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 名古屋市長選挙の河村氏、愛知県知事選挙の大村氏の勝利を受けて、明日からの永田町にも動きがありそうだ。愛知県は民主党の牙城とも言われてきたが、今回の選挙結果は4月の統一自治体選挙の「前兆」とも言える。河村氏の「議員を家業にさせない。本来はボランティアだろう」という主張は、彼が国会にいた頃からの持論。今の永田町の政府・与党と多数派の議論が「増税の仕方」に傾いていることを考えると、影響は予想以上に大きいかもしれない。

 国民新党の亀井静香氏が社会保障会議に柳沢伯夫氏が起用されたことを「狂気の沙汰」と批判しているが、これは民主主義の基本の問題なのだろうと思う。「自民・公明連立政権」を強く批判して「政権交代」を求め、「国民の生活が一番」を掲げて世直しを訴えて圧勝した1年半前の総選挙で政権を担うことになった民主党が、「自民党の経済失策の司令塔」だった与謝野馨氏を担いで閣僚にすえて、柳沢伯夫氏まで登板してきたとなると、大相撲の「八百長騒動」を批評するどころの話ではない。1年半前の総選挙は「壮大な虚構」だったのかという疑念を膨らませ、「自民党を倒したら自民党が出てきた」というナンセンスな構図は、既成政党不信を決定的なものにする。

「政権交代」には大きな可能性があった。戦後、反永久的に続いていくように見えた「自民党政権」の息の根を止めて、長年蓄積された「政官業の癒着」を解体し、肥大化して暴走する行政組織に刷新のメスを入れる機会でもあった。その入口がこじ開けられようとした。しかし、旧体制の守護者たちの抵抗は強かった。「八ッ場ダム」にしても、「税金の使い方は利害関係者が決める」という構図を、「納税者、国民が決める」という質的転換をはたすいい舞台だった。しかし、「建設中止、だが、本体以外の工事は続ける」という珍妙な結論で、旧体制の国家事業を信じる人たちにも不満を充満させ、改革の旗は泥だらけになった。

自民党のような政治は、自民党が一番得意だ。 政権交代したことの意義は、一度でいいから「自民党でない政治をしてほしい」ということではなかったか。旧体制を代表する新聞・テレビが民主党政権の「頼りなさ」「非現実性」を批判したからと言って、立ち止まってはいけない。しかし,現状は立ち止まるどころか後退してしまっているように多くの人が感じている。

だからと言って「自民党政権に戻ってほしい」というコールは大きくない。「自民党政治に戻さずに、しっかりと既得権打破の改革をやれ」というのが民意ではないか。しかし、政権交代の1年半は、その期待に応える形でスタートしたが、すっかり失速し失望に変わっている。もう一度、政権交代の原点に戻り、再出発するのは困難な道ではあるが、唯一の打開の道だ。

名古屋・愛知の選挙結果から改めて、この1年半を考えた。

 



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