労働と承認

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起業後、982日目。

今日は、労働と承認について。

前回のエントリーでは、「働くことの本質的な理由の一つは、自由を得ることなんじゃないか」という話をした。

働くことの本質的な理由は、もう1つある。「承認を得ること」だ。

「承認を得る」というと、抽象的で分かりにくいが、マズロー大先生が体系的にまとめてくれている。「欲求5段階説」を参照されたし。


大ざっぱに言うと、人間の欲求には優先度・順番があり、ピラミッドの下から順(生理的欲求→安全の欲求→・・・)に欲求は満たされていく、という仮説だ。

下の方の「物質的欲求」とは、お腹空いた(食べたい)とか、眠い(寝たい)とか、寒い(温まりたい)とか、身の危険を感じる(安全なところに避難したい)などの欲求のことだ。

先進国においては、この「物質的欲求」にあたる「生理的欲求」「安全の欲求」がおおむね満たされているので、多くの人は下から3段目より上の「精神的欲求」を求めている。

例えば、先の東北大震災などで、一時的に「物質的欲求」が欲求不満になることはあるが、満たされれば、再び「精神的欲求」の方を求めるようになる。満たされなければ下に戻り、満たされたら上に行く。

このように、「そもそも、なぜ、はたらくんでしょうか?」に対する回答として、「生きる(食べる/安全を感じる)ためだ」という回答が今ひとつ説得力を持たないことは、この欲求5段階説からも説明できる。

先人や科学の進歩によって、物質的欲求はおおかた満たされてしまったのだ。働かなくてもなんとかなる人がいるほどに。

では、上の方の「精神的欲求」を細かく見て行こう。

「精神的欲求」は、
「所属と愛の欲求」→「尊重の欲求」→「自己実現の欲求」の順番で満たされて行く。

「所属と愛の欲求」とは、会社・家族・国家など情緒的な人間関係によって、他者に受け入れられている、又は、グループへ帰属していたいという欲求のことだ。この欲求が満たされないと、孤独感や社会的不安を感じやすくなる。

我々は、「所属と愛の欲求」は満たされているだろうか?

「満たされてはいるが、危うい」状況だと思う。昨今の簡単にリストラする会社。独身化&核家族化した家族。混迷が続く中、すっかり期待されなくなりつつある政府、国家。かなり危うい。

とは言え、「自分の居場所はどこか1つあれば、やっていける」ことを思うと、学校、会社、家族、国家、友達のいずれか1つぐらいは、満たされる集団があるかもしれない。

なでしこジャパンが優勝した際に、日本という共同体における団結とそれにともなう集団的高揚感を目にした。うがった見方をすると、コレは「所属と愛の欲求不満」からきているかもしれない。普段あまり満たされてないから、ここぞとばかりに熱狂する。ドーパミンが出る。満たされた感じがする。

次に、「尊重の欲求」を見てみよう。

コレは、自分が所属する集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求のことだ。地位、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。

我々は、「尊重の欲求」は満たされているだろうか?

「多くの人が満たされず、乾いている」状況だと思う。「尊重」の形として最も分かりやすいのは、競争に勝つことだ。大学受験、就活、社内の出世争い。競争は延々と続くと共に、最後まで勝ち切ることができるのは、ほんの一握りだ。

加えて、「価値観の多様化」によって、「何をすれば尊重されるのか=価値があるとみなされるのか」とても分かりにくい時代になった。例えば、「勤勉に働けば、魂が救われる」(プロテスタンティズム)とか「富国強兵」(戦時中)といった価値観が分かりやすい時代に比べると、ほとんど呆然としてしまうレベルだ。

ちなみに最近、mixiやTwitterやFacebookといったSNSがとても流行っている。うがった見方をすると、「イイネ!」や「RT」を通して、身近な人からの承認を求めている。コレも承認の欲求不満から来ているのではないだろうか。少なくとも僕は、大量のRTやイイネ!をもらえると、なんだか認められた気がして、メチャクチャ気持ち良い。このエントリーにもたくさんつかないかな?と思っているw

最後に、「自己実現の欲求」を見てみよう。

コレは、自分にしかできない固有の生き方をしたい、自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化したいと思う欲求のことだ。

ここまで来ると、ほんの一握りの人達の世界。

「No1よりOnly1だよね!」みたいな歌が人気を集めたときもあった。しかし、例えば就活のときに見る風景は、どっちかと言うと「没個性=One of  them」じゃなかったか。僕が就活する頃(7年前)は、すでにそんな風景が広がっていた。

正直、「何が個性の時代だバカヤロー」といった感じだ。自己実現うんぬんの前に、「所属や愛や尊重の欲求」が満たされてないから、こうなっている気がする。みんな、個性を出すことによって、所属や尊重を受けられなくなることに怯えているのではないか。

結果として、僕の知る限り、「自分にしかできない固有の生き方」を自らの頭で考え、自ら選択し、且つ、その生き方に現在進行形で満足している人は本当に少ない。

以上、「所属と愛の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」と「精神的欲求」をズラーっと見てきたが、これらをまとめると、広い意味での「承認欲求」と言えるだろう。

所属することに対する「承認」、組織の中で価値あるものだと見なされる「承認」、自分にしかできないことをしていると認められる「承認」など。

「物質的欲求」がほぼ満たされた我々は、仕事に「承認」を求めている。
同時に、昨今では、なかなか「承認が得られにくい」状況になっている。

だからHALOでは、「自由」に加えて、「承認」を重視している。
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ここまできて、鋭い方は気づいたかもしれない。

「自由」と「承認」は相容れない。
人間が欲する本質的な報酬であるこの2つは、よくケンカする。

「所属と愛の欲求」において、会社や家族や国家に今いち愛着が湧かないのは、個人もコミュニティの側も「属さない」自由を手にしたからだ。

独身でも許されるし、新卒入社3年以内に辞めても許されるし、企業も海外にその拠点を移すことも許される時代になった。大変自由でけっこう。しかしその分、「所属し、愛し、愛されている」という承認感はなくなった。

同じように、「尊重の欲求」においても、今ひとつ尊重される道が見えにくいのは、多様な価値観と多様な職業選択の自由があるからだ。「何をすれば尊重されるのか」とても分かりにくい。就活で「答え」を求める学生を笑う社会人がいるが、僕はその気持ちがよく分かる。多様化された価値観と膨大な選択肢の中から、言動を選択し、「価値ある存在」として承認されるのは難しいことだ。

こうして、「自己実現欲求」に至る前に、多くの人が「承認欲求不満」で苦しんでいる。
みんなが求めてやまなかった「自由」に阻まれて。

なんと皮肉なことだろう。

物質的豊かさとある程度の自由が確保された先進国において、
「自由と承認のジレンマ」が発生し、精神的欲求が満たされてないのだ。

きっと、あなたの中でも。

「うまくいかないなあ」とか「自分は何がやりたいんだろう?」とか「満たされないなあ」と悶々とした際は、こんなことを俯瞰してみると良いかもしれない。すぐにあなたの問題が解決されることはないだろうが、落ち着いて状況を整理するのには、役に立つだろう。

しかしコレは、個人的な問題だろうか?僕は、「みんなで、人生をかけて解くに値する構造的な問題」だと思っている。

HALOは、自由と承認のジレンマを乗り越えた、希望の光になりたい。
そのために、あらゆることをゼロベースで考え、試し、失敗しているところだ。

評論で終わらせない。

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