恥ずかしながら、私には2回、失業した経験がある。2回ともハローワークに通い、失業保険のお世話になった。

 本稿は、最初の失業時の体験に基づく特許の話である。私は2002年10月に日立製作所を早期退職した(その顛末は本連載の最初に詳述した)。その後、半導体エネルギー研究所という会社に転職した。

 失業中に、私は22の会社に履歴書を送ったが、すべて空振り。半導体エネルギー研究所は、23通目の履歴書を送った会社であり、初めて面接に到達し、そして採用された会社だ。

 半導体エネルギー研究所は、半導体や液晶などの研究開発を行い、その結果を基に特許を取得し、基本的にその特許の権利行使だけで利益を上げ続けている極めて珍しい形態の会社である。

 仕事は刺激的で面白かったのだが、社長の山﨑舜平氏とウマが合わず、「明日から来ないでくれ」と言われ、転職してからたった半年で退職することになってしまった。その結果、2003年4月に(目出度く?)失業した。

 短期間であったが、半導体エネルギー研究所では強烈な体験をした。特に特許については、頭をガツンと殴られ、それまでの価値観が粉々に砕け散った思いがする。

「君の特許は全部ゴミだ」

 入社前の面接で、まず先制パンチを食らった。応接室に入ると、分厚いパイプ式Gファイルが5~6冊ほど机の上に立ててあった。そして、開口一番、山﨑社長はこう述べた。

 「これは、日立で君が出願したすべての特許だ。55件ある。全部読んだよ。すべてゴミ特許だ。一文も稼ぐことができないよ」

 筆者は、実は、特許には相当の自信を持っていた。日立では、特許の重要性に応じて、A(最重要、戦略特許、国際出願)、B(重要、国際出願)、C(国内出願)、D(国内出願を検討)、E(出願保留)とランクをつける。筆者は、AおよびB特許を数多く出願していた。特許で表彰されたことも何回かあった。