@hidekih あ、わすれてた。そうですね。ゲゼルシャフトです。自分的な解釈では「貨幣経済の普及によってそれまでの贈与というか、家族とか愛情とか場所とかがひとからげになった価値観が分節化された」って感じです。
2009-10-27 22:12:10@m_um_u ありがとうございます。その辺もかかわってくるのかもしれません。まともにかけてなくてすみません。 → http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20091027/1256649394
2009-10-27 22:18:08@hidekih うにゃにゃ。自分的にはこの辺からの理解です muse-A-muse 2nd: 「合理の中に非合理が、近代の中に前近代が入ってるんだね」って話 [http://bit.ly/4gYnu7]
2009-10-27 22:21:00@hidekih 応用編がこれかな | muse-A-muse 2nd: 中世における公共性(あるいはその萌芽)の構造転換な話 [http://bit.ly/1P4gt4]
2009-10-27 22:21:43@m_um_u 阿部謹也さんですね、つーか、このエントリー以前も拝見して、阿部謹也先生の本を読もうと思いながら、まだ果たせていません。
2009-10-27 22:25:07@hidekih 『ローマ人にとっての「徳(ヴィルドゥス)」が「力」を意味することがとてもとても納得できた。逆に、なぜ「徳」を重んじるローマ人がキリスト教に染まってしまったのかがやるせない疑問であった』、というのはおもしろいですね。ぼくも興味あります
2009-10-27 22:26:05@m_um_u もともと「アルテ」と呼ばれる、「技術」とか「徳」とか訳されるべき概念の方がギリシアの伝統の中では重視されていた、と。それが、ソクラテス、プラトンによって、ソフィストとして排斥され、「真理」とか、「イデア」という一元論が優勢になってしまったと。
2009-10-27 22:27:14@hidekih さっきのちゃんみつ話的にはこっちのほうがリンクしますね 1999-10-02 - HPO:機密日誌 <http://d.hatena.ne.jp/hihi01/19991002>
2009-10-27 22:27:38@m_um_u 基督教って現世の技術とか、富とか、否定的じゃないですか?神と子と聖霊の一体って何だって感じですけど、ソクラテスでいう「真理」のみが大切なのだと。
2009-10-27 22:28:11@hidekih ああ、その辺はイデオロギーというか政治的あらそいっぽいですね。一般的に倫理とか哲学の時間ではソフィストのほうが詭弁を弄する輩としてとりあげられるように思うけど、「技術」は本来尊ばれるもののはずですしね
2009-10-27 22:29:58@m_um_u 私にとって、「徳」って生成化育の力なのですね。外から規制されるものとか、父と子と聖霊の力ってよりも、お互いに相互依存的で、相互のリンクによって自己組織化されるみたいな。
2009-10-27 22:30:13@m_um_u ありがとうございます。「徳」の話はずっと考えていますがぜんぜん進んでいないのが悲しいです。だから、フラクタルって二元論、主体と客体を超えているのじゃないかなと。
2009-10-27 22:31:05@hidekih 神と子と聖霊の一体は自分もよくわかってないんですけど聖霊がエートス的なものらしいです。子は現世における神の代替というか子にして人と神の架け橋としてのキリスト かな。キリスト教の現世利益排他的なのは中世だとカトリックの腐敗に対する反動だったように思います
2009-10-27 22:32:25@m_um_u 自分の中にも生成化育の力が存在し、外部にも生成化育の力が存在し、それらはすべて相互に作用しあい、生かし合い、食い合いしているわけで。その力が認識レベルから自分の中に存在している証拠が、フラクタルという生成化育の方程式によって生じた樹木が自然に見えるのだと。
2009-10-27 22:32:30@m_um_u そもそもカントのアプリオリにすらさきだつ「X」、自分の中の元型とは、樹木が自然に生育していく原理と同じものを認識の種としてもっているから「自然」であると感じられるのだと。
2009-10-27 22:33:27@hidekih 神 については自分もピンときてないところがあるかもなのですが、たぶんこのあと(か今度)のミクシ日記にまとめて書いちゃうと思います。
2009-10-27 22:33:41@m_um_u ソクラテス・プラトンが定式化してしまった哲学の神話の世界にこそ、「徳」が存在すると「禅とオートバイ...」に書いてあるのですが、ものすごく納得していしまいました。
2009-10-27 22:34:12@m_um_u ずえひ。キリスト教の神ってシンボルの力はほうぼうの宗教から借りていますが、その根本の唯一神であるというところが、ソクラテスの亜流であるように(対して両方とも知らないくせに)思っています。
2009-10-27 22:35:23@m_um_u そうなんですよ。手を使い、足を運び、静かに語ることの価値が見下されているのですよね。真理一辺倒で生きていけるかと。 RT 一般的に倫理とか哲学の時間ではソフィストのほうが詭弁を弄する輩としてとりあげられるように思うけど、「技術」は本来尊ばれるもののはずですしね
2009-10-27 22:36:39@m_um_u 私はほんとうにわからず描いているのですが、「現世利益排他」は最初からではないでしょうか?例の金持ちの青年の話とカ。 RT キリスト教の現世利益排他的なのは中世だとカトリックの腐敗に対する反動だったように思います
2009-10-27 22:37:53@hidekih この辺の話はふつーイデア論としてまとめられるものだと思いますが、それ自体が存在の形というか、社会(他者)と私との関係を狭める解釈の形だったのかもしれませんね。イデア論的な語りが 「神がそれを使わした」的な神を認めるための本質論と循環してるのともリンクしそう
2009-10-27 22:38:14