経済復興 大震災から立ち上がる 岩田規久男著

3月11日に発生した東日本大震災からの復興をテーマに過去の三大危機である、関東大震災、戦後、阪神・淡路大震災からの復興を振り返りながら、復興に必要な財源問題、広範囲に広がった被災地の新しい街づくり、そして原発問題に端を発するエネルギー政策について、提言をまとめられている。
復興に必要な予算は、2011年度が11兆円程度と試算し、今後4〜5年をかけて復興を成し遂げていくとすると総額で少なくとも40〜50兆円が必要となる。
ならば、この財源をどうするか?
著者は、この財源を日銀による国債の直接引き受けに求めているが、巷では国債の更なる発行は国の借金を増やし財政破綻のリスクを高める、ましてや日銀による国債引き受けなどは禁じ手であり、金利の上昇、通貨の信任を毀損するなどの批判が相次いでいるが、ほんとの所はどうなんだろうか?
著者によれば、3月11日の東日本大震災が発生してから、国債金利は低下傾向にあることに着目し、この理由を人々が一層のデフレを予想するようになったからであり、人々の予想インフレ率が急激に何十パーセントも上昇しない限り、長期国債金利が急騰することはないと。そして、財政破綻を避けるためには、デフレを早期に脱却し、長期的にはインフレ率を2〜3パーセント程度で安定させ、日本経済の名目成長率を先進主要国並の4〜5パーセント程度に引き上げる必要があると、これまでの著者の首尾一貫した主張をこの大震災からの復興にも当てはめられている。
日銀による国債の直接引き受けの効果は、同書に分かり易く書いてあるので、ぜひ読んで理解を深めるのが良いと思う。
なお、この国債の日銀引き受けの成功例として、昭和恐慌時の大蔵大臣の高橋是清がとった経済政策が経済史に残る稀に見る成功例の一つと評価されるべきとし、その高橋財政が示している三点を以下の通りあげている。

国債の日銀引き受けによってデフレ不況から脱却できる。
②インフレ率を二パーセント程度のおだやかな水準に維持することは可能である。
③デフレ不況を克服し、経済が安定起動に乗ったときに、国債の日銀引き受けを中止すれば、高いインフレを回避できる。

もう一つの事例として、戦後のハイパー・インフレーションを取り上げており、当時の石橋湛山のとった財政の評価も行っている。そのハイパー・インフレーションの原因は、戦後のもの不足(原材料不足)による供給能力が大幅に低下している中で、大量の財政資金と復興資金が日銀の債権引き受けや引き出しによって調達され、貨幣供給量の増加に直結し、1945年中の現金通貨増加率は219パーセントに達し、それ以降も1948年まで現金通貨の増加率は60〜150パーセントが続き、その結果、インフレ率は170〜190パーセントに達した。しかし、1947年度の実質成長率は11パーセントを記録しており、実質個人消費も9パーセント増加していることを指摘し、この期間に日本経済は実質的に高度成長期に匹敵する成長を成し遂げたと、石橋財政は妥当な政策であったと評価している。
しかし、この高橋財政と石橋財政のいずれも、日銀の国債引き受けがハイパー・インフレにつながったという誤った認識のもととられている財政金融政策が、いまの日本経済のデフレ不況を引きずっている証であり、今回の復興財源問題での国債引き受けを禁じ手と批判されている所以なんだろう。
同書からこの石橋財政を評価する一文を以下に引用してみる。

石橋が四六年七月の衆議院本会議の演説で、「インフレを抑えるために、緊縮財政を実行せよ」という学者、評論家、財界人の大合唱にひるまず、「戦後の日本の経済で恐れるべきは、むしろインフレではなく生産が止まり、多量の失業者が発生するデフレ傾向である。この際、インフレの懸念ありとて、緊縮財政を行うごときは、肺炎の患者をチフスと誤診し、まちがった治療法を施すに等しく、患者を殺す恐れがある」と述べたことは、妥当であったといえるであろう。

最後に著者は、「おわりに」の章で、今回の原発問題に絡み八田達夫氏が「日本の原発政策の最大の問題は、文民統制ができていないことだ。(以下略)」という発言を取り上げ、「今後は、原子力政策を監視する第三者機関の設置が不可欠である。」とし、「日本には、公共事業などの政府の事業や日本銀行の金融政策などを監視・評価する第三者機関が存在しない。」とも指摘し、以下の一文で本書を締めくくられている。

深刻な原発事故を機会に、原子力政策はもちろんのこと、その他の政府の事業や日本銀行の政策などを監視・評価する、執行機関から真に独立した第三者機関の設置を提言したい。

今回の東日本大震災から被災された方々が早期に普通の生活に復帰されることを切に願う次第です。