俺と「水曜日のエミリア」

水曜日のエミリア見てきたぜ@シネ・リーブル梅田にて。
ムカデ人間と二本立てで見たのですが、ムカデ人間が圧倒的に男の観客が多かったのに対して当然本作は女性比率が高かったです。


多くの人がそうであるように、映画の登場人物が魅力的ならば魅力的なほどその立場に感情移入しながら映画を鑑賞するわけですが、本作はその間のとり方(キャラクターへの感情移入の度合い)が非常に巧い作品だと感じました。当然ながら物事には多様な立場があってしかるべきなのですが、多くの映画の中では一面的な善と悪の描写しかされていないだけに、どちらかの立場に偏った見方になってしまいがちです。(物語的なカタルシスが得られるという意味でも当然の手法)
本作でも、”主人公のエミリアが義理の息子(ウィリアム)との信頼性を確立するために敵役である前妻のキャロリンをやり込めて、ウィリアムとの信頼関係を確立してハッピーエンド”と安易な結末に着地したとしてもそれなりのカタルシスがえられたとは思います。(それだけキャロリンを演じるリサ・クドローの憎憎しくて傲岸不遜な演技が素晴しい。)



(このヒステリック犬顔高慢ババァと怒鳴りたくなる名演技)


でも、実際の人間関係は善悪があっさり割り切れるそんな一面的なものではない訳で、エミリア自身にも不機嫌で他人につらく当たる部分も当然あります(特にウィリアムに対して)。中盤から後半にかけてその感情的に不安定なエミリア(この不安定なエミリアがキャロリンとかぶるんだよ)を全面に押し出しているからこそ、ラストのキャロリンの行動が救いとして重要な意味を持ってくるのかなと思います。
エミリアの情緒不安定な部分の一員がわが子(イザベラ)を失ったことが要因となっているように、キャロリンのエミリアに対するヒステリックな行動も我が子であるウィリアムが自身の手を離れていくのではないかという恐怖に起因しているのかなと…。そういう意味でも救いを与える人物がキャロリンとなっているのは、職業上必然のある展開という以上に、非常に深い意味があるのかなと思ったり…。(キャロリンは自身の妊娠で新たな道を進み始めている)

エミリア−キャロリン間だけでもこんな重層的な関係が描かれているのに、エミリア−ウィリアムの信頼関係が徐々に作られていくストーリーが更に素晴らしいのですよ(ウィリアム役のチャーリー・ターハンも素晴らしい演技)。正直、前半部分の恋愛パートで舐めてかかってた部分があっただけに、後半の怒涛のたたみかけはものすごく印象に残る作品でした。個人的にはブラックスワンよりもグッと来るところが多かった作品です。



(この継母−継子間のやりとりがまた率直でいいんだよなぁ…)