森のバロック (講談社学術文庫)3・11後にイナゴのように湧いてきたにわかエコロジストには、南方熊楠を読むことをおすすめしたい。彼は「エコロジー」という言葉を日本に初めて導入し、その本質を誰よりも深く理解していた人である。彼は自然の複雑性を近代科学の単純性に還元することを拒み、博物学の世界にこだわった。本書は彼についての解説書で、学問的なオリジナリティはないが、読みやすくおもしろい。

南方は旧制中学時代に大蔵経や四書五経をすべて暗記し、19カ国語をあやつった天才で、ロンドンに留学して大学のポストを提供されたが、帰国して和歌山県の実家に閉じこもって一生を過ごした。その土蔵を撮影したことがあるが、漢文から博物学に至る膨大な蔵書にびっしりと書き込みがあった(BSで3時間番組を2本つくった)。

彼が一生を賭けたのは、粘菌の研究だった。これは当時はまともな学問研究の対象とはみなされておらず、その分類に関心をもつ人も少なかったが、南方は毎日、熊野の山に分け入って新しい種をさがし、生涯に178の新種を発見し、"Nature"に50本の論文を発表した(これはいまだに日本人の最高記録)。それ以外にも、自宅には未分類の膨大な標本があるが、その研究を継承する人はいない。

南方は、現代の言葉でいえばディープ・エコロジーの元祖といえよう。彼は神社合祀令に反対し、鎮守の森を守る運動に立ち上がった。特に田辺湾の神島の自然保護に力を尽くし、その地を昭和天皇が行幸して南方が進講したことで、彼は一躍注目された。しかし学界では、彼は単なる博物学的なコレクターで、生物学に対する「科学的」な貢献はなかったと評価されている。

彼が今、生きていたら、原発も火力発電も太陽光発電にも反対し、薪(バイオマス)で暮らせというだろう。彼が神社合祀令に反対したのは、単に珍しい植物を保存するためではなく、人々が森とともに生きてきた「自然=人間システム」としてのエコロジーを破壊するからだ。ニュートン力学をモデルとして自然を要素に還元するメカニカルな自然観を彼は否定し、その劣化コピーに過ぎない日本のアカデミズムも拒否した。

南方は『十二支考』などによって日本の民俗学の元祖としても知られているが、彼はそれを柳田国男のように整理・分類しないで、膨大な博物学的知識を浪費して脈絡なく語った。それを読むと、誰もが彼を100%理解することはできないと感じるだろう。その複雑さと乱脈さが自然の本質なのだ。