先日、久しぶりに途方に暮れている母子を目撃した。とある駅舎の階段上でのことである。

この駅、改札は2階にあり、駅の入り口とホームは1階にある。駅入り口から改札、ホームから改札に至るエスカレーターの「上り」のみはもれなく設置してあるものの「下り」は無い。エレベーターはどこにも存在しない。

何の因果かこのレアな駅を初めて訪れたと思しき母子。真新しいベビーカーに、まだ首が据わっていない小さな赤ちゃんを乗せた、荷物の多いお母さんは、キョロキョロと辺りを見回したり、赤ちゃんを覗き込んだり、携帯電話をなんとなくいじったりしながら、いかにも困っている。

周囲を行きかう人の流れは途切れなかった。つまり人々はせわしなく、途方に暮れた母子を素通りして軽やかに階段を下りていくのみだった。彼女らはあたかも、そのすぐ脇に設置されている担架とAEDであるかのように無視されている。せわしない人々の目には文字通り見えて無いのだろう、悪意は無いのだろう。たぶん。筆者はこの様子を、少し離れたところ、跨線橋の反対側から見ていた。正確に言うと、見ながらゴロゴロと音立てて近づいていた。筆者自身もベビーカーを押していたからである。

●子どもを乗せたままベビーカーを抱え上げ階段を下りる子どもの通院でその駅を使い慣れている筆者は、いつも深い諦念と共に子どもを乗せたままベビーカーを「うおりゃっ」と抱え上げ、その階段を下りることを習慣にしていた。誰も助けてくれないのでそうするほかない。しかもなるべく涼しい顔で抱え、スタスタ降りるようと心がけている。でないと後ろから時折「チッ」とかいう舌打ちが聞こえる。人の流れが滞って、邪魔だという意思表示であろう。

だが過去に2回だけ、「お手伝いしましょうか?」と声をかけられたことがある。その初回は、いま目の前にいる母子のように、ほんとの「初回」だったのだが。

しかし今日はこちらも手負いである。あちらのベビーカーを助ける間、我が子を置き去りにするわけにはいかない。とりあえず声をかけることにして近寄り、「下りられますか?」と言うと、初心者母さんはハッと身構えながら顔を上げた。それから筆者と我がボロベビーカー(9年もの)を矯めつ眇めつしたところでホッと顔を緩ませた。目には涙が浮かんでいた。

「あの、エレベーターは、どこにあるんでしょうか? 表示が無くて……」
「無いんですよ」筆者が言うと「えっ?」
「表示がじゃなくて、エレベーター無いんですよ」
「やっぱりそうなんだ……」落胆している。

「あの、(あなたは)どうするんですか?」と問う初心者母さん。たぶん、一番嫌な回答がこれだろうな、と思いながら「こうするしかないです」と子乗せベビーカーをひょいっと抱え上げると、初心者母さんは呻いた。

「それ(ベビーカー)、軽いんですか?」「いやー、普通のですから、本体7キロで、子どもが7キロだから、……合わせて14キロくらいかな?」「うそ……」

しかして、こんな風に喋っていると、漸く後ろから「あのう」と誰かが声をかけてくれた。気持ちの良さそうなおばあちゃんが「お手伝いしますよ?」。助かった。

「私はいいですのでこちらを」と初心者母さんへと促し、「じゃ、うおりゃ!(スタスタ…)」とその場を辞したのであるが、あれはあれで7キロのベビーカーを委ねるべきか赤子を抱いてもらうか、結構考えちゃうなぁ、と思った筆者であった。おばあちゃんじゃなくてせめてオバサンならなぁ。或いはオジサンでも女子高生でもいいんだけどな、と。

●うっとうしく思っていたベビーカー、それが転じたワケ

ところで、筆者は子どもがいなかった頃、駅やら電車内で見かけるベビーカーがうっとうしく見え、また何故こんなもので混んだ場所に乗り込んでくるものか、全く意味が分からなかった。正直に言えば、「あんなの使う人はよっぽど子どもが邪魔なんだな」とか、「よっぽど子どもを抱いたりおんぶしたりするのがイヤなんだな」と、いささか悪意を持って眺めていた。

身にしみて「何故こんなもので混んだ場所に乗り込んでくる」かの「意味が分かった」のは子を持って、かつ、2人目の子どもを産んだ後である。

あの日。幼稚園児になったばかりの長姉の手をとり、生まれて半年の赤ん坊をスウェーデン製のメカニカルな抱っこ紐(当時大人気だった)にはめ、やむにやまれぬ病院行脚の外出中、異変は起きた。母たる私の激しい頭痛と吐き気である。出先でへたり込み、暫く動けなくなった。

子の風邪が伝染したのか一瞬疑ったものだが、主な原因は肩に食い込んだ赤ん坊の重みだった。帰宅して子を降ろして程なく、頭痛も吐き気も消失し、驚いた。

●想像して欲しい、母の身一つで子を複数連れて歩く負荷を子を複数連れ、母の身一つとはどういう状況か? その一例を説明しよう。

リュックに5キロのコメと2リットルペットボトルを詰めて身体の前に背負い、別のバッグの中に財布や手帳やペットボトルの飲み物、子どもの着替えやオムツなどを詰めて3キロほど、タスキがけに下げる。左手に幼児の手を繋いでいるイメージで、10キロのコメを詰めたカートをゴロゴロ引きずる。そうして1キロの道のりを30分かけてのろのろと歩く。少し休み、同じ道を戻る。途中で電車に乗ってみるのもいいだろう。

普段から身体を鍛えている人なら大したことではないかも知れない。でも、運動不足気味な人にとっては、想像より結構な修行であることを実感してもらえるのではないかと思う。実際にはこの行脚の最中に「ママ〜オシッコ漏れちゃう〜」や、「ノドかわいた〜」直後に「おえ〜」と吐かれたりしてスリリング。真冬にコートを着て、または真夏の炎天下に試みると肉体的負荷マシマシでマゾ気分がたかまる。理解を深めたい方は、是非試されたい。

この「出先で気持ち悪くなっちゃった」事件、当時やはり子を持つ友人に話したところ、「抱っこ紐で1時間以上、子どもぶら下げてちゃダメだよ〜」と笑いながらいさめられたものだった。「でも出先で下の子どこに降ろすの? 歩けないのに……」「だから長く出歩くならベビーカー使うんだよ。身体、ずうっとラクなんだから〜」「……!」「母親が無理して出先で倒れてどーすんの? そっちのほうがよっぽど他人に迷惑だよ〜」「……。」友の言葉は容赦なくも、目から鱗だった。

そうだった。一人目の娘だけを育てていた頃、実は筆者は得々と「人々に迷惑なので外出にはベビーカーを使わないことにしている」と豪語していたのだ。そのくせ、殆ど一人で娘を連れて出歩くことはしなかった。必ず、夫ないしは身内の女性に同行してもらっていた(母が疲れたら「ハイ交代」である)。

「やむにやまれぬ事情で単独子連れ長時間外出」というシチュエーションも、子が一人の頃は正直なかったので、ベビーカーは新品同様の状態で次の子に引き継がれたほどだったし、その時点まで「ベビーカーで母親の体力温存すべし」という発想がまるで無かった自分自身にも驚いたのだ。

●“ベビーカー”親だって10年前は「ウザッ」と思う側だったかもしかし、いまも昔も世論は概ね「ベビーカーというモノ」に対し、総じて否定的・批判的であろうと筆者は認識している。ゴロゴロと突っ込んでくるベビーカーに煽られ、朝の駅ホームであわや落下しそこなったり、車輪に踏まれて痛い思いをした方らの憤りも時折耳にする。

かくベビーカー持ちのパパママ中に幾分、ルール&マナーを逸した活用を是とした人らがいるのは確かだが、ベビーカーを使っている当人ら自身も、ゴロゴロ言わせながら、内心かなりの確率で困惑し憤っているということは、ここで申し添えておきたいと思う。

なんなれば、目前で厚顔無恥な行為に及んでいる馬鹿“ベビーカー”親は、しかし10年前から同じ者が同じ行為をしているわけではない。彼ら自身、ほんの少し前までは「電車内のベビーカー、ウザッ」と眉をひそめていた側にいたのである。だから「自分、ウザいかも」という疑念は意識の片隅には存在しているのかも知れない。それでも「いま」不遜なのは何故か。

エレベーターのない駅の冷たさは勿論として、エレベーターの存在する駅ですら、その位置取りのあまりの不便さに「乗り換え間に合わない!」と駅構内を爆走せざるを得ない現実。その上、エレベーターには「スタスタ」歩けるハズの一般人が我先に乗り込み、当のベビーカーは最後に締め出されざるを得ないという怪現象。

「ほんの少し前までは」目の当たりにしたところで完全に他人事に過ぎなかった諸事が己の身に降り掛かって来た、それは子を持って初めて知る類の多くの「世知辛さ」のうち、ごく僅かな一面に過ぎない。それでも「何この仕打ち?」「何の罰ゲーム?」と問いたくなる、ある種「人間の尊厳に関わる」ような事象が子を連れているというだけで時折襲い来る。

●育児にまつわる多くの出来事は喉元過ぎれば忘れ去られていくが…昨夏物議を醸した【「子供がうるさいので電車降りてくれませんか」と母親に言った女性会社員】問題もシチュエーションは異なるが同根だろう。厚顔にならなければ逆にヤられる、といった危機感が子らの親に無いと言ったら嘘になるだろう。

そもそも赤ちゃん、幼い子どもという存在自身がこちらの事情お構いなし感情抑制なしに迫ってくる存在なのである。よって「ベビーカーに乗っているような幼い子どもを持っている親はそれだけで追いつめられ気味、育児疲れ気味、ノイローゼ気味である」というくらい穿った見方が第三者にはあってもいいのではないかと思うのだがどうか。

救いでもあり、絶望でもあることに、子が長じて喉元過ぎれば忘れ去られていくのが育児にまつわる多くの出来事であるという点は看過し難い。願わくばベビーカーの上の赤ちゃんたちが、こんな世知辛さを味わう日がいつか来ないことをと祈る(筆者も例外ではないだろうが)。

「世の中冷たい」「超不便」「邪魔」「ウザ」「危なっ」渦巻く大人たちの思いの毒オーラを纏う「ベビーカー」。そうは言っても、いつだってベビーカー上の赤ん坊にはひとかけらの咎も無いのだ。


藤原千秋
大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。おもに住宅、家事まわりを専門とするライター・アドバイザー。著・監修書に『「ゆる家事」のすすめ いつもの家事がどんどんラクになる!』(高橋書店)『二世帯住宅の考え方・作り方・暮らし方』(学研)等。8歳4歳0歳三女の母。

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