『コンビニ人間』著者・村田沙耶香「普通に見える人たちも、じっくり話すと変なところがある」

村田沙耶香さん

『コンビニ人間』で第155回芥川賞を受賞された、小説家の村田沙耶香さん。村田さんの小説には、周囲にうまく溶け込めず「普通でいること」の圧力にさらされる主人公がたびたび登場します。そんな小説を書いている村田さんは、「普通」とどのように向き合ってきたのでしょうか。

「落ちればいい」と思いながら就活していた

村田さんが小説『授乳』でデビューされたのは、23歳のときですよね。まずは、デビューまでの経緯を教えていただけますか?

村田さん(以下、村田) 大学生の頃、文学学校に通いながら小説を書いていたんです。4年生になって就活を一応始めはしたんですが、小説を書き続けたかったので内心「落ちればいい」と思っていて……。

自分が不器用な性格だと分かっていたから、就職したら小説を書くのをサボってしまうかもしれないと思ったんですよね。そんな気持ちで就活していたので当然と言えば当然なんですが、1社を除いて全社不採用になって。

その1社にひとまず就職しよう、とはならなかったんですね。

村田 私が就活していた頃は、ちょうど就職氷河期と言われていた時期で、ただでさえ内定をもらうのが難しかったんです。ただ、その会社では、最初の面接に行った時点で「あなたたちは全員合格です」って言われて(笑)。帰り道、同じ面接に来ていた知らない就活生同士で「ここ絶対やばいよね?」「やめた方がいいよね?」と話し合って。

小説を書いていることは家族に言っていなかったので、「1社しか受からなかったから、バイトしながらゆっくり仕事を探そうと思う」と両親には伝えました。就職氷河期だということは両親も分かっていたので納得してくれて。それから1年間くらいフリーターをしながら小説を書く生活を続けて、新人賞でデビューしたという感じです。

『コンビニ人間』で芥川賞を受賞された際、村田さん自身も作中の主人公・古倉恵子と同じように現役でコンビニ勤務をされていたのが話題になりましたよね。受賞後すぐに専業小説家になろう、とは思わなかったんですか?

村田 小説家って、食べていけない仕事だと思っていたので……。特に純文学で売れるのは難しいといわれる世界だし、芥川賞をとったとしても食べていける人はごくわずか、というのを耳にしていたんですよね。

それに、文学学校で教えていただいていた宮原昭夫先生が、「小説家とは人間の職業ではなく状態だ」とおっしゃっていたのも印象的で。「状態」なら基本、食べられない世界なのもしょうがないのかなと(笑)。今は両立が難しくて専業になっていますが、今後お金に困ったらまたバイトをしたいなと思っています。

「普通でいなければ」という子ども時代の強迫観念

村田沙耶香さん書籍

代表作の『コンビニ人間』をはじめ、村田さんの書かれる小説には、結婚や出産、正社員として働くことなど、いわゆる「普通」の生き方を周りから求められて戸惑う主人公が多く登場しますよね。村田さんは、「普通」という言葉にどんなイメージを持たれていますか?

村田 子どもの頃は、「普通」という言葉にすっごく苦しめられていたと思います。大人しくて過剰に泣き虫な子どもだったので、幼稚園で「沙耶香ちゃんがまた泣いた」と同級生に言われると、それを聞いて余計泣いてしまったりして。あんまり泣くから、小学校に入るときに幼稚園の先生から連絡がいったみたいで、「あなたが泣き虫の村田さんね」って初対面の担任の先生に言われたのを覚えています(笑)。

だから小学校では絶対泣かないぞと思って頑張ってたんですけど、先生がちょっときつい言い方で他の子を叱っている、みたいな状況があるともう泣きそうになっちゃうんですよね。教室で泣いたら騒ぎになってしまうので、廊下とかトイレで隠れて泣いて。すぐに泣くのは「普通」じゃないと思っていたので、普通の子になりたい、と憧れていた気がします。

周りから「普通の子でいなさい」と言われたようなことがあったのでしょうか?

村田 直接誰かにそういうことを言われたわけではないんですが、強迫観念のように「普通でいなければ」「ちゃんとしていなければ」という気持ちがあったのかもしれないです。私はニュータウンで育ったのですが、同時期に、同じように建てられた家がずらっと並ぶようなところで、そこに住む人たちも大体似たような家庭環境でした。すごくお金持ちの子やすごく貧乏な子もいない、「みんな同じ」といった感じで、「工場」みたいな環境なんです。同級生も、真面目でコミュニケーションをとるのが上手な子が多くて。

そんな中で育ったので、普通に学校を卒業して、普通に大人にならなきゃいけないって思っていた気がします。中学生くらいまでは、その強迫観念がすごく強かったですね。

似たような境遇や性格の子どもが多い中で育つと、その中からはみ出すのが怖くなってしまうのかもしれないですね。村田さんがその強迫観念から逃れられたのは、どうしてですか?

村田 高校生くらいになるとみんなバイトとかし始めて、学校以外の友人ができますよね。学校の外の世界が見えるようになって、少しラクになったんじゃないかな……。

確かに、中学生くらいまでは、学校が世界の全てのように感じていたような気がします。

村田 でも、もっと本当の意味でラクになれたのは、大人になって小説家の友人ができてからかもしれないです。「沙耶香がどんなに変でもそれが沙耶香だし、そこが好きだよ」と受け止めてくれるようになりました。小説を書いているときは「この話変じゃないかな」と考えることは一切ありませんでしたが、プライベートの中でも、どう思われるかを恐れなくて済むようになりました。これには本当に救われましたね。

「普通の人」なんて実はいない、と思う

小説家の友人ができてからラクになった、ということですが、それはいわゆる変わったタイプの方が多かった……ということでしょうか?

村田 確かに、小説を書いてる人は個性的な人がたくさんいますが、どちらかというと、大人になっていろんな人と喋るようになって気づいたのは、一見「普通」に感じる人たちも、じっくり話すとすっごい変なんだなということ。大好きな友人の作家の女性が「人間は可愛い」ってよく言うんですが、本当にそうだなって。一人ひとり違う面があって、そこが可愛い。そのまなざしってすごく素敵だなと思います。人間を好きになり、怖くなくなったのも、ラクになった理由のように思います。

幼馴染に、いわゆる「普通」の人生を送ってきた女の子がいるんですけど、その子、前に一度スタバに入ったら、サンドイッチの中に嫌いなビーンズが入ってたらしいんです。彼女、それで頭にきたみたいで、その日以来ずっとスタバを呪い続けてて。私が「スタバで仕事してるよ」とかLINEしただけで、「私はまだスタバを許してないから」って返事がくるんですよ。

スタバに非はないのに!

村田 そうなんです(笑)。でも、ずっと怒っているのがなんだか愛おしくて。彼女は自分のことを平凡だって言うんですけど、このエピソードを切り取るとすごく変じゃないですか。変で、でもそこが好きだし、って思います。

村田沙耶香さん書籍

そんなお話を聞いていると、本当は「普通の人」なんていないのかもしれない、と思えてきます。

村田 そうかもしれないですね。例えば「日本橋のOL」とか「新橋のサラリーマン」とか、ぱっと思いつくような人物像の枠の中にいる人を見ると、なんとなく安心して「あの人は普通の人」って言ってしまっているだけなのかもしれないですよね。

ある友人が、会社の人間関係の中で恋バナをしなければいけない状況に陥って、「今付き合ってる人がインド人で」と話したら、一気に色物キャラになって、好奇心でいろいろ聞かれて悲しかったそうなんです。恋人が外国人っていうだけで、普通じゃない人みたいに扱われちゃうんだな、とそのとき思って。

でもたぶん、「あの子変だよね」って言っている、いわゆる「普通」側の人にもどこかしら変なところはあるんですよね。そういう部分の話って隠されてしまいがちだけど、仲のいい人がそういう面を取り出して見せてくれるとうれしいはずで……。そういうのを、いわゆる普通って呼ばれる枠組みの中にいる人たちの間でももっと見せ合って、「私たち、普通だけど変だね」って仲良くなれたらいいのになって思うんです。

冷凍保存された無数の「違和感」

村田さんは大人になったことで「普通」の圧力から解放された、とのことですが、周囲から「〜〜すべき」「〜〜するのが普通」といったプレッシャーを感じる機会はまだまだ多いように思います。そういった価値観の押しつけには、どう対処していけばいいと思いますか。

村田 そうですよね。私自身、バイト友達との飲み会とかがあると、「結婚どうなの?」って話によくなります。そういうとき、きちんと真摯に説明したり、ハラスメントだと感じたときにその場で闘ったり怒ったりした方がいいとは思うんですけど……あまりにそういうことが多いので、面倒くさくてつい適当にごまかしてしまってますね。そういう自分が、世界を苦しいまま次世代に明け渡してしまうんだという後悔があります。

たぶん、その場では思考停止して自分を守っていても、自分の中になにかしら思うところはあって、それが小説の主人公からブワーッと出てきているんだと思います。

村田沙耶香さん

『コンビニ人間』、それに最新作の『地球星人』の主人公も、周囲からの圧力に屈して、一度は「普通」の生活を送ろうと奮闘しますよね。

村田 小説の中では、登場人物が勝手に動いてストーリーを進めるという感覚が強いんです。『コンビニ人間』も、社会にうまく溶け込めなかった主人公が思いがけない行動をとってしまいますし……。「このまま終わったら地獄だな」と思いながら書いていたんですが、もしかしたら心の中で「この状況をどうにか乗り越えてほしい」と願っていたのかもしれません。

小説を書く際に、世間への怒りや違和感が原動力になることはありますか?

村田 これまではずっと、「怒り」というのがよく分からなかったんです。いい子でいなければいけない、と思っていた子どもの頃の強迫観念がずっと消えなくて、大人になってからも、負の感情を人に対して抱いてはいけないと思っていて。嫌だなと思った感情を分析していくと、最終的には「人はなぜ人を嫌うのだろう?」みたいな根源的な問いになるので、その頃にはもう怒りじゃなくなってるんですよね。

でも、もしかしたら怒り……というよりも静かな違和感のようなものが自分の中に冷凍保存されていて、書くときにその気持ちを思い出しているのかもしれないな、とこの前気づきました。

静かな違和感、というと?

村田 例えば、私はサラダとかを取り分けるのがすっごい下手で、トマトばっかりのお皿もあれば、葉野菜ばかりのお皿もある……みたいになっちゃうんです。なんならみんな自分でやればいいって思うんですけど、ある飲み会で、「村田さんってサラダ取り分けたこと一切ないよね、そういうことできないと嫁に行けないよ」って言われてシーザーサラダを取り分けさせられたことがあるんです。

地獄のような場ですね……。

村田 やったらやったでそれぞれのお皿のバランスがすごく悪くなっちゃって「下手だね」とか言われて……。そのときは「なんかちょっと違和感があるな」くらいの気持ちで家に帰って寝ていたんですけど、そういう記憶が小説を書くときに解凍されて、小説の中の嫌な場面として登場したりしているのかもしれないですね。そういうものが、自分の中に無数にあるので。

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いまもどこかでシーザーサラダを取り分けさせられている人たちへ

村田さんの中で冷凍保存された「違和感」を反映した小説は、まさに世間でいわれる「普通」や「こうすべき」と悩む方にとって救いとなるような言葉がたくさんあるように思います。

村田 私の小説を読んでくださった若い女の子が、泣きながら書いたっていう手紙を送ってくださったりすることがよくあるんです。私たちの世代がこれまで、古い価値観を人に押しつけられたときに笑ってごまかして逃げてきたせいで、いまも若い女の子が同じ目に遭ってるかもしれない……。それこそ、どこかでシーザーサラダを頑張って取り分けさせられてるかもしれないって思うと、本当に辛いんですよね。私もそういうとき、笑ってごまかしてしまうことがいまだにあるので、よくないなと思っています。

本当は声を上げるべきだと分かっていても、その場の空気を壊したくなくて我慢してしまう、という人はきっと多いですよね。

村田 もっと自由になってほしいって思います。私は誰しもが変だと思っているので、変な趣味や考え方がもっと自由に交わされる世の中になってほしいです。いまはインターネットもあるから、昔よりはたぶん、友人が見つかりやすい時代ですよね。私もTwitterとかInstagramの面白いアカウントとか、よく見ているんです。パイプの写真だけをずっと載せてるアカウントとか……(笑)。そういう自分だけの謎の世界をすぐに公開できて、それを共有する仲間を見つけられるっていうのがSNSはすごくいいなって思います。

確かに、現実のコミュニティに息苦しさを感じている人たちにとって、インターネット上で趣味のつながりを作ることは救いになるかもしれません。

村田 そうですね。変なことに限らず、自分が好きなことって、人生の中の宝物だと思うんです。それに熱中している時間って人生の奇跡みたいな瞬間なんじゃないかと思うので、「普通じゃないからやめろ」みたいな言葉に惑わされる必要はまったくないと思います。

好きなことをしているときの自分を愛してほしいし、私はせめてこれからも小説を書いていくので……。人生って短いから、死ぬときに「いろんな人に従った奴隷みたいな人生だったな」って思うんじゃなくて、「楽しかったな」って思ってほしいです。

村田沙耶香さん

取材・執筆/生湯葉シホ
撮影/関口佳代

お話を伺った人:村田沙耶香さん

著者イメージ

2003年、「授乳」で群像新人文学賞・優秀作を受賞しデビュー。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞、2016年『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。2018年8月には『地球星人』(新潮社)を発表。

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次回の更新は、2019年2月22日(金)の予定です。

編集/はてな編集部