認した後,以下のように締めくくりました。「..こんにち,(特に自由民主主義体制国間での)国家主権の相対化という歴史的潮流が観察できる。しかし,

2010-11-19 17:43:12
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)しかし,我々が秩序維持の何らかの機構を必要とする以上,..「国家」に類する制度の有効性は基本的に不変であろう。規模や社会のあり方,領域が変化することはあっても,(暴力の管理という意味での)「統治」の契機が消滅することは将来にわたってありそうにないのである。」引用おわり

2010-11-19 17:44:11
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)「暴力の管理」こそ「国家」の中核的機能であり,「政治学」が考えねばならない,ど真ん中の課題である,と私自身は考えています。その社会的重要性は,この問題から,(戦争だけでなく,国内的抑圧によっても)20世紀だけでも数千万人以上の人命が失われてきたことからも,明らかです。

2010-11-19 17:45:49
Tomisaki Takashi @tomi_polisci

(続)その意味での「国家」は,歴史的にみてどう作動してきたのか。望ましい「国家」の在り様とは何か。そして,それは,「自由」「民主政」「戦争」「テロ」といった問題とどのように関わっているのか,いるべきなのか,政治学はそういった課題と対峙しています。

2010-11-19 17:46:25