2010-11-18 Thursday

テキストサイト衰退の原因 最終結論

 10年ほど前に人気を博していたテキストサイトはなぜ同時期に衰退していったのだろうというのは、個人ニュースサイトで取り上げられる「昔のインターネット」というテーマよりはかなり頻度が低いものの、たまに語られる話である。
 私自身としては、私を含め、皆、それぞれ別の環境にいたのに、示し合わせたように似たよう曲線を描いて更新頻度を低下させていったことをずっと不思議に思っていた。
 ブームの到来を2000年(実際は侍魂がブレイクした2001年だと思うが)と考えると今年は10年目で切りがよく、あの輝かしい日々から月日が流れて当時の自分を冷静な目で俯瞰した位置から見られるようになり、末席ながらブームの中にいた人間として私が抱いていた理由から推測される最大公約数的理由というのがなんとなくまとまったので記したいと思う。なお、今後改めて考える予定はないので最終結論とした。

書くことがなくなった

Photo by:工藤隆蔵

 多くのテキストサイトは自分の過去の体験談を面白おかしく書くというテーマでやっていた。よって、その体験談が尽きてしまえばおしまいなのだが、アクセス数を求めるが故、ペース配分して製造と供給のバランスを保つことが難しくなり、いずれなくなるのを承知で湯水のごとく使っていくしかなかった。
 当サイトは1997年の開設当時、一週間に一回ぐらいのペースで更新していたような記憶があるが、日記をコンテンツに加えて毎日書き出してからはアクセス数が右肩上がりになり、それが当時としてはステータスになったので、「毎日更新をやめたら一気に落ちていってしまうのではないか」という恐怖心と「書けば書くほど人が来る」という面白さでペースを落とすに落とせなかった。

 毎日更新を続けたのは一年ぐらいだったと思うが、自分の能力以上のことをやってしまった愚行だったと思い知ったのは、更新頻度が低下したあと、「毎日見にきてやっているのに馬鹿にしているのか」「更新できないなら閉鎖しろ」という意見が寄せられてからだった。そういわれるのが怖くて、目途が立っていないのに「更新します」と返事をして墓穴を掘ったことも今思えば重ねて愚行だった。

自由に書けなくなった

Photo by:Delgoff

 読者が増えると、当然のことながら年代、職業などの幅が広がってくる。いいことも多いが、まずいことも増える。そのまずいことの筆頭はタブーのテーマが出てきてしまう、いわゆる“地雷”が増えるということだ。
 うちの場合、一日のユニークユーザが四桁になった辺りから「今日の更新内容は不愉快だった」といった意見が届くようになった。勿論、明らかに問題のある記述もあり、そういったものは謝罪して訂正なり削除なりしたが、「最近忙しい」と書くと「更新できない言い訳なんていちいち読みたくない」と返ってきたり、「この間、○○という所に遊びに行って」と書くと、「つまんねえからそんなどうでもいい内容の日記を書くな」と返ってきたりと、なにがよくてなにが駄目なのか、恐る恐る探りながら書くという感じになってしまってつらくなってきた。

 結局、うちはコンテンツの更新のみを行うということにしたが、愚痴だったり、どうでもいいことを書いていく中でモチベーションを得るというタイプだったので、しばらくどう更新していいのかわからずに苦労した。私と同じようなタイプの人は多分他にもいただろうし、うまく乗り切れなかった人も多かっただろう。

参考リンク:ストイックになり過ぎたテキストサイト制作者と読者

趣味嗜好が変化した

Photo by:Tiago Rïbeiro

 テキストサイトは人を笑わせるというテーマを持っていることが多く、専門店の様相を呈しているのでそれまでとはまったく違うことを書きにくい。作者的に据わりが悪いということもあるし、読者も面食らって一言、二言いいたくなるだろう。私も「あなたの書くことは変わってしまい、昔のように楽しめなくなった。本当に残念だ。もう二度と来ることはないだろう。さようなら」というようなメールをもらったことがある。
 うちはもともと雑食性だったのでそのまま引っ張っているが、書きたいことが大きく変わってしまい、もう鞍替えするしかないという決断をした運営者もいたはずだ。
 優先順位の低下と考えれば、他のことに時間を使いたくなった、サイト運営に飽きたなど対外的には「忙しくなったから」と表される理由もここに入ってくる。

承認欲求が満たされた

Photo by:ヤッホー

 例外もあるが、書籍化されたテキストサイトは更新頻度が一気に落ちるなと、かなり以前から思っていた。
 往年のテキストサイトの運営者のどれぐらいかはわからないが、頭の中にある理想、あるいは思い込んでいる自分の実力、才能と実社会における評価が違っており、くすぶっている自分がもどかしくてネットで情熱をぶつけた人がいたのではないかと思う。少なくとも私はそうだった。
 そういう人間にとって、サイトの書籍化というのは一番ゴールらしいゴール、すごろくでいうところの“あがり”だと思うし、そのレベルで評価されれば作家、ライターと次のステップへと移りたいという意欲も出てくる。よって更新頻度が低下するのは自然なことだといえるだろう。
 他にも、サイト運営を通じてなにか大きなものを得た(たとえば配偶者)場合も、一段落させたい気になるかもしれない。また、サイト運営とは関係なく、社会的に評価される地位、あるいは社会人として安定した地位につけばそれも理由になりそうだ。

 他人事っぽく書いてあれだが、当サイトが未だに続いているのは、書籍化とは縁遠いからというのが理由の一つだと思う。

相応の対価を得られなかった

Photo by:she’s like a drug

 上にいくつか書いたが、サイトが有名になって人が増えてくると、あれを早く更新してほしい、あれはつまらないのでやめてほしい等々、要求されることも増えてくる。
 最初のうちはアクセス数を増やしてくれる訪問者を「お客様」と捉えて、一生懸命やらなければと頑張るのだが、更新からクレーム処理からなにからなにまで間を置かずにできるわけもなく、やがて厳しい言葉に晒される。
 この辺まで来ると仕事をやっている感覚になるのだが、今と違って、広告を貼ると即、掲示板に「人気があると勘違いしている」→「アクセス数を金に換えようとしている破廉恥な人間だ」→「ヽ(`Д´)ノもうこねえよ」と、例の、のぼりを立てて自転車を漕いでいる懐かしのアスキーアートも貼られるような感じだったので金銭的に得られるものはない。

 うちのサイトの場合、当時、「いずれ、コンテンツの一部を有料化するというやり方もありかも」みたいなことを書いたら、「おまえの文章を金払って読むわけねえだろう。勘違いしてんじゃねえよ。タダだから読んでやってんだよ、馬鹿」というような意見が複数届いて、それ以降、お金の話をするのをやめた。基本、うちにアフィリエイトがない(Amazonアフィリエイトが存在した時期もあったが)のはそのためだ。

 更新の見返りがお金というのは嫌らしい話に聞こえるだろうが、運営者と訪問者の関係が経営者と客に置き換えられがちだった当時のテキストサイト界隈の状況だと、お金でももらわないとこれ以上やってられないよと思った運営者は結構いたと思う。
 要求されなければ対価を求める意識も消えたはずで、もうこれまでのような更新はできないと書けば済んだはずだが、彼らは失うこと、叱責されること、いろいろなことが怖くて書けなかった。結果、サイト運営から黙って身を引いたということではないだろうか。

ブログの台頭

Photo by:Michell Zappa

 いわゆるブロガーが台頭し出した頃、正直、「後から来たものにあっさりと超えていかれた感覚」があった。ショックだったのは、彼らがテキストサイトとは別の空気、世界、価値観を持っていて、しかも超えていくときに一瞥もせずという感じがしたことだ。
 ここに使った画像は、当時の私から見た“ブロガー”像である(もっとどんぴしゃのものがあったが、ライセンスが厳しかったので見送った)。テキストサイトの運営者に「ちょっとジャンプしてもらえるかな。写真撮るから」といっても誰も跳びそうにないが、ブロガーは跳ぶんじゃないか、しかも顔出しで、みたいな。それぐらい別世界の人間に見えた。
 サイトのデザインは垢抜けているし、テキストサイト界隈ではタブーのアフィリエイトもあり、コメント欄、トラックバックという交流ツールの存在も革新的だった。なにしろ一記事に一つあるのだ。当時のテキストサイトに、日記ごとにコメント欄をつけたら、「そんなに構ってほしいんですか。うざいです」とすぐdisられただろう。

 ブログから受けた、世代が変わった、時代が変わったというインパクトは、テキストサイト運営者が自分がやっていることを見直す動機としては充分だったと思う。

参考リンク:往年のテキストサイト運営者がブログ移行に踏み切れなかった心理的要因

同じことの繰り返しに辟易した

Photo by:dominiqs

 テキストサイト全盛期、「アクセス数は(ロールプレイングゲームでいうところの)経験値である」という言葉が流行った。確かに多ければ強大な感じがしたし、恩恵はあったはずなのである意味で正しかったのかもしれない。

 私はアクセス数とは別に、サイトを運営して過ぎていく日々、そこで起きたこともまた経験値になり得ると思う。更新した日は1で、感想が送られてきた日は2。サイト名とURLの雑誌掲載許可があった日は10ぐらいでもいい。
 サイト開設からしばらくは、初めてメールをもらった、初めて他サイトにリンクを張ってもらった、初めて掲示板に書き込みがあったと初めてづくしで、そのたびにレベルが上がっていく。ドラクエのスタート直後、村の回りでスライムとドラキーを倒しているようなものだ。なにかあればすぐ上がる。
 ところが運営者ならおそらく誰でも感じることだが、サイト運営はドラクエと違って次の街、次の城、つまり新しいステージへ行きにくい。「あなたのサイトを読んで面白いと思いました。本を書いてください」なんていうことは滅多にない。ただひたすら、スライムとドラキーを倒して経験値1とか2を得る日が続く。スタート直後はそれでもレベルが上がるが、次第に上がりづらくなってくる。どれだけ文章を書いても反響があっても次のステージへ進めず、起きることはすべて昨日以前にもあったこと。それが毎日何年も続く。

 経験値1の積み重ねが次のステージへの扉を開く、これは間違いないと思うが、テキストサイトの運営で1を得続け、膨大な時間を掛けて進む次のステージが果たして自分にとって最良の目的地なのかと考えたとき、違うと判断して場所を変えた人は当然いただろう。

最後に

 例によって頭の中で考えたことをそのまま書いただけだが、こうして並べてみて、テキストサイトの衰退のきっかけとして「恐竜の絶滅における小惑星衝突」に匹敵する決定的なイベントは私は存在しないように思う。2004年に起きたブログブームは何人かの運営者に自サイトの将来を考えさせただろうが、その時点でテキストサイトは衰退していた。
 上に掲げたいずれかの問題に直面したサイトが同時に衰退せざるを得なかった理由を挙げるなら、それは「経験とノウハウ」の欠如だと考えられる。たとえば訪問者との問題であれば、1990年代中盤から続く日記サイト(雑文サイト)のログから学べることもあったが、昔からは想像できないような大量のユーザを個人サイトで得た場合の運営、その条件下で発生したトラブルというものはほとんどの人間にとって初めての経験だった。よって適切な切り抜け方がわからず、結果、熱を失ったのだ。

国内インターネット利用者数推移

『平成17年「通信利用動向調査」の結果』2006年5月19日より。縦軸の単位は万人。当サイトを開設した1997年から『テキストサイト大全』が発売された2002年まで利用者が6倍に増えている。

 もしブーム再びなんていうことがあれば過去から学んで違う道筋を辿るはずだが、勢いよく突っ走って同じことを繰り返すような気もする。それはそれでテキストサイトらしいといえるのかもしれない。

posted by kudok @   | Permalink

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