立山黒部アルペンルートは、富山県の電鉄富山駅から長野県の信濃大町駅までを結ぶ観光ルートとされている。途中には立山や黒部ダムがあり、国内外からたくさんの観光客が訪れる。電車、バス、ケーブルカー、トロリーバスと、さまざまな乗り物が楽しめるルートでもある。ところが、これらの乗り物や施設の大半を運営する企業は、我々は「観光」ではないと言い張っている。いったいどういう理由だろうか?

「観光」よりさらに大きな理念が込められた「貫光」

この企業の名前は「立山黒部貫光」だ。……えっ!? 「立山黒部観光」ではない? そう、「観光」ではなく「貫光」なのである。

立山トンネルトロリーバスの車体や黒部ケーブルカーの車内銘板にも、「立山黒部貫光」とある

同社は立山黒部アルペンルートのうち、立山ケーブルカー(立山~美女平間)、立山高原バス(美女平~室堂間)、立山トンネルトロリーバス(室堂~大観峰間)、立山ロープウェイ(大観峰~黒部平間)、黒部ケーブルカー(黒部平~黒部湖間)を運行。実際に行ってみると、トロリーバスのボディにも、ケーブルカーの車内にも、「立山黒部貫光」とあった。

事業自体は「観光」だけど、トンネルを繰り抜いて……つまり「貫いて」、光を見たという意味だろうか? たしかに同社は室堂~黒部間を整備し、トンネルも掘っている。しかし実際には、「貫光」にはもっと大きな理念が込められているという。

室堂駅に社名についての説明があった

立山トンネルケーブルカーの室堂駅に、「貫光について」というプレートが掲げられてあり、それによると、「貫」は時間、「光」は宇宙空間や大自然を意味するという。同社の公式サイトでも紹介されてある。

その内容をまとめると、「日本国土の中央に横たわる中部山岳立山連峰の大障壁を貫いて」「日本海側と太平洋側との偏差を正して国土の立体的発展をはかり、もって地方自治の振興に寄与せんとする」「立山黒部の大自然と 古くから伝わる山岳信仰の歴史を尊重して」「国民創造力涵養の道場たらしめんとする」という理念で、創業者の佐伯宗義氏が社名を決めたとのこと。

立山黒部貫光の歴史は、富山地方鉄道の前身となる会社の創業者でもあった佐伯氏が、1952(昭和27)年に立山開発鉄道(TKR)を設立したところから始まる。立山開発鉄道は立山ケーブルカー、立山高原バスを開業した。そして富山県、北陸電力、関西電力と共同し、立山黒部有峰開発(TKA)へと発展していく。1964年、TKAの取締役会で新会社となる立山黒部貫光(TKK)の設立を決議。各社が分担して立山黒部アルペンルートを開発していく。1979(昭和54)年にTKKとTKAが合併し、今日の形となった。

立山黒部を貫き、日本の国土に光を与える。黒部ダム建設の大事業はよく知られているが、自然が残され、電力事業関係者と登山者しか訪れなかった地域に、立山黒部貫光は多くの観光客を集めてきた。2012年度は88万5,000人もの観光客が訪れ、そのうち外国からの観光客は8万9,000人におよぶという。佐伯氏の、「アルプスを貫く道によって、太平洋側と日本海側の格差を減らし、まんべんなく国土を発展させる」という理念が、日本有数の観光地を作り上げたわけだ。佐伯氏はその理念を持って事業を発展させ、後に衆議院議員となり国土発展に尽力。8期を務めたという。

立山黒部貫光の「貫光」は、決して「観光」の誤植ではなく、ましてダジャレなどでもない。国土発展への強い理念が込められていた。