ブログを書き続けることで育つ文才

「文才」から見えてくるこれからのブログのカタチ - けんけん.com
たとえば文才について – Singer Song iPhone」を読んで。


ブログを書くことと文才(文章を巧みに書く技術)について。


ブログは誰かに頼まれて書くのではなく自分の意思で書くもの


ブログってのは、大昔からwebに何かを書いてきた人達の感覚からすると、形式の一つ(ログを時系列に記録する方式、ある程度まとまった文章量の記事を書く)でしかなくて、書きたい人が自然と個人サイトなりブログなりという形にたどり着いて好きに書いてたって話なんですが。

それは昔からそういう世界に接してる人の感覚であって。



そういう長らくネットに浸かってる人達じゃない一般な人々の感覚だと、こういう捉え方になるんでしょうか。

昔はブログと言えば、芸能人や著名な方など、「すでにある程度の知名度を確立している人」のみの存在でした。 そうでない方がブログを書いたり本を出そうとした場合、足りない知名度を補うために何らかの形で人を呼び込む努力をしなければならなかったのだろうと思います。

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ブログを書くのと、それから本を出すのはちょっと飛躍してるかな?と思ったけれども、web中のあちこちのサイトやブログの記事を一日に数十〜数千読むような人々でも無ければ(数字おかしいだろ?と思う人もいるかもしれないけど、読む人はこれくらい読む。本当に。)、こういう感覚の方が普通ですね。ええ。



ブログってのは、自分が何かを発信したい、伝えたいことがある、そんな気持ちを出す場所として存在しています。ネットという新しい世界における情報発信手段。

だから、ブログを書くってことは、文才とか気にする必要はちっとも無くて、自分が書きたいことを書きたいように書けばいいんです。


なんでそんなにたくさんの数の記事を読むのか?


上で「あちこちのサイトやブログの記事を一日に数十〜数千読むような」って書きましたが、そういう人達がなぜそんなにたくさんの量の記事を読むのか。



それは、ブログのような形で大勢の人が自分の体験や考えを発信することができるようになり、そういう今まで見えなかった人達の体験や考えまで見られるようになったから。



それまでは、新聞や雑誌、書籍などの限られた場所で書かれた文章しか読むことが出来なかったのが、ネットの登場でありとあらゆる人に情報発信できるようになりました。いままでは限られた視点から主張しか見えなかったのが、世の中の多くの人がいろんなことを考えている、いろんな体験をしている、当たり前のように信じられていることが実はこうだった、そんなものが見えてくるようになりました。



大勢の人達の書くブログを通して読みたい、知りたいのは、その人の体験、考えであって、よく出来た文章(=文才によって作られる)ではありません。


矮小化して話をすると、アプリの紹介で読んでて一番面白いのは書いてる本人がそのアプリをもの凄く楽しんでる様子が書かれている記事でしょう。 すっげー面白いからぜひ遊んでみてよ!って事が伝わるのが一番だと思います。 そこはLIVE感がもっとも大事なんであって、高尚な文章力より、楽しんでる様子が伝わるのがすっごく大事だと私は思うのです。

たとえば文才について – Singer Song iPhone

高尚な文章ってのは、文才とかセンスとかそういうものを持った人達によって作られるもので、確かにそういう文章で感心することもあるのですが、普通の人が書くブログでは、その人の考えが、体験が、想いが読みたいんです。


高尚な文章はそういう文章を提供してくれる場、新聞とか書籍とか、そういう場所ではある程度望みますが、ブログでは必須ではありません。


文章を書く技術は上達する

ブログに何が求められているかなんて、まだまだ駆け出しの私にはわかるはずもないのだが、読者としての私がブログに求めているものなら、わりと簡単に答えられる気がする。
1. わかりやすく書くこと
2. 継続すること
3. 書き手が見えること

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ブログを通じて何かを書くことで、自分が書いた文章を読んでくれる人が増えたり、反応してくれる人がいたりすると、やはり嬉しい。そして、もっと読んでもらおう、もっといい記事を書こうと考えます。


そうすると、書き方はやはり気をつけるようになります。引用でも挙げられているように「分かりやすく書く」ように気をつけるようになります。誤字脱字が無いか投稿前にチェックする、書いた後に読みなおしてみて文章としておかしい部分がないか調べて直す、紛らわしい言い回しは使わない、などなど。


文章を書き、投稿する前にチェックし、投稿した後でもおかしい部分があったら適宜直す。


そんな作業を継続しておこなっていれば、次第に文章を書くのはうまくなります。たくさん書くことと、それを常に見直す作業を忘れないこと、これほど文章を書く訓練になることはないですから。



そして、他人の文章、いいなと思える文章もたくさん読む。そうすれば、自分も真似したいと思えるような文章の言い回しを見つけたり、逆に反面教師でこういう文章は分かりにくいんだ、ってのに気づいたり、自分一人で文章を書いているだけでは気づけなかったことに気づけます。



書き手を表すってのは、自分の考えをしっかり文章に含めることで出てくるでしょうし、長らく文章を書いてると、ついつい使ってしまう癖みたいな表現が出てきて、毎度読みに来てくれる人達はそれを見て「ああ、あの人の文章だなー」と実感してくれたりします。


ブログを書き続けることで育つ文才


有名な人達(芸能人とか著名人とか)の文才あふれた文章(もしかしたらゴーストライターがいるのかもしれませんがw)が書かれている場所だけがブログじゃないんです。むしろ、一般の人が自分の考えたこと、体験したこと、想いを自分の文章で書き連ねることこそがブログの真髄。



そして、ブログを書き続けるってのは、文章のトレーニングにもなります。



昔、タッチタイピング(キーボードを見ないで文字を打つ技術)を習得したのは、大量の文章を書く機会があったからってのもありましたけど、同時にリアルタイムチャットしてたからってのもありました。好きなことでたくさん行った作業ってのは、あっという間に身につきます。



ブログを継続して、いろんなことを文章にし書き続けていれば、だんだんと文章を書くのがうまくなる、そう文才と呼ばれる技能が身につくんです。



ブログを書くことで、いろんなことをよりしっかり考える癖がつくし、ネットを通じていろんな人達のいろんな考えと触れ合うことができます。自分が好きなこと、大事だと思ってることについてそうやって世界が広がれば、人生いろいろ楽しくなりますよね。



一旦そういう楽しみ方を知ってしまったらもう、ブログを書くのはやめられません。