「感情失禁」*1という医学用語をご存じでしょうか。
「感情失禁」とは、普通だったら反応しないであろう僅かな刺激にも反応して、笑ったり泣いたりしてしまう状態を指します (例えば今日の天気の話をしているだけなのに、急に泣き出してしまったりとか) 。脳の血流が悪くなるタイプの認知症などでは、こうした症状はそう珍しくありません。
さて、この「感情失禁」ほどの著しい症状があれば脳の機能不全が疑われますが、そこまでではないにしても、人間には、自分の感情が制御しづらくなる瞬間がままあります。「泣きっ面に蜂」という諺もありますが、失恋した後・怒った後・睡眠不足の時などに、感情の手綱が甘くなってひどい失敗をやらかしてしまうのはよくあるパターンです。また、今回の震災による持続的なプレッシャーのもと、普段より喜怒哀楽が激しくなってしまい、やけに攻撃的になったり不自然なほど涙もろくなったりしている人もいるように見受けられます。
参っている時のtwitterは、感情を“お漏らし”してしまいやすい
ここからが本題。
twitterって、こういう「参っている時に感情を“お漏らし”してしまうリスク」が高いと思うんですよ。感情が制御しづらい時に、「泣きっ面に蜂」が起こりやすいツールというか。
これが、blogやwebsiteにまとめる記事だったら、書くのも推敲するのも時間もかかるぶん、自分の感情を振り返って修正するチャンスがありますし、記事をまとめているうちに気持ちの高ぶりがおさまってくる可能性も期待できます。また、「他人に読まれる文章」という意識も喚起しやすいかもしれません。ところがtwitterの場合、思いついたらすぐツイートしてしまえるので、そのぶん、ダイレクトに感情が反映されてしまうリスクが高いのではないでしょうか。
また、twitterは外出中・飲酒状態・布団の中でもツイートできてしまいますから、自分自身のコンディションが良くない状況下でもインターネット上に安易に投稿してしまいやすいと言えます。一般に、気軽に投稿できるというtwitterの特徴は長所とみなされがちですが、感情を“お漏らし”して、暴投ツイートをやらかしてしまうリスクを考えるなら、短所でもあるかもしれません。
そして、これはネットメディア全般にも当てはまりますが、独りぼっちの状況下でのツイートは、第三者に検閲してもらうチャンスもたしなめてもらうチャンスもありません。twitterで炎上必至な“お漏らし”をしていても、止めてくれる人はいないのです*2。
今回の震災のように、不安やプレッシャーが長期間のしかかって感情が制御しづらい時には、一時的に自己検閲能力が低下するのが普通ですし、えてしてそういう時ほど、誰かに自分の声を聞いて貰いたいと思ってしまうものです。私個人も、一連の地震に際してtwitterがユルユルになってしまい、後から随分反省しました。メディア慣れしているプロの人々でさえ、普段とは雰囲気の違うツイートを繰り返していたところを見ると、不安やプレッシャーを抱えた状態でのtwitterは、とても難しいのかもしれません。
感情が制御しづらい時には、本当はtwitterには触らないほうがいいんでしょうね。
お手軽そうに見えて、そういう所は難しいツールだと思いました。
情緒不安定な時にtwitterを制限するツールがあれば…
ところで、情緒が不安定になっていて感情を“お漏らし”しそうな時に、ユーザーのtwitter投稿を制限してくれるツールがあったら便利だと思いませんか?もし、そんなツールが普及していたら、今回の震災でも、少なからぬ人が“お漏らし”を免れていたかもしれません。ユーザーのメンタルコンディションをモニタリングできなければならないので、実現は難しそうですが。
尤も、人間って一番冷静じゃない時に「私は冷静だ」「私は合理的に行動している」と語ってみせるものですから、そんな便利ツールがあったとしても、ツールの警告を無視してまで“お漏らし”ツイートする人が出てくるような気はします。
慌てている時やビビっている時ほど、理性や判断力が感情に乗っ取られてしまいやすいですからね。