復興構造会議と増税:「しばらくはこれを表立っては議論しないだろう」(時事通信) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

復興構造会議と増税:「しばらくはこれを表立っては議論しないだろう」(時事通信)

秘書です。
「しばらくはこれ(財源論)を表立っては議論しないだろう」の意味することは何か。
水面下では議論をすすめ一定の間を経たのちに浮上させるということか。


復興財源盛り込まず=6月提言「青写真が先」-御厨議長代理
(2011/04/27-16:21)時事通信

 東日本大震災復興構想会議の御厨貴議長代理(東大教授)は27日、時事通信のインタビューに応じ、同会議が6月末に取りまとめる第1次提言について、被災地復興の具体案を示すことを優先し、「震災復興税」などの財源確保策は盛り込まれないとの見通しを示した。会議のメンバーや政府・民主党内で、増税論議が先行することへの異論が相次いでいるためとみられる。
 御厨氏は「しばらくはこれ(財源論)を表立っては議論しないだろう。(委員に)税の専門家がいるわけでなく、堂々巡りの議論になる」と指摘。「復興の青図を描く方が先だ」と述べた。

→少なくとも、6月末の第一次提言には入らない。ということは、二次補正案の財源論は復興構想会議からの提案は出てこない。さて、どこが増税構想を進めるのか?


(参考)臨教審(1984-87年)メンバー香山健一氏が批判した事務局の「審議会操作」批判

中曽根政権時代の1984年に臨教審が設置されました。

臨教審メンバーの香山健一さんによると、「文部省主導の中央教育審議会の発足を凍結する形で、総理大臣直属の審議会として臨教審が発足し、全省庁体制のもとに事務局が総理府に置かれたこともあって、文部省並びに文教族、教育業界関係者の間には、文教行政の既得権益に係わる規制緩和や大胆な政策転換が進められるのではないかという点について、強い警戒感が存在していた」のです。

そこで、中曽根首相は臨教審を内閣に設置することの見返りに、文部省や文教族に対して一つの「妥協」をしました。

この「妥協」について中曽根元首相は以下のように「反省」しています。

「(臨教審を内閣に取り上げてつくったが)、そのとき文部省が非常に抵抗し、その事務局をどうするかという問題になったのです。私は文部省の人間でないほうがいいと思っていましたが、文部大臣を説得し、自民党の文部族を説得するために、いわゆる妥協をせざるをえなくなって、文部省の事務局に譲った。それが中教審の勢力の矛先みたいになって、とうとううまくいかなかった。そういうことではないかと反省しているしだいです

中曽根首相は後に、教育改革について「中途半端で終わってしまいました」と総括しています 。その「失敗」の原因の一つは臨教審の事務局を文部省主導にしたことにあるといえるでしょう 。

事務局主導の臨教審第二回総会の模様について、香山さんは以下のように語っています。

「臨教審は発足直後の第二回総会から、いきなり審議会の運営方法、審議の進め方、教育改革の理念などをめぐって、委員相互あるいは委員と事務局、特に文部省関係者との本格的な論争の場となり、我が国審議会の歴史上先例のない『論争する審議会』となることになった」

この中で「審議会の運営方法や審議の進め方」と「教育改革の理念」が同時に議論され、「委員相互」のみならず「委員と事務局、特に文部省関係者」とが本格的な論争の場となったとの指摘の部分である点が注目されます。

香山さんが臨教審に提出した「臨教審第001号・総会の各議題に関する意見」には、「権威ある事務局は、審議会等の各委員を分断し、その意見や発言に枠をはめたり介入したり、さらに事務局の特権とされる報道機関との接触や資料作成等を通じて、事前に“世論操作”を行うのを常としてきた。(中略)いまなお旧態依然たる“審議会操作”を続けることは絶対に容認できない」とあります。



(参考図書)

大嶽秀夫(1997)『「行革」の発想』TBSブリタニカ.
大嶽秀夫(1994)『自由主義的改革の時代』中央公論社.
財団法人世界平和研究所編(1995)『中曽根内閣史 理念と政策』財団法人世界平和研究所.
上西朗夫(1985)『ブレーン政治』講談社.