神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

田端の天然自笑軒に集う文人(その2)

明治末から戦前にかけて田端に存在した天然自笑軒について色々情報が集まってきた。
まずは、「天然自笑軒引札」*1を書いた森鴎外の日記。

大正7年5月13日 月。驟雨。参館。往天然自笑軒。修賀古啓小祥也。

「賀古啓」は賀古鶴所の妻で、一年前に亡くなっている。その一周忌が自笑軒で開かれたということらしい。自笑軒では、芥川龍之介の死後、河童忌の法要が自笑軒の空襲による焼失まで開催されることになる。

坪内逍遥の日記にも出てくる。

大正7年10月17日 日高只一 来廿日 田端自笑亭小会の件につき来る

    10月18日 日高 明後二十日の会延期

日暮里に住んでいた野上弥生子の日記には、

大正14年9月13日 朝鶴田氏来訪。引きつづいて大嶋氏来訪。お昼に自笑軒に招待する。大島氏法政の借金のことで(彼の義父平尾氏より)わざわざ来て下すつたのである。

この他、『文藝時代』1巻2号(大正13年11月)所収の「同人相互印象記(十月六日田端自笑軒に於ける同人会席上の寄せ書き)」に、名前のあがっているのは、片岡鉄平、南幸夫、川端康成、佐々木茂索、中河与一、酒井真人、加宮貴一、佐佐木味津三、鈴木彦次郎、十一谷義三郎、今東光、諏訪三郎、石浜金作、菅忠雄、横光利一、伊藤貴麿。

(参考)今月2日同月5日同月8日

*1:「蛙鳴く田端の里、市の塵森越しに避けて茶寮営み、輭居のつれづれ洒落半分に思ひ立ちし庖丁いぢり(後略)」という内容。

巨大組織国会図書館に幻滅した長尾真国会図書館長

ミネルヴァ書房シリーズ自伝の長尾真『情報を読む力、学問する心』で、長尾館長が嘆いとる。

情報処理技術に携わって来た私から見ると、たとえばある種のシステムの改良は博士課程の学生であれば、三カ月程度でできると思われるものも、図書館では外部発注をすることになり、そのための仕様書作りから始めて、業者を決めるための公開入札をし、それから作らせるということになり、二年くらいかかってしまうという実態には開いた口がふさがらないと言おうか、全く失望を禁じえない。

安いアウトソーシングを取るか、金はかかるが即時対応のできる職員を抱えるか、どっちが得策か。それはともかく、電子図書館に堪能な館長には、OPACのシステムダウンを起こさないようにしてほしいものである*1

情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)

情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)

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大規模デジタル化に伴う原資料の利用停止で見られない資料が多いようだが、文句は出てないのかしら。まあ、文句を言ってもどうなるものでもないだろうが。

*1:国会図書館ルポは数多くあるが、誰もシステムダウンに言及しない。新館長になってからだけでも、いったい何回システムダウンを起こしているか取材してみろ。