朝日新聞社説 65回目の終戦記念日―「昭和システム」との決別 : asahi.com(朝日新聞社):社説

 一読、馬鹿みたいと思った。まあ、そう思っても言うのは控えるべきだが、まあ。

 「敗戦忌昭和八十五年夏」(7月26日 朝日俳壇)。戦後65年にあたって考えるべきは、戦争を二度と繰り返さないという原点の確認とともに、「戦後」を問い直すことではないだろうか。それは「昭和システムとの決別」かもしれない。

 終戦記念日がまさに昭和の幻想そのものだし、戦後なんてものは日本にしかなかった。諸処戦争は続いていた。新たに起きた。
 日本人が戦争で得たものは何だったか。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。(中略)
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 その誓いを裏切ってきたのが日本の「戦後」ですよ。
 ローレンス・クシュナー(参照)の。

 明らかにユダヤ人は、ホロコーストによって、狂気に駆られた技術主義国家の強大な力の犠牲になることの意味について、恐ろしい教訓を得ました。しかし、現在同じ状況で苦しんでいる他の人びとをどのように助けるかを忘れてしまったように思われます。そのことを問題にしたい。
 以前所属していた教会で、「大量虐殺に反対するユダヤ人」をスローガンに掲げるグループを作るのに私は手を貸しましたが、そのグループの名前は「われわれでなければ、誰が?」でした。そのようなやり方で、私はホロコーストの記憶に応えようと思います。私はガス室の写真を見たいとは思いません。ですが、大量虐殺が現在行われているルワンダやその他の地域の写真は、関心をもって見ています。私はそのことをひとりのユダヤ人としては心の底から知っています。ですから、そのことが私なりの社会的責任を負わせているのです。そのことは忘れたくありません。

 この数年、ブログを書きながら、折に触れ、ダルフール危機を見つめ「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」の意味を考え続けましたよ。