清原和博・元プロ野球選手が2月2日、覚せい剤取締法違反の疑いで、現行犯逮捕された。世間に大きな衝撃を与えたこの事件。メディアによる報道はいまだ収まる気配にない。
 法を犯したとはいえ、薬物依存はれっきとした精神疾患でもある。薬物依存者に対して懲罰的な発想が根強いが、果たしてそれで本質的な解決につながるのか。
 薬物依存症研究の第一人者である、独立行政法人国立精神・神経医療研究センター精神保健医療研究所薬物依存研究部長の松本俊彦氏に、病の実態や横たわる課題の数々について尋ねた。

(聞き手は庄子 育子)

心が薬物にハイジャックされている状態

清原氏逮捕時の様子をあるテレビ局が独占的に捉えていましたが、薄着であるにもかかわらずかなり汗をかいているなど、少し異様な感じがしました。臨床的にはどんな状態であったと捉えられますか?

<b>松本俊彦(まつもと・としひこ)</b><br/> 国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長/自殺予防総合対策センター 副センター長<br/> 1993年佐賀医科大学医学部卒業後、国立横浜病院精神科、神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。日本アルコール・薬物医学会理事、日本精神科救急学会理事、日本青年期精神療法学会理事。主著として、「薬物依存の理解と援助」(金剛出版, 2005)、「自傷行為の理解と援助」(日本評論社, 2009) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店, 2011)、「薬物依存とアディクション精神医学」(金剛出版, 2012)、「アルコールとうつ、自殺――「死のトライアングル」を防ぐために」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない――自傷~回復するためのヒント」(講談社, 2015)、「もしも「死にたい」と言われたら――自殺リスクの評価と対応」(中外医学社, 2015)など。
松本俊彦(まつもと・としひこ)
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長/自殺予防総合対策センター 副センター長
1993年佐賀医科大学医学部卒業後、国立横浜病院精神科、神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。日本アルコール・薬物医学会理事、日本精神科救急学会理事、日本青年期精神療法学会理事。主著として、「薬物依存の理解と援助」(金剛出版, 2005)、「自傷行為の理解と援助」(日本評論社, 2009) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店, 2011)、「薬物依存とアディクション精神医学」(金剛出版, 2012)、「アルコールとうつ、自殺――「死のトライアングル」を防ぐために」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない――自傷~回復するためのヒント」(講談社, 2015)、「もしも「死にたい」と言われたら――自殺リスクの評価と対応」(中外医学社, 2015)など。

松本:推測でしかありませんが、目がつり上がり、汗も噴き出ているところからすると、覚せい剤を使用してまだ間もない、薬が体の中に入っている状態かなと感じました。

清原氏をめぐっては、長期にわたり覚せい剤を使用していた可能性も高いのではないかと言われています。

松本:これも推測の域を出ませんが、たしか2年ぐらい前に疑惑の報道があって仕事が激減する中、本人だって覚せい剤をやめなければと感じていたと思うんです。それでも使っていたということは、清原さんは自分の意志だけではコントロールできない状態、恐らくは薬物依存症の状態にあると推察されます。

薬物依存症とは実際どういう病気なのでしょうか。

松本:端的に言えば、大麻や覚せい剤、シンナーなどの薬物を繰り返し使用した結果、もうやめようと思っていろいろ工夫しても、なかなかうまくいかない、そういう病気です。「心がいつも薬物に捉われている」状態、言い換えれば、脳が依存性薬物に「ハイジャック」され、自分の意志や行動が薬物にコントロールされている状態を示します。

 そもそもなぜ人は薬物に依存するのか、依存性薬物にはどんな効果があるのか。例えば、勉強や運動を一生懸命頑張って良い成績を取り、周囲からほめられると嬉しいですよね。そんな風によい気分を味わった人たちは、嬉しさを自分の糧にして、また勉強や運動を頑張り、ある人はいい学校へ行き、またある人はスポーツで認められるようになります。脳内の快感中枢を直接刺激する性質を持つ覚せい剤は、言うなれば、この努力の後の周囲から承認された気持ちよさに通じる感じを与えてくれるんですよね。

実際には努力の過程を経ることなくですね。

松本:ええ。その効果は絶大です。人を勉強好きやスポーツ好きにさせるのと同レベルということですから。勉強をほめられた子供がせっせと勉強に打ち込むようになるのと同じように、薬物で多幸感を体験した人は再びその体験を求めて薬物使用を繰り返すようになるわけです。

 もっとも、多くの場合、最初は、週末だけとか、友達とパーティーの時だけなど、自分なりのルールを定めて薬物を使っていて、それなりにコントロールもできています。けれど、誰しも日々の生活の中で嫌なことやつらいことってありますよね。そんなときに薬物の使用量が増えていくんですね。

 当の本人は、「自分はつらいことがあってもこうやって気持ちを切り替えて、薬も自分の生活もコントロールでてきている」と思い込んでいる。けれども、実際には使い方がおかしくなって量も増えていく過程で、薬にすっかり振り回されている状態になってしまっています。

価値観の序列が変わり、嘘つきに

そうして薬物中心の生活になるのですね。

松本:ええ。薬物被害で一番恐ろしいのは、薬の使用によって、本人の価値観の序列が変化してしまうことです。例えば、これまで自分にとって大切だったのは、家族や恋人、友人、仕事、財産、健康、そして将来の夢だった。けれど、気付くと薬物が最上位に来て、薬を使える仕事、薬を許してくれるパートナー、薬を使うことを見逃してくれる友達などを選ぶようになる。

 すると、昔の自分とずいぶん変わってしまって、だんだんと自分らしさがなくなってしまう。周りからすると、「性格が変わった」「別人になった」という話になるわけです。

 覚せい剤の使用によって一時的には薬を使ってパフォーマンスが上がることもあります。これまで学校や職場で全然ほめられたことがなかったのに、薬を使って寝ずに勉強や仕事をしたら周りからほめられた。もちろん周囲は薬を使っていることを知らない。

 そんな中、やっぱりほめられるのはうれしいから、「こうすれば頑張れるんだ」と思って、頑張るために薬を使う。でも、薬を使っても前と同じパフォーマンスで、薬を使わないとがくっとパフォーマンスが落ちている状態なんてすぐにやってきます。

 そうなると、自分が自分であり続けるためには薬を使い続けなければならない。でも規制されている薬物であれば、隠れて使うしかないですよね。だから周囲に嘘をつかざるを得なくなってくる。お金もかかるから、お金を引き出すために、またあれやこれや嘘をつく。そうこうするうちに本当に嘘つきになってしまうんですよね。

一番だましているのは他の誰よりも自分

清原氏も、昨年夏に放映されたテレビ番組で薬物使用を否定していました。

松本:そうですね。薬物依存症を抱える人は本当によく嘘をつきます。ただ、大抵の場合、一番だましている相手は他の誰よりも自分なのです。

 薬物依存症の多くの人たちが「これが最後の一発」と自分に言い聞かせながら、薬物をいつまでも使い続ける。これが自分に対する嘘です。

 もうやめようと決断するのだけれども、なかなか最後にならない。「ヤバいな、俺。ハマっているかもしれない」と思ったときには、必ず自分よりひどい状態の人間を探して、「ああなったら人間おしまいだな、俺はまだまだ大丈夫」などと、自分で自分をだましているうちに本当に自分を見失ってしまうんです。

 自分は必死に頑張っているつもりで、周りにいろんなアピールをする。けれども、周りからすると、明らかに不信感のある行動を取っていることも多く、そうなると「何言ってんの、コイツ」と受け止められ、信頼をだんだん失っていくわけです。

 そのほか、覚せい剤に関しては、薬が切れた後に長く寝てしまうことが少なくありません。薬で中枢神経を刺激し、エネルギーを前借りしている状態ですから。効果が切れればがくっと寝てしまうんですね。それは、目覚まし時計をガンガン鳴らしても起きない深い眠りだったりする。

 そうすると週末だけ覚せい剤を使って月曜からちゃんと仕事をしようと思っても、起きたら月曜の昼や夕方だったりして、職場に行けない。そんなことを繰り返すうちに、重要なアポイントメントをすっ飛ばしたりして、職場から総スカンをくらって、職を失う。経済的に追い詰められていくと家族も離れていってしまう。最終的には、人生全般に大きな影響を及ぼす可能性が高まります。

拍子抜けの初体験がハードルを下げる

世間には、薬物依存症は快楽におぼれた結果と捉える向きもあります。

松本:もちろん快楽性を求めて覚せい剤を始めた人はいると思います。例えば、セックスをもっと気持ちよくするためにとか。ただ、依存症と診断される状態になると、使ってもそんなに気持ちいいわけではなく、快感はあったとしても線香花火並みにごく限られた時間で、たちまち消えしぼんでしまいます。むしろ薬を使っていない時間がつらく、そのつらさを和らげるために、覚せい剤を使わなくてはいられなくなってしまっているんですよね。

 薬物のよさを知っている人はストレスがあったときに薬物に頼る。そして、つらさをやわらげて、しんどい今を生き延びようとする。その繰り返しです。つまり快楽ではなく苦痛の緩和のために薬物にハマるわけです。ハマってしまえば、やめたくてもやめられず、依存が深刻化していきます。

薬物依存症になるのは、もともと違法薬物に手を出したからであり、「身から出たさび」との見方も多いと思います。

松本:確かに、それを否定するつもりはありません。でも誰も依存症になりたくてなったわけではありません。

 それに、こんな事情もあります。例えば、薬物乱用者といえば、目はおちくぼんで頬がこけていて、いかにも不健康そうなタイプをイメージする人も多いことでしょう。けれども、そういう風になるのは実は稀で、しょっちゅう起きるわけではありません。

 でも学校教育の場面などでは、害をことさら強調するために、極端な例を使って、一定のイメージを植え付ける。すると、社会に出て実際に薬をやってみないかと誘われたとき、誘ってきた使用者を見ると、健康そうでむしろ格好良くキラキラして見えたりするわけですよ。その結果、「やっぱりあれはウソだったのか。大人はそうやってすぐ大げさに子供に言って自分たちに楽しいことを伝えない」などと受け止め、薬に手を出してしまうのです。

 それで、最初は使っても、タバコやお酒が最初からおいしくないのと同じで、言われているほど気持ちよくない。学校で教わったような怖いことも起きない。この拍子抜けの初体験をきっかけに、その後の薬物使用のハードルが下がって、薬を使い続けるようになり、薬物依存症へ陥ってしまいます。

ワーカーホリックと「水」の落とし穴

薬物依存症になりやすいタイプというのはあるのでしょうか?

松本:薬物依存症になる人たちの性格に一定の傾向はないことが知られています。ただ、しんどいことをしんどいと頭の中できちんと意識をして、他人に愚痴ったり相談したりするのが下手な人が多いということは言われています。少々厄介なのは、本人も知らぬ間に自分の疲れや傷つきを無視する癖がついていて、ストレスを感じていないと信じ込んでいたりするんですよね。

 しかも、そういう人たちは頑張り屋でもある。薬物を使う人はだらしがないと皆思うかもしれないけれど、もちろんそういう人もいるのだけれど、覚せい剤のような興奮をもたらすアッパー系薬剤の乱用者は案外ワーカーホリック(仕事中毒)であることが多い。

 よくある光景として、薬物依存者が刑務所での"お勤め"を終えると、刑務所職員や地域の保護司さんは「仕事をしないでふらふらしていると薬のことばかり考えてしまう」と、就労を進めるんです。でも、ワーカーホリックの人がガンガンに仕事をすることで、ストレスがたまり、ストレス解消のために再び薬を使ってしまうということもあるわけです。また、仕事をすることで普通に給料をもらうと、自由になるお金が手に入ったからといって、やはり薬に手を出してしまう人もいます。それらを阻止するなら、仕事の仕方や給料の受け取り方に工夫を凝らす必要があります。

 このように依存症を正しく理解しないまま助言をしてしまうと、全く逆効果になってしまう恐れがあるんですよね。

 他にも、例えば薬物を絶っている当事者に付き添ってコンビニエンスストアに行った際に、のどが渇いたからコーラを飲もうとする相手に対し、メタボになっちゃうからと親切心でミネラルウォーターを薦めたら思わぬ結果を招くこともあります。注射器で覚せい剤を使っている人は、粉末を溶かすために500mlのミネラルウォーターを持ち歩いていることが多く、そのボトルを目にしただけで薬物の欲求がよみがえることがあります。それを知っていれば、水を薦めませんよね。

医療機関と当事者のプログラムを組み合わせて

薬物依存症の治療にはどういうものがあるのでしょうか?

 アルコールや、ヘロインのような抑制作用をもたらすダウナー系の薬物の依存症に関しては、効果的な薬剤が登場しています。しかしながら、覚せい剤やコカインといったアッパー系の薬剤については、明らかな効果のある薬剤は今のところ出ていません。

 基本的に薬物依存症の治療に当たっては、心理社会的アプローチが有効で、治療プログラムには大きく分けて医療機関でのプログラムと、薬物依存の当事者によるプログラムの二つがあります。

 前者では、個別カウンセリングのほか、ワークブックに沿って、「自分がどんなときに薬物の渇望が刺激されやすいのか」を振り返り、「渇望が刺激されたらどのようにして気持ちをそらすのか」をグループで学ぶ再発乱用防止プログラムが行われている場合が多いです。

 後者としては、薬物依存症の自助グループがあります。これは同じ境遇の人たちが集まり、自分の近況や感じていることを話し合う場です。

 実際には、医療機関のプログラムと当事者のプログラムをうまく組み合わせて治療を進める場合が多く、それが最も成果が上がりやすい方法であるとされています。

葛藤は禁物、「深夜ラーメン」式で危険因子を除外

松本:薬物依存症の治療で最も重要なポイントは、薬の欲求が刺激され依存薬物そのものを目の前に出されたら、依存者は誰もが我慢できずに使ってしまうことを大前提とする視点です。覚せい剤依存症の人はどんなに長く薬を断っていても、そうした場面に直面すれば恐らくほぼ間違いなく使ってしまいます。

 薬の欲求が刺激され、目の前に薬が置かれてしまったらどうにもならない。けれども、薬の欲求を刺激する手前の危険に気付けば、そこを巧みに避けることで、薬の使用にもつながらない。

 先ほど述べたミネラルウォーターのペットボトルのほか、かつて覚せい剤をよく使用していた場所を訪れたり、一緒に使用していた薬物仲間と出会ったりすることは危険因子です。また、クラブなんかに行くこと自体がまずかったりする場合もある。お酒を少し飲んでほろ酔いになった時が危ないとか、女性の場合は体重が増えてくると使いたくなるということもあります。

 そうやって危険因子を挙げながら、どうすれば即座に避けられるかを考えることが重要です。葛藤は禁物です。いったん考え始めると、易きに流れてしまいますから。

そうなんですね。

松本:ちょっと俗な例かもしれませんが、夜中に急にラーメンを食べたくなることってありませんか。そこで若干葛藤しますよね。今、食べたら翌朝、気持ち悪いし、そもそも太るじゃないかと。でも、そこで、考えてみたら、今日はずいぶん疲れたし、夕食は軽かったから大丈夫などと自ら言い訳して、結局食べてしまう。葛藤していたらほぼ100%ラーメンを食べるわけです。

 だからラーメンを食べたいと思ったら、これはいつものパターンだから、すぐに歯を磨いて布団に入るなどと決めておけば、食べなくて済みますよね。それと同じような戦略を覚せい剤についても取るようにするのです。

 戦略の立案・遂行に当たっては、一人でやるのではなく自助グループ内での意見も参考にすると、より取り組みが深まります。仲間の話を聞く中で、自分は意識していなかったけれども、実は自分にとってもそれは危険因子だと気付かされたり、解決方法にしても、他人の知恵を借りることで、更に洞察が深まることは往々にしてあるんですよね。

完治しないが回復できる。病識の低下に注意

根本的な質問ですが、薬物依存症は治るのでしょうか?

松本:薬物使用をやめて体内からすっかり薬物を抜いたとしても依存症という病気は相変わらず存在します。ですので、完治することはありません。けれどやめ続けることによって、失った健康や財産、あるいは信用を取り戻すことは十分に可能です。つまり、「完治することはないが、回復することはできる」病気なのです。

とはいえ、覚せい剤は、覚せい剤取取締法で規制されている薬物のため、覚せい剤使用者・依存者に対する世間の目は非常に厳しいのも事実です。

松本:それは十分承知しています。精神科医のような専門家の間でも、薬物依存症は医療的ケアを要する「病気」ではなく、取り締まりの対象となる「犯罪」と見なす人がいまだに多い現状にあります。

 しかし、薬物依存症を犯罪として処罰するだけでは限界があります。もちろん、私は取り締まりや刑罰が全く無意味というつもりはありません。薬が抜けた頭で、「これからどうやって生きていきたいのか」と振り返ることのできる環境を得る機会として、逮捕される経験には一定の意義があります。

 けれども、刑務所という場所は薬物依存症をこじらせる側面もあります。どんなに重篤な薬物依存症を抱えている人でも、絶対に薬を使えない環境にいると、薬物に対する欲求を自覚しなくなり、自分の病を簡単に忘れます。刑務所で健康的な生活をして体調もよくなると、本人は依存症は完全に治ったと思い込み、いくら誘われても大丈夫だろうと過信し、それで出所後に昔の仲間に会って、あっさりと薬物に手を出してしまうパターンが多いのです。また、本人の病識の低下は、もちろん治療の遅れにもつながります。

 ただ、今年6月から、刑の「一部執行猶予制度」が始まるので、少し状況は変わるかなと期待はしています。

「やりたい」と告白できる場所が必要

薬物事件を起こした受刑者などを対象に、3年以下の懲役・禁錮判決を言い渡す際、刑期の一部を刑務所で服役させ、残りの期間の執行を猶予できる制度のことですね。例えば「懲役2年、うち6カ月は刑の執行を2年間猶予する」という判決を受けたら、受刑者は1年半の間刑務所で服役し、最後の6カ月は「執行猶予」で、釈放されることになります。

松本:この改正で保護観察がどっと増える見通しです。けれど、現状のわが国の薬物依存症に対する支援資源は残念ながら圧倒的に不足しています。薬物依存症専門医師の数は全国に10人程度しか存在せず、薬物依存症に特化した治療プログラムを持つ専門病院はごく限られます。これまで精神科の専門家にとっても、薬物依存症患者は招かれざる客だったんですね。

それはなぜですか。

松本:まずひとつは先程も述べたように、薬物依存は「犯罪」という認識が根強い。また、違法薬物を使用する患者を警察に通報すべきかよくわからず、扱いが厄介なので、敬遠しているケースも少なくありません。ちなみに、正しくは、自傷や他者を傷つける恐れがある場合を除けば、医師は治療と守秘義務を優先させるのが基本です。

 少々脱線しますが、やめられないとまらないという病から回復するためには、「薬をやりたい」「薬をやってしまった」と正直に告白できる場所が必要だと感じています。覚せい剤依存の人たちは「やりたい」と言っているうちはやらないんですよ。やると決めたらその気持ちを押し隠して、邪魔されないように仕事のスケジュールを調整し、周到に時間とお金と場所をつくるんです。そしてこっそり使うんです。「やりたい」と打ち明けるのは、何とかしたいと思っている。それから、「やってしまった」と告白するのは、確かに失敗してしまったけれどもこのままではいけないと思っていることの現れです。

 そのほか、医療機関は診療報酬で回っているけれど、病院での薬物依存者に対する集団療法に対してこれまで評価がありませんでした。だた、この点については、今年4月の診療報酬改定で、新たに報酬がつく見込みです。

国の動きを見る限り、薬物依存症からの回復と社会復帰支援に力を入れ始めていると感じます。

松本:ようやく重い腰を上げたかなと受け止めています。国際的には、薬物依存症からの回復には刑罰よりも地域における治療の方が有効というのは、いまや常識です。けれど日本は、薬物に手を出してはダメという「ダメ・ゼッタイ」キャンペーンは盛んなものの、治療・復帰・支援の取り組みは先進国の中で最も貧しいのが現状です。

薬物を肯定する気持ちは全くないんですが、薬物を使用すると、日本では人生のやり直しがきかないイメージです

松本:そうですね。例えば、米国ではオバマ大統領が若い時にいろんな薬物を使ったことを明かしています。

「覚せい剤やめますか、人間やめますか」の弊害

松本:今回の清原さんしかり、他のいろんな芸能人が薬物の事件を起こすたびにそうなのですけれど、報道はときどき人格攻撃になりますよね。生い立ちをいろいろ探って、このトラウマがあったから薬物に手を染めたなどと伝える。

 激しく糾弾することで本人がそれこそ闇の世界にしか帰れなくなる恐れもある。それが病を抱えた人に対して果たして妥当な措置なのか、私自身は疑問を感じざるを得ません。

 それから、実は清原さん逮捕のニュースが連日繰り返されることで、今、必死に薬物と闘っている方が苦悩している面もあります。清原さんの汗ダラダラで薬のキマった顔と、その後に続く注射器、粉の映像を見ると、薬物依存の患者さんは欲求が刺激されるんですよ。実際、私の外来で、「欲求が入っちゃいました」「虫が騒いでいます」などと何人もの患者さんが訴えていました。

 一方で患者のご家族は、自分の子供だったり夫の元にいきなり警察がガサ入れした恐怖の朝のことを思い出して気持ちが暗くなって、またすっかり落ち込んでしまっているんですね。

 もうずいぶん前になりますが、日本民間放送連盟の麻薬撲滅CMで「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」というキャッチフレーズが使われていました。私は十数年前から少年院などに定期的に行って子供たちの診察をしているのですが、あるとき、十代の覚せい剤依存症の少年が入ってきたんです。その少年に、学校で薬物乱用防止講演がなかったのかを尋ねたところ、上記のキャッチフレーズを元に警察の方が指導に当たったとのこと。当時、少年の父親は覚せい剤取締法違反で刑務所に入っていて、講義を受けた少年は、「そうか、俺の父親は人間じゃないんだ、人間じゃないやつから生まれた子供だから俺もダメだなと思った。それで、自暴自棄になって、悪い仲間に自分から近づいて薬をやったのが最初のきっかけだった」と語っていました。このエピソードは今も忘れられません。

 薬物依存症は罰では治りません。最後に今一度その点を強調しておきたいと思います。

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