2011.02.08
# 貧困・格差

東大経済学部卒 30年目の「現実」

学生さん、いい会社に入れば 幸せというわけではない
人気企業に入ったものの、生き残ったのはわずか3分の1だった・・・

 一流企業から次々に声がかかり、就職活動はほとんどしなかった。面接に行けばすぐ内定がもらえた。そんな就活を経験した「5人の同級生」は、あれから30年、当初とは想定外の人生を歩んでいた。

ジャーナリスト 鎌田正明

いきなり料亭でお座敷遊び

 東京・日本橋の大手証券会社本社。会社訪問の学生らが大勢集まっていた。ひとりの学生が受け付けをすませると、若い人事部員が近寄って別室に行くよう指示した。彼は無言でうなずくと、まわりの学生らに気がつかれないよう、こっそり列を離れた。

 案内された応接室には人事部長と長身美形の女性社員が待っていた。大学のゼミの話などをきかれたが、コーヒーまで出され、面接にしてはくだけた雰囲気だった。

 人事部長が立ちあがったので、学生が帰ろうとすると、部長は「まだ時間はあるんでしょ」とにこやかな、媚びたようにさえ見える表情をうかべた。とまどっている彼を、女性社員が裏口へと先導した。外へ出ると、黒塗りのハイヤーが待っていた。

 連れて行かれたのは、古めかしい塀に囲まれた民家のような店。後できいたら古くからの花街である柳橋の有名料亭『いな垣』で、かつては国賓のお忍びの接待で使われたこともあるという。

 人事担当の役員に迎えられ、彼はお座敷の上座に座らされた。ウニやアワビに海老真丈、とろけるような牛の炭火焼きと、見たこともない豪華な割烹料理が供され、夢中で食べた。

 程なく、役員は「まあ楽しんで下さい」と言い残して退席。入れ替わりに別室に待機していたきれいどころが現れ、誘われるまま、おひらきさんや金毘羅船々など他愛のないお座敷遊びを楽しんだ。

 夜遅く帰り際にお車代として2万円を渡され、「こんな楽しい面接なら友人たちも呼びたい」と世話役の女性社員に頼んでみた。翌日、彼は再び同じ料亭で、友人ら5人とどんちゃん騒ぎを繰り広げることになった。だが夢のようなもてなしを受けた彼だったが、結局その会社の内定は断ったという。

経済評論家の森永氏

 今から約30年前、1980年に就職した東京大学経済学部生のひとり、経済評論家の森永卓郎氏の「就活」のひとコマである。

 当時も現在も就職に最も有利とされる東大生だが、文系学部のうち法学部生は官庁や法曹界を志望する者が多く、文学部生は企業側が相手にしない。そんな中で経済学部生は手堅い即戦力として民間企業が最もほしがる人材、「就活貴族」だった。

 この頃の東大経済学部には、就職相談窓口が存在しなかった。企業のほうから熱烈にアプローチしてくるため、学生が相談する必要がなかったからである。

 彼らに見向きもされなかった大企業は多いが、人事担当者はそれでも彼らのリクルートに執着した。何もそこまで必死にならなくても・・・と思うようなエピソードが多々残っている。

 三菱石油の人事部長がキャンパスを訪れ、「何とかひとり、どうかご紹介いただきたい」と、経済学部の若い職員に頭を下げて頼んだ。彼はたまたま手近にいた学生に「ねえ君、可哀想だから行ってあげない?」と声をかけたら、その学生はぷいと逃げて行った。

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