論理的思考の一つの特徴、二つの目的

論理的思考とは他者が自分の思考過程を検証できるように思考を進めていくこと、あるいは、そのような思考の進め方のことを言う。他者が自分の思考過程を検証できるようにするということが論理的思考の特徴である

なぜ、論理的思考が必要になるのかと言うと以下の二つがその理由

  1. 説明:自分の考えていることを他人に理解してもらうため
  2. 可視化:何かを考えるときに「他人の目」を自分の内部に導入するため

そもそも、他人に説明したり、理解してもらう必要がないならば論理的に思考する必要はない。直観や霊感にしたがって何でもやれば良い。でも、他人に理解してもらうため、あるいは納得してもらうためには、自分がどういう理由で、何を、どう考えたのかを相手にわかる形で示さなければならない。

他人が自分の思考過程を検証できるように思考を進めていくと、自分の思考過程が可視化される。可視化することにより、一歩引いた視点で、検討範囲に漏れはないか?思考の途中に飛躍がないか?現在、結論へ向かって思考が進んでいるか?などを確認することができる。この結果、可視化しないときよりも、より網羅的に、より厳密に、より深く思考を進めることができる。

論理的思考は何と違うのか?

  • 論理的思考は批判的思考(クリティカルシンキング)と同じではない
    • 批判的思考は、自分あるいは相手の主張を鵜呑みにせず、その真偽や妥当性を検討するという思考方法。検討の際に論理的思考を使うこともある。
  • 論理的思考は証拠に基づく〜(Evidence-based 〜 )と同じではない
    • 証拠に基づく医療や証拠に基づく経営は、先入観を排して、まずは観測を行い、観測結果に基づき有用性や妥当性を検討するという方法論。検討を行うときには論理的思考を用いる。
  • 論理的思考できる人が批判を受け入れられるとは限らない
    • 自分の思考過程の誤りを指摘されたときに、それを受け入れられるかどうかと論理的思考ができるかどうかは別の話
    • ただし、論理的思考をできる人の方が、思考過程の誤りを認識することができるので、その指摘を受け入れやすい可能性はある

おわりに

デマこいてんじゃねえ!:自分を論理的だと思っている人へ/論理的思考は魔法の杖ではないって話を読んでもやもやしたので書いた。論理的思考に対する批判ではなくて、「自分を論理的だと思っている人」がやりがちな振る舞いに対する批判。

追記1:「どう考えるのか」と「何をどうやって相手に伝えるか」は別の話

私は「どう考えるのか」と「何をどうやって相手に伝えるか」は別の話と考えているので、この部分を混ぜて論じているとモヤモヤする。

デマこいてんじゃねえ!:自分を論理的だと思っている人へ/論理的思考は魔法の杖ではないって話で悪い例として挙げられているのは、自分が考えたことを相手にどう伝えれば良いかを検討せずにそのまま伝えるという態度であり、これは論理的思考ができるかどうかと関係ない。

kotaの日記:論理的思考の使いどころで述べられている使いどころの1つ目と4つ目は、「どう考えるのか」と「何をどうやって相手に伝えるか」が混ざって論じられている。

追記2:論理的、非論理的、理性的、感情的

論理的と感情的は対義語ではない。論理的の対義語は非論理的 or 直感的。コンサルティングでお馴染みの2×2行列で表すと以下のようになる。

理性的 感情的
論理的 1 2
非論理的 3 4

1の理性的かつ論理的は、多くの人がイメージする「論理的」。論理的に考えると他者の目を意識することになるので、理性的になりやすいが基本的には独立した性質。2の感情的かつ論理的はあり得るのだけど、これも「論理的」であるとはみなされない。感情という絶対的な前提から論理的説明を組み立てるため、自説の取り下げや修正を行わないことが多いので「論理的」じゃないとみなされるのかも。3の理性的かつ非論理的というのは、思考段階としてはあり得ないが、説明・コミュニケーションの段階では良くある。頭で考えていることを誤解なく相手に伝えるには訓練が必要。4の感情的かつ非論理的というのは「感情的」の典型的なイメージ。

論理的思考力を鍛えるという観点からすれば、主張や発端が理性的だろうが感情的だろうがどちらでも良い。

追記3:論理的と理論的

論理的は「logical」、理論的は「theoretical」。理論的の対義語は実践的(practical)あるいは経験的(empirical)。

  • 実際にやっているかどうかに着目:理論的と実践的
  • 理屈から攻めるか、実際に体験したことから攻めるかに着目: 理論的と経験的