アニメ知識の体系化について

ふと、思い出したように「アニメ知識の体系化」についてtwitterに書いたモノを、編集して書いてみます。発端は恐らくここから。

まっつねさんと『アニメルカ』第一回ゲリラレディオの感想、簡易版 - 流し斬りが完全に入ったのに http://d.hatena.ne.jp/str017/20100227/p1


このラジオのときに、まっつねさんが言いたかった事は、アニメと学術的要素を絡めて語る場合は、外側から俯瞰的に語れたりはできるが、どうしても「楽しさ」が欠けるので、アニメと別のアニメandスタッフを絡めて語る場合は、内側から主観的にしか語れないが、そこには「楽しさ」が宿る……と、こいうことではないかな?


というか、これよくよくまっつねさんのブログ漁って調べてたら、似たようなこと過去に言っていた事が判明

批評には「面白さ」がないからw

面白くないものなんてプラットホームだのなんだのがあったって

誰も読みゃしないよw


アニメ批評には(笑)が足りない - まっつねのアニメとか作画とか
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100217/1266358436


しかしながら、一応欠点があって、未だにスタッフの関連性語りは「フレーム」や「レイヤー」がまだ体系的に出来上がってないという問題があります。体系的な理解から生じる楽しさみたいなものはあるはずなんだけど、それが理論として出来上がってない為、説明する際に理解を示して貰えない可能性がすごくあります。


反論の方はかいんさんが書いていました。

アニメというジャンルを語る場が少ない理由のひとつにそういった「感覚のみで良い」みたいなところがあるのではないか。「すごい」とか「おもしろい」とか「とにかく見ろ」などの感情を優先するのは重要ですが、その感情を呼び起こす技法や方法は制作者はもちろん、消費者が作品を語る時においても要らない訳ではないでしょう。


アニメ作品についての評論・考察・批評などの言論活動による言語化・体系化の重要性について考えたこと。 - GAV
http://d.hatena.ne.jp/gavblog/20100228/1267300067


ならば、スタッフ関連性語り、或いはアニメの原理的快楽を、理論として確立する試みが必要なのではないか、という話にはなる。しかし、この難しさってのは、体系的な知識が無い人に向けて説明する際に「どこまでが知識として無いのか」を把握してないとならない、しかもそこから説明を組み立てる訳で……


例えば、谷口悟郎監督を例に出して説明すると、仮に「コードギアス 反逆のルルーシュ R2」において「ガンダムというブランドが無くとも、ガンダムたり得る」という論を立てるとするならば、氏が今川監督の弟子的な存在で、G、W、Xの演出に少しだけ参加してて、ガサラキの副監督も経験しており、かつコードギアスにおいて一番影響が大きいと思われる「リヴァイアス」と「スクライド」の存在を忘れてはいけない……というように非情にメンドクサイ説明をしなければならない、正直これをひとりでまとめようとすると、相当大変な作業になるw


そして、各それぞれの作品を知っていなければ説明がとても難しい、特に例に挙げた場合だとリヴァイアス」と「スクライド」の存在を知らない場合では、それぞれの作品における「フレーム」や「レイヤー」を上手くコードギアスに当てはめて説明しなければならない。



まあ、つまり「アニメ知識の体系化」はよほど時間か能力が無い人しかできないわけで… まあ、中には出来る人もいるんだとは思うんだけど、やっぱそういう人でも手間とそこから得られるリターンを考えると、とてもじゃないけど出来ないんだろーなーと。


来年の目標としては、「時間確保」と「ノリノリで楽しめる作品を見つける」と「もっと作品を読み込め」以外に、この「アニメ知識の体系化」に対してどこまで挑戦していけるか、というのも課題として念頭に置きたいと思います。


あ、あとTwitterではこのpostの後、口だけの高年齢の若オタシバキ系のオタへのdisを繰り返してたけど、話が脱線するので端折りますね。