当事者が初めて語った「放射能失言」の裏側!鉢呂経産大臣は原発村を揺るがす
「原発エネルギー政策見直し人事」
の発表寸前だった

鉢呂大臣は原発村のタブーに触れていた 〔PHOTO〕gettyimages

 鉢呂吉雄経済産業相の辞任問題は、いまも謎の部分が多い。

 鉢呂が記者会見で「死の町」と発言したのは事実である。だが、大臣辞任にまで至ったのは、記者との懇談で「放射能をうつしてやる」と"発言"したという新聞、テレビの報道が批判に拍車をかけた側面が大きい。

 ところが、その発言自体の裏がとれないのだ。高橋洋一さんが9月12日付けのコラムで指摘したように、各社の報道は「放射能をうつしてやる」(東京新聞)から「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞)、「放射能を分けてやるよ」(FNN)に至るまでまちまちだった。

 鉢呂本人は終始一貫「そういう発言をしたかどうか記憶にない」と言っている。実際の発言がどうだったかどころか、本当にそういう趣旨の発言をしたかどうかさえ、はっきりとした確証がないのである。

 そこで私は13日午後、鉢呂本人に衆院議員会館の自室でインタビューした。鉢呂事務所は「辞任以来、どなたの取材も受けていません」と取材をいったん断ったが、その後、数時間経って「本人がお会いすると言っている」と連絡があり、インタビューが実現した。以下はその主なやりとりである。

「朝日新聞の記事は間違いだ」

 -いま、どういう心境か。

「『死の町』という言葉は、大変な被災に遭った福島のみなさんに不信の念を抱かせる発言だったと思っている。私は原発から3キロ圏内を視察した。ひとっ子1人いない様子を見て、私にはああいう表現しか思い浮かばなかった。申し訳ないし、反省している」

 -8日夜の記者懇談はどういう状況だったのか。

「あの夜、視察から赤坂の議員宿舎に戻ってくると、記者さんが5,6人待っていた。みんな経済部の記者さんだと思うが、私はそれまで経済部と付き合いがなかったので、顔見知りはだれもいなかった。後ろのほうに政治部の記者さんが2人いたと思う。こちらは知っている」

「原発周辺では線量計を持っていた。私は一日で85マイクロシーベルトだった。その数字を記者たちに喋ったのは、はっきり覚えている。朝日の検証記事(13日付け)で『私が線量計をのぞいて数字を読み上げた』というのは間違いだ。線量計はJビレッジ(原発作業員の基地)に返却してきた」

 -「放射能をうつしてやる」と言ったのは本当か。

「『うつしてやる』とか『分けてやるよ』と言った記憶は本当にないんです。もしかしたら『ほら』という言葉は言ったかもしれないが、それさえ、はっきり覚えていない。『ほら、放射能』という報道もあったが、放射能という言葉を出したかどうか分からない」

「はっきり言えるのは、私が防災服を記者になすりつけるような仕草をしたことはないっていう点です。一歩くらい記者に近づいたことはあったかもしれないが、なすりつけるようなことはしていない。そんなことがあれば覚えています」

 -記者は発言を録音していなかったのか。

「していなかったと思う」

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら

関連記事