家電業界が誇る経営軽視の歴史

シャープ、パナソニック、ソニーと、今は亡き三洋電機に続き、日本を代表する家電メーカーが揃って大変な状況に陥っています。今日は、彼らがここまで落ちてきた歴史について、まとめておきましょう。


1.流通に価格決定権を明け渡し、その状態を放置した

振り返れば家電各社の凋落は、20年以上前、いわゆる量販店に価格決定権を握られ、その状況を長らく放置してきたことから始まっています。

その昔、家電製品の大幅な値引き販売をするダイエーに怒ったパナソニック(当時は松下)が、ダイエーへの商品供給をストップするという事件もありました。けれど全体としては、メーカーは量販店の販売力の巨大さにひれ伏し、主力商品の価格決定権を易々と流通に明け渡してしまいました。

この時から、商品が飛ぶように売れても、そこから厚い利益を得て、次の画期的商品の開発原資とする、というサイクルが回らなくなったのです。


流通に価格決定権を握られないためには、インテルやマイクロソフト、アップルのように“他社と比較されない”商品を作る必要がありました。

当時は、オーディオビジュアル分野ではソニー製品にそうした強みもあったし、ご飯はやっぱりナショナルの炊飯器だと思っている人もたくさんいました。98以来のファンを抱えるNECのパソコンにもロイヤリティの高い顧客が存在していました。

けれど、どの家電メーカーも強い分野に集中してイノベーションを目指すのではなく、“全社が全製品を作る作戦”にでました。みんな、テレビから炊飯器、パソコンから携帯電話、デジカメまで作ろうとしたのです。こうしてすべての商品が供給過多に陥り、メーカーから流通に価格決定権が移行しました。

業績不振の原因はあれこれ取りざたされているけれど、20年も前に価格コントロールを手放し、それを放置してきたことが業界凋落の原点であることは、忘れるべきではないでしょう。



2.“世界一の日本製品”を盲信し、世界を見ようとしなかった

二番目は、商品開発において、ひたすら日本市場だけにフォーカスし続けたということです。販売は世界で行うけれど、開発はあくまで日本市場を念頭に置いていました。

これは自信過剰問題とも言えます。日本の技術はすばらしく、日本メーカーの商品は世界トップレベルである。だから日本で売れるものを作っていれば、それがそのうち世界に拡がるとでも思っていたのでしょう。

結果として彼らの商品ラインアップには、日本でしか売れない高機能家電が大量に溢れました。たしかに当時、海外の人が使っていたノキアのけーたいに比べると、日本のガラケーは圧倒的におしゃれで高機能でした。

けれど、それらが世界で受け入れられることはありませんでした。「世界に受け入れられる商品を作ろう」という意思さえなかったのですから、それも当然のことです。テレビについても同じです。世界で売れ続ける普及品市場は、すべて韓国メーカーに献上しました。


「一番いい商品(=技術的に一番いい商品の意味)を作っているのは自分達だ」という自負を持ちながら、その“一番いい商品”が売れなくなると、業績不振を円高というマクロ政策のせいにし、あからさまにエコポイントという補助金を求め、違法な偽装請負や派遣切りにまで手を出しました。もちろん社員にサービス残業をさせるなんて序の口です。

ここ10年の家電業界は、「政府が悪い、補助金をよこせ」といいながら、自らは身を切る改革を避けまくる農業セクターと、全く同じ様相でした。



3.デジタル化の経営的な意味合いを理解しなかった

情報、通信、AV家電などの分野において、デジタル化が一気に進行し、それについていけなかったことも大きな要因です。

彼らは「技術的にデジタル化についていけなかった」わけではありません。「経営的にデジタル化についていけなかった」のです。

デジタル化の進行で、既存部品を組み合わせれば製品が作れる時代となり、神業的な生産技術に強みのあった日本メーカーの優位性が大きく揺らぎました。にも関わらず、各社も(国も国民も)多くの人が「工場を日本に存続させたい」という無茶な希望を捨てませんでした。

ここ20年、自分の街に工場を誘致(&維持)するために、多大な税金を投入した自治体は数え切れないでしょう。付加価値が低くなりつつあるプロセスを国内に維持することにこだわった、そのすばらしい先見性が今の現状につながっているのです。


VHSとベータという伝説的なデファクトスタンダード争いの経験に拘泥し、「コンテンツを揃えればハードは売れる」という昔話にもこだわり続けました。DVDやブルーレイの自社規格を広めるために、彼らが投入した多大な努力(とコスト)は、どれほど回収できているのでしょう? 3Dのソフトが増えれば3Dテレビが売れると、今でも信じているのでしょうか?

ソフトとハードという枠組みは、誰でもコンテンツを(どころか、アプリケーションを)を作ることができるようになり、ソーシャルなつながり自体がコンテンツとなりえる時代に、大きくその姿を変えました。

今やアップルのみならずアマゾンもグーグルも自社端末を開発しています。“箱”だけを作りますというなら、英語が話せなければ入社できず、40代になれば遠慮無くクビにするサムソンと同じくらい厳しい(えげつない)企業となるか、台湾や中国と同じコストまで従業員の給与を下げるしか方法はありません。


★★★


彼らの凋落の歴史は、
・価格決定権を流通に明け渡し、
・グローバリゼーションを甘く見て、
・デジタル化が技術問題ではなく、ビジネス・経営マターだと認識しなかったことから始まっています。

円高と欧州通貨危機と日中関係の悪化から、ここまで業績が悪くなっているわけではありません。長年にわたる経営軽視の結果が、ここにきて閾値を越えたというだけです。


家電メーカーに限らず日本には、変化に対して常に受け身で、できるだけ避けようとする企業がたくさんあります。変化するのがイヤだから、長年赤字を続ける分野からも撤退しないし、事業ドメインを変えることも拒否します。使えない人を解雇して必要な人を雇うことに至っては、最高裁がダメだと言っています。みんな変化が大嫌いなんです。

それでも世界は否応なく変わっていくので、しかたなくそれに対応しようとするわけですが・・変化する世界に必死で対応しようとする日本企業が、常に変化を起そうとしている世界の企業に、勝てるはずもありません。

経営者にとって変化とは、対応するものではなく、起すものです。「なんとかこの変化の時代を乗り切りたい!」などと考えている企業には、最初から勝ち目などないのです。


そんじゃーね。


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