アップル新本社ビル 息づくシリコンバレーの反骨
海外とっておき シリコンバレー支局・岡田信行
アップルのスティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)が明らかにした新本社の建設計画がシリコンバレーで大きな話題になっている。着陸した宇宙船にも、SFアニメに登場する宇宙ステーションにもみえるドーナツ型のオフィス棟は、4階建て。日本の読者の多くは、その外観もさることながら、アップルほどの大企業の本社が4階建てという点に驚くかもしれない。
シリコンバレー企業の本社は軒並み3~4階建てだ。アップルだけではない。グーグルも、フェイスブックも、インテルも同様だ。10階建てを超えるような高層ビルに本社を置く企業は、サンフランシスコやサンノゼといった都市部を除けば、まずない。
あるベンチャー投資会社の幹部が面白いことを言っていた。「高層ビルでネクタイ締めて働きたいヤツは東海岸に行く。シリコンバレーに残るのは、そういう見てくれに興味がないギーク(オタク)な連中だ」。そういう彼のオフィスも、スタンフォード大学を望む高台の2階建て。もちろんエレベーターなどない。
シリコンバレーも実は土地が余っているわけではない。パロアルトなど中心部のオフィス賃料は高く、大都会の市街地にも匹敵する水準だ。高層ビルの林立する大都会との違いは、土地の広さにあるのではなく、根底にある文化や価値観の違いに起因しているように思える。
シリコンバレーの中心地、パロアルト市。スティーブ・ジョブズ氏の自宅にもほど近い住宅地に「シリコンバレー誕生の地」という表示板がひっそりと掲げられた民家がある。その裏にある小さなガレージこそ、アップルの新本社予定地の持ち主だったヒューレット・パッカード(HP)が72年前に産声を上げた創業の地だ。
表示板には、スタンフォード大の同級生だったHPの創業者ウィリアム・ヒューレットとデービッド・パッカードに、大学の恩師フレデリック・ターマン教授が「東海岸の出来上がった企業に就職するより、ここで起業しないか」と助言。2人が助言に従って起業したことが記されている。
シリコンバレーは原点から反骨精神と挑戦者精神にあふれていた。彼らにとって、高層ビルはエスタブリッシュメント(確立された社会階層・勢力)の象徴だったに違いない。
ガレージからアイデア1つで起業し、人種や年齢、性別、宗教や性的指向、服装などにこだわらず、単純な実力主義、実用主義を是とする"シリコンバレー的な価値観"。それを体現するには、階段で自力で上り下りできる4階建て程度のビルがふさわしいのだろう。
ゴールドラッシュの昔から、21世紀の今に至るまで「辺境(フロンティア)」であり続けたシリコンバレー。1年中、過ごしやすい気候が続き、心を癒やす広い青空と満天の星空を見上げると、多少の失敗は忘れて再挑戦しようという気になってくる。多くの起業家がシリコンバレーの良さは何かと訊かれて「気候と広い空」と答えるのは偶然ではあるまい。
空の狭い都会のコンクリートジャングルの中で空を見ることなく、星を見上げることなく、毎日を送ってしまうと、夢を抱いて「上を向いて歩く」ことを忘れてしまうのかもしれない。
iPhoneやiPadの成功で、今や向かうところ敵無しともみえるアップルが、成功の証しとして「バベルの塔」のような高層ビルを建てるのではなく、超低層の"宇宙船"のような新本社を建てるのも、シリコンバレー精神を引き続き守る決意かもしれない。大企業になっても、下界を見下ろすのではなく、地に足を付けて、空を見上げて夢に挑戦する――。世界を変えてきたのは、そうした辺境の異端児だ。エスタブリッシュメントではない。