2010年10月6~8日、米携帯電話業界の展示会「CTIA-IT」がサンフランシスコで開催された。私は過去12年の間、年2回開かれる同展示会は皆勤賞だが、今回は見慣れないモノが2・3階ロビーに並んでいた。天井まで届く黄緑色のAndroidの巨大なハリボテ、ではない。そんなものはここでは珍しくもない。

そうではなくて、赤、黄、黒など色とりどりの米フォード・モーターの新車が展示されていたのだ。会場の中央に最大のスペースを取って数台の車を並べ、最終日の基調講演でも同社の幹部がフィーチャーされていた。CTIA-ITではいずれも初めてのことだ。
私は「おお、ここでもか」とは思ったが、意外ではなかった。フォードが私のレーダー上に出現したのはちょうど1年ほど前のこと。昨年秋、愛聴するテック系ポッドキャストの広告に登場したのだが、「超ギーク(技術オタク)しか聴かないこの番組になぜこんなメジャースポンサーが?」と不思議に思った。
そのすぐ後、今年1月にラスベガスで開かれた家電展示会「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)」でも、フォードは話題をさらった。
斬新なダッシュボードのインターフェースを搭載し、音声でツイートでき、アプリケーション・プログラム・インターフェース(API)上で外部アプリを作れるプラットフォーム「SYNC+MyFordTouch」が注目を集めたのだ(その状況は、日経コミュニケーション誌での私のコラム「スマートフォン化する自動車」を参照していただきたい)。
ここしばらく、フォードがテック・ギークの世界に積極的に働きかけていることは、業界では既に旧知の事実なのである。
優先順位が逆転した世界
フォードをはじめとする米国の自動車メーカーのみならず、日欧のメーカーも、以前からCESなどのテック系展示会に出展している。米ゼネラル・モーターズ(GM)の「On-Star」というテレマティクスサービス(自動車向けの情報提供サービス)は、もはや老舗である。
フォードについても、米マイクロソフトの車内ITサービス「SYNC」を提供し始めたのは2007年のことだ。今さら何が珍しいのか、と思われるかもしれない。
だが、これまでとは大きな違いがある。それは、何が中心的な価値で、何がオマケか、という優先順位である。
従来の消費者向けテレマティクスでは「自動車にどんなオマケをつけるか」であったのに対し、この世界では若者のライフスタイルである「携帯・ネット」が中心で、自動車は「数ある端末の一つ」となる、という地位の逆転現象が起こっているのだ。

フォードの世界製品開発グループVP、デリク・キューザック氏はCTIA-ITでの基調講演において、「Car as a wireless device」という言葉で端的に「自動車のスマートフォン化」を表現してみせた。
もちろん、自動車の基本的な価値は、今でも交通手段としての使い勝手だろう。しかしクルマ社会の米国では、一日のうち数時間を否が応でも自動車の中で過ごさざるを得ない人が多い。その時間をいかに快適に過ごせるかという車内での「ライフスタイル」は、ユーザーが自動車を選ぶうえでは重要なファクターである。
そして、スマートフォン化とは、「車の上にネットが乗る」のではなく、「携帯のサービスの端っこに車がつながる」ことにより、ライフスタイル上での「携帯・ネット」と「運転」の順位が逆転した世界、ということになる。
フォードを動かす若者のライフスタイルと開発者争奪戦
さて、こうした優先順位の逆転をフォードが戦略として前面に押し出している背景を少し深読みしてみよう。同社に確かめたわけではないが、ポイントは、「若者のライフスタイル」に対する訴求ではないかと私は思う。
正直なところ、MyFordTouchそのものでフォードの収益が急激に改善するとは到底思えない。従来のテレマティクスも儲からないと自動車各社はいつも頭を悩ませてきたし、このサービスは「最初の3年間無料」というシロモノである。回線部分はユーザーが自分で契約している携帯を持ち込むだけなので、コストはかからないが回線料金も徴収できない。

それでもあえてフォードがこの逆転世界に突っ込むのは、若者にとって、英語でいう「relevant」、すなわち「自分と関連のあるものという意識」の中に自らをきちんと位置づけるため、ではないかと思う。
若者のライフスタイルの象徴は、かつての「自動車」から「ケータイやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」へと移り変わった。言い換えると、カップルや仲間が集まって時間を過ごすためのツールが、クルマという物理的な乗り物からSNSのフェースブックというバーチャルな乗り物に変化したということだ。
米国では自動車がないと生きていけないから、日本ほど露骨な「若者のクルマ離れ」はないが、相対的な重要度は明らかに変化している。だから、自動車もそれに合わせて、ケータイ・SNSの世界に関連を持ってつながっていなければ、「自分と関係のないもの」として忘れ去られてしまう。
かといって、ケータイ・SNSの「中の人」でもなく、またシリコンバレー人でもない自動車人たちが、マネッコして作った「それらしく見える飾りもの」にだまされるほど若いユーザーたちは甘くない。本物を作るためには、本物の「中の人たち」の協力が必要だ。
フォードのムラリーCEOがCESで見せた本気
それを本気でやってもらうために、フォードは自動車中心の世界から外に一歩踏み出して、自動車を「端末」という形で客体化した。
そして、自分たちは車に直接触る部分を担当し、「のりしろ」部分を標準化したAPIとして公開して、ギークたちが種々のアプリを作って載せられるようにした。「ウェブ2.0」時代に入って以来、最近のネットおよびスマートフォン業界では、こうしたやり方が標準的となっている。
CESでのインタビューの中で、フォードCEO(最高経営責任者)のアラン・ムラリー氏は「自分も皆さんと同じギーク」と呼びかけ、服装をからかわれた時には「フォードはrelevantでクールなのだ」と切り返した。CTIA-ITで前出のキューザック氏は「ぜひ、皆さんの協力が必要なのです」と、聴衆である携帯業界人たちに呼びかけた。
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