気仙沼に行きました2 | 中島みゆき(記者)です。

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気仙沼への第一歩。滞在4時間ではありましたが、決定的にわかったことは「行かなければわからないことがある」ということです(当たり前ですが)。

今回の場合、それはこれ↓。
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水没した港湾地域を歩くと、ごぼごぼという音がところどころでしています。最初は、水没してもなお地下水が湧いて出ているのかと、ちょっと映画「アレクセイの泉」を思い出したりしましたが、どうやらそうではなく、これが現地の人を苦しめる海水なのだと知りました。

気仙沼は公式には0.7メートルの地盤沈下と言われていますが、実際には1.5メートル以上下がっている感じです。下水道など海へ向かっている配管が勾配を保てなくなり、満潮時に海水が逆流してくる現象がこれなのです。海水は海沿いの道にも上がってきて、車が通れなくなることもしばしば。「ここから駅までタクシーで何分ですか?」と聞き「普通は5分だけど、迂回することも考えて、もうちょっとみといた方がいい」と普通に返ってきた時は「う~~~ん」と思ってしまいました。日常のこんなレベルまで影響があるのです。
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気仙沼の歴史は埋め立ての歴史。港近くに集積している漁港施設が津波被害を受け、わずかに残った建物も、津波によって2~3階まで破壊されており再び使えるようになるのかどうか微妙な状態。そればかりか、この地域全体をどうすればよいのか。。。水没地域には1メートルくらい砂利を積んだ作業道が設置されていますが、これも崩れては積み、崩れては積み…の繰り返しだそうです。

「産業の中心がやられちゃったからね」と、タクシーの運転手さんが言います。漁業、水産加工業など漁業関連会社、漁業関係者が使う飲食店などを含めると、気仙沼の経済の7~8割が漁業に依存しているのだそうです。雇用も何も、まずこの水をどう考えるかということ抜きでは考えられません。
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「高台移住」含め、東京では復興関係の会議が開かれています。でも現地では行政の手当を待ちきれない人々が、津波に1階を流された家の2階に戻って暮らし始めています。まだまだ水がひかない中で、余震の可能性もあると言われる中で、です。「これからは自分たちで暮らしを作っていかなければならない」という声も聞きました。現地の実情に即して機動的に復興できる道が開ければいいと思います。「中央」がこんな状態の現在、それはもう地元先行で行くしかないのかな、という感触も持ちました。

水没した地域の向こうに見える船。港を行き来する灯りが、復興への希望を担っているように見えました。