就活に立ちはだかる人事採用のプロという“バカの壁”

人事採用のプロが語る「東大でも落ちる人、田舎出身だから受かる人」

僕個人の経験ですが、書類選考の段階だと法政大学の学生の方が東大生よりも通っていたという事実があります。新卒採用では、なまじ学歴が高くて「俺は大丈夫だ」みたいな人が一番先にはじかれます。いくら頭が良くても東大のような大学の学生であっても、相手をなめた態度や「俺だったら通るにきまってる」という考えというのはエントリーシートをぱっと見ただけでわかるんです。ちまたに「エントリシートの書き方」なんて情報はごろごろ転がっていて就職活動については準備できる環境にあるのに、ちゃんと準備していない人は通りません。
「準備をしていない」というのは、面接で聞かれることをちゃんと想定していないし、エントリーシートも一度書いたら直さないという人のことです。こういった人というのは、就職活動自体を不毛だとか茶番だと思っている人に多いですね。

この発言はある意味お役所の繁文縟礼による既得権のシステム、あるいは「霞が関文学」を象徴している。なぜ官僚が強いかは、この人事担当者にまで染みついたおバカ思考だろう。「エントリシートの書き方」まで“勉強”し、定番の書き方をしないと駄目だと言っている時点で、世の中がどんな下らないことで決まるかをこの人事担当者は心ならずも正直に告白している。本人にはそんな自覚ないのだろうけれど。正にこのようなことを「不毛だとか茶番だと思っている人」がまともなのだ。
面接で聞かれることを想定しないことがそれほど駄目なのか。逆に準備して想定できるのなら、人事担当者の質問自体がマニュアル化されていることを自ら認めているということだ。お役所が無駄に働いて作成する「想定問答集」を要領よく書ける人が「優秀」らしいのだ。逆に言えば、想定外のことはお手上げなのだ。
東大生=優秀な学生ではないけれど、おおむね優秀な学生が就職面接で挫折するのは「なんで今更こんな下らないレベルで自分の価値が評定されなければいけないのか」という空虚感だろう。彼らは別に傲慢でも何でもない。「なんで今更こんな子供騙しみたいなことに付き合わされるの?」ということだ。その典型的な下らなさは以下のようなものだ。

「今、 日本にボールペンは何本ありますか」

この手の話、どっかで読んだ覚えがある。数年前にその手の本が売れて、一時マスコミでも取り上げられたことがあると思う。言わば面接する方もそうしたネタを猿真似してマニュアル化し、それが最先端の能力判定法と本気で信じているらしい。
だから、

ここで確認するのは、どれだけ正確な本数を計算できるかではなくて、回答に行きつくまでの思考方法を確認します。
この回答例としては「ボールペンは学校とオフィスで主に使われている。まず学校には教室が15ほどあり、1クラスは30人前後。1人につき5本ボールペンをもっているとすると?」という風に想定して単純に計算していくんです。
実はこの質問、既に対策があり、準備している学生はすぐに答えられるんですね。もちろん中には本当に頭の回転が速くてその場でできてしまう人もいますけど、その場でできる人ならそれでもいいし、それができるように準備してくるような人であれば、社会人になっても順応できるだろうと思います。
逆に「なんでそういうことを聞くんですか?」という人は論外です。

と言っている人間が駄目な人間で論外なのだ。こんなとんち教室、テレビのクイズ番組程度の下らない推論をさせてマニュアル通りに思考法を確認している人事担当者こそがほとんど思考停止人間の塊なんだろう。

「なんでそういうことを聞くんですか?」

と逆に質問する人は、まともな人間である。本当に下らないのだから。
この文章を読んで考えられることは、人事担当者は人事担当者レベル以上の人間を欲しがっていないということ。
質問をしてはいけないのだということ。マニュアル自体に疑問を呈することは想定されていないのだ。想定外のことは困るので質問するなということ。←この時点で思考停止。
こんな馬鹿な人事担当者がドヤ顔で威張るのだから書類選考で東大生が落とされるのはむべなるかなだ。会社に就職するには“バカの壁”が立ちはだかっているのだから“バカの壁”についていけないまともな人はここで挫折する。
もっとも人事担当者が威張っていられるのは不況の時だけで、好況になれば掌を返してまた別のマニュアルを蔵から出して来るのだろうけれど。
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