芥川龍之介 『上海游記・江南游記』
大正7年の谷崎潤一郎に続いて、大正10(1921)年3〜7月、芥川龍之介は大阪毎日新聞の特派員として、中国各地を旅行した。『上海游記・江南游記』 は芥川が帰国後に執筆、新聞に連載した紀行文を中心にまとめた本である。
上海の日本人倶楽部に、招待を受けた事がある。(中略) ――卓子(テエブル)を囲んだ奥さん達は、私が予想していたよりも、皆温良貞淑そうだった。私はそう云う奥さん達と、小説や戯曲の話をした。すると或奥さんが、こう私に話しかけた。
「今月中央公論に御出しになった『鴉』と云う小説は、大へん面白うございました。」
「いえ、あれは悪作です。」
私は謙遜な返事をしながら、「鴉」の作者宇野浩二に、この問答を聞かせてやりたいと思った。
芥川龍之介 『上海游記』 十九 日本人
上海に到着早々、腹膜炎を患い3週間も入院したようだが、その後の上海では俄然飛ばしている。上に引いたように、読者へのサービス精神も事欠かない。明るい芥川である。
だが、江南(杭州)の旅は、大都会上海と違って、彼にとってはアウェイであった。案内者はいるものの周囲に日本人は少なく、言葉も文化も異なる環境へ放り込まれて、芥川のストレスは徐々に高まっていく。
何時か蘇峰先生の「支那漫遊記」を読んでいたら、氏は杭州の領事にでもなって、悠々と余生を送る事が出来れば、大幸だとか何とか云う事だった。しかし私は領事どころか、浙江の督軍に任命されても、こんな泥池を見ているよりは、日本の東京に住んでいたい。……
芥川龍之介 『江南游記』 七 西湖(二)
谷崎が絶賛した西湖だって、芥川にとっては 「泥池」 である。そのうちに、案内者と喧嘩を始めたりする。ひどい話である。
しかし、それでも時が経つにつれ、彼もまた彼なりの仕方で、中国を愛し、かの地に懐かしささえ覚えるようになって行く。北京に着いた頃には、《支那服》 を着こんでいるのである。
辜鴻銘先生という人に面会したとき、彼はこんなことを言われるのだ。
……僕の支那服を着たるを見て、「洋服を着ないのは感心だ。只憾(うら)むらくは辯髪がない。」と言う。
芥川龍之介 『北京日記抄』 二 辜鴻銘先生
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本書はそんな可愛い芥川龍之介が最初から最後まで登場する(当たり前だが)素敵なノンフィクションなのである。
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