風が吹くとき

まずは軽いジョークから。

  1. 風が吹くと風車の翼が回る。
  2. 回る翼に鳥が当たって死ぬ。
  3. 鳥の数が減り、山の土が痩せる。
  4. 山の木が実をつけなくなり、クマの餌がなくなる。
  5. おなかぺこぺこになったクマたちが集落におりて捕殺される。
  6. かわいそうなクマたちにドングリをプレゼントしよう!

最近、COMPLEX CAT : 風車と翼を読んだ。これは風力発電におけるバードストライク問題について書かれた文章で、この問題に関心のある人とシートン俗物記の中の人には是非一読していただきたいのだが、少々長いのでバードストライクがなぜ問題なのかを説明した箇所を適当に抜粋しつつ引用する。なお、引用にあたっては適宜タグを改変した*1ことと、省略箇所を明示していない*2ことを予め断っておく。

  • 魚介類を基本とする人にとっての海洋資源,それを育むNやP*3は,森林が育み川に落下して海まで降下する。
  • それらの物質の陸上へのリターンは,鳥類や渚の生き物が徐々にリレーをしながら森林まで戻して行く。実際は微量元素もこの流れで,物質循環は悠久の地球の営み。
  • 人間は,実際のところ,植林したり種をまいたりは出来るが、膨大な生物や物理環境が関わる森林の管理を人手で行えるはずも無い。その生物種群を失えば、森は今のようには維持できなくなるだろう。
  • 鳥類保護は,愛護とは別の次元の国家安全保障上の生物多様性視点なのだが、表面的な生物多様性視点では,多くが,マテリアル保護の面だけ強調して普及してしまったから,何を大げさなと思われるだけ。
  • 何故,生物多様性保護に国家安全保障が絡むのかと,コジツケだと思っている人も普通だと思う。巨大で精緻な装置に動き続けてもらうための担保措置なのだが、その流れに干渉する行為の影響について無知であれば,近海の海洋資源など、そのうち人の口には入るものは先細りになるであろうリスクを冒すことになる。
  • 勿論,環境問題は数の問題だから,『直ちに人の生活に影響が出る』ことはない。生物多様性破壊で地域が衰退した例は沢山あるが,急性毒性みたいな人の死が出るはずもない。今のところは。
  • 近海漁業が全滅しても輸入する手もある。他の国の生物多様性保護にただ乗りして、「都市だけ国家」になり,食料を輸入しながら生き延びるオプションを考えて見ると、実際は危うそう。
  • ただでさえ、中国などが大きな胃袋を満たすために経済という武器をそろえ,海洋に蛋白資源を求めるようになってしまった今,『過度の搾取』に対するコントロールは日本がやりたい放題やっていた時代より、更に困難になって行く。それを止める理屈を日本自身が理解していない。海洋資源枯渇は石油よりは確実に早く来る。

水は空から雨や雪として降ってきて、高いところから低いところへと流れる。山に降った雨は土の中の栄養分を溶かして川に流れ込み、川の流れのその先には海があって、海の水はどんどん嵩を増していく……ということはなくて、蒸発して空へ戻っていく。
その際、水に溶けていた栄養分は海の中に置き去りにしていく。そうすると、海の栄養分はどんどん増えていき、山の栄養分はどんどん少なくなっていく*4はずだが、実際にはそんなことは起こらない。では、誰が海の栄養分を山に戻しているのか?
鳥だ。
……と断言してしまうと誤解を招くかもしれない。たとえばこんな例もある。

カナダのトーマス・ライムヘン博士が発表したこんな論文がある。遡上するサケを熊が捕獲し、川岸で熊が食べ残したサケが分解され、分解で生じた栄養塩を樹木が取り込んで成長するという内容である。

しかし、続けて「サケが運ぶ海からの栄養塩の供給はほとんど無視できる量である」とも書かれている*5ので、ほとんど無視していいのだが、なんで無視していいような例をわざわざ挙げたかといえば、議論を一直線に展開したくなかったからだ。自然や生物について語るとき、いちおうの目安として設定されたストーリー以外にもさまざまなプロセスやメカニズムがあることを常に念頭に置いておいたほうがいい*6
ともあれ、鳥はときには直接海から、またときには海辺の生き物を経由して栄養分を得て、栄養分がたっぷり含まれたブツを上空からぽたりと落とす。それが草木を育て、山の動物を育むことになる。
また、主に木の実を食べる鳥の場合、ブツの中には未消化のドングリが含まれていることがある。地面に落ちたドングリが発芽して育っていけば、やがてクマの餌ともなる。鳥がいなくなれば、針葉樹林を間伐しても、どこからともなく広葉樹の種子がやってきて芽を出す機会は大幅に減ってしまうことだろう。そうすると、おなかぺこぺこのかわいそうなクマたちが【以下略】。
あー、今ものすごく大きな誤解の危険を感じたので大慌てで強調しておこう。鳥がドングリを山へ運ぶのと、人間がドングリを山へ運ぶのとは全然別物です。公園のドングリをついばんだ鳥が山でブツを落とすことはあるだろうが、何トンものドングリを全国から集めて集中投下するわけではない。
話が変な方向に逸れたので、元に戻す。
風力発電バードストライクについては、以前風力発電とバードストライク 追記あり - ならなしとりを読んで感銘を受けた。この文章もこの問題に関心のある人とシートン俗物記の中の人には是非一読していただきたいのだが、個人的にもっとも印象に残った箇所を引用してみる。

さて、ここまで書いてきましたが、根本的なことがまだでしたね。そもそも、どうして鳥やコウモリに配慮しなきゃならんの?という疑問を持つ人もいるでしょう。それに対して梨の答えを書いておきます。僕らの生活というのはすべからく生き物に支えられています。食べ物はもちろん、大気の調節や木材も生き物がいないと成り立ちません。よく使う化石燃料にしても、植物が長い年月をかけてできたものです。それらを支えて作り上げてきたのが生物多様性です。生物多様性がなくなるということは、僕らの選択肢が狭まるということでもあります。極端な話、晩御飯のおかずは肉か魚かという他愛ない選択も多様性がなくなれば今夜はイモのみ一択ということになるんですよね。ワシタカにせよコウモリにせよ、生物多様性を作り上げてきた一員ですから、彼らが絶滅するようなことになれば、長期的に見て確実に僕らの選択肢は減りますよね。

今現在、人類というのは「生物多様性大破壊!どこまで壊しても大丈夫かな!?」というチキンレースをやっていますが、その限界点は誰も把握してないわけでして。ただ、絶滅や減少というのがその限界点により近づくことは明らかですから、できる限り避ける方が賢明ですよね。

チキンレース」という表現はまことにいい得て妙だ。ただし、本当のチキンレースの場合は、うまくいけば勝者は生き残ることができるが、この生物多様性大破壊チキンレースには勝者も敗者もないという違いがある。地域間ないし国家間の競争はあるにしても、地球はひとつだし、人類皆チキンレースプレイヤーだ。
ところで「風力発電バードストライク」には続きがある。こちらもシートン俗物記の中の人には是非一読していただきたい文章だ。いや、たぶん読んでるとは思うんだけどね。

おまけ

風が吹くとき

風が吹くとき

今日の見出しはこの本から拝借した。本文とは特に関係ありません*7

*1:引用元の原文では箇条書きを改行タグで表しているが、リストタグを使うほうがわかりやすいと判断したため。文意やニュアンスを変更するようなタグ改変は行っていない。

*2:普段は引用文中で省略した場合は【略】と書いてそのことを示すように心がけているが、今回は箇条書きからの引用なので、見た目の煩雑さを避けることを優先した。

*3:【引用者註】「N」は窒素、「P」はリンのことで、これにカリウム(K)をあわせて「肥料の三要素」と呼ぶ。これらの元素が乏しいと植物は育たない。

*4:窒素固定のことはひとまず棚上げにしよう。

*5:森が消えれば海も死ぬ―陸と海を結ぶ生態学 第2版 (ブルーバックス)』123ページから125ページ参照。なお、ここでは森林への栄養塩供給への鳥類の寄与についてはなぜか言及されていない。

*6:同じことは社会現象について語るときにも言える。過度な単純化は時には差別や偏見の温床にもなり得るので、注意する必要がある。とはいえ、ここで差別論にまで踏み込むのはあまりにも脱線しすぎというものだろう。

*7:関係づける方向へ話を進めようと思って書いていたが、長くなったのでやめた。