最近の若者論の二類型

 本当に雑談だが、ネットの世界は所詮、新卒市場には冷たいし(どうひいき目にみても普段から精力的に書きこんでるのは既卒者w)、ましてや無名校(日本の多数だが)の学生の現状へのシンパシーも関心もほとんどない。それは残念なのでぜひ少しは無名だけど大多数の世界に目をむけてほしい。

 最近の若者の窮状(就職難など)を扱う評論の大きい流れは、1)その窮状は若者本人が積極的に選択した(例 嫌消費など)、2)その窮状は積極的ではないが自業自得である(例 若者なんたらという黄色新書など)というのに大別されている

  https://hclab.jp/opinion/interview/13.php

 このインタビューは僕の前が本田由紀氏だったが彼女の提言をかなり意識(つまり批判するという意味で)して話したが、インタビューでも何気にその雰囲気は残存している。上に書いた論点について簡単に話している。

 簡単にいうと現在の無名校というか大学生の大多数の窮状(就職難に代表)の決定的な原因は、年取った大人側の責任だ、ということ。

中山智香子『経済戦争の理論』

御本頂戴しました。ありがとうございます。正直、何が書かれているか十分に理解できませんでした。すみません。

経済戦争の理論―大戦間期ウィーンとゲーム理論

経済戦争の理論―大戦間期ウィーンとゲーム理論

日本の“第一線”の経済学者のありよう

http://twitter.com/iwmtyss

岩本康志のインフレ目標をネタにした寄席をみて、本当にこんな揶揄ではなく、公に批判したり、自分の主張(流動性デフレの罠では金利上げも選択肢としてありなど)として提言すればいいと思う。勝間さんがどうだこうだと陰湿な揶揄を流布するのはみっともないと思う

片岡剛士『日本の「失われた20年」 デフレを超える経済政策に向けて』紹介文

 第四回河上肇賞本賞受賞作をもとに全面改稿した大作の刊行が来週に控えている。直近の事態を実証・理論両面からきちんと分析した本格的なマクロ経済論の登場であり期待が高まる。

 予約の頁はこちら

 というわけで今回は著者が小冊子「機」に書かれた自著についての紹介文の一部を以下に引用する。

 「疑問」に答えるためには、一九九〇年代の長期停滞はなぜ生じ、二〇〇二年以降の景気回復がどのような経緯を辿って生じたのかを明らかにする必要がある。そして統計資料を観察すると、二〇〇二年以降も一九九〇年代の長期停滞を克服できなかった現実が明らかになる。つまり、長期停滞は未だ終わっておらず、日経平均株価が最高値を付けた一九八九年一二月末から数えて二〇年が経過した日本経済は「失われた二〇年」を経験したと言えるのである。

■日本の経済政策の「失われた二〇年」
 「失われた二〇年」に終始一貫して影響を及ぼしているものは何か。それは物価上昇率の停滞であり、一九九〇年代後半以降生じているデフレである。デフレは消費や投資といった内需の停滞につながり、雇用環境を悪化させ、更に為替を通じて輸出にも影響する。デフレが持続しているのは、一九九〇年代後半以降の日本の経済政策がデフレ脱却に失敗しているためである。確かに二〇〇一年に日本銀行量的緩和政策を導入し、二〇〇三年から二〇〇四年にかけて財務省が行った円売りドル買い介入が基点となって、日本経済は回復へと転じた。しかしこれは、デフレからの完全回復を伴っておらず、先に述べた「実感の無い」景気回復をもたらして現在の深刻な不況へとつながっていく。そしていまだ日本の経済政策はデフレの払拭に正面から取り組んでいない。
 一方、世界金融危機震源地であった米国は、日本の失敗の経験を生かして急速かつ深刻な信用危機を沈静化し、将来デフレが続くとの予想を払拭して、資産価格の回復や実体経済の回復という形で着実に景気回復への道を歩んでいる。紆余曲折はあるだろうが、米国が日本と同じ道を辿る可能性は低い。新たな一〇年の始まりを迎えた段階において日本経済に求められているのは、デフレを超える経済政策を策定し、実行することに尽きるのではないか。
 眼前に広がっているように見える「陰鬱な未来」を払拭するには、経済政策の「失われた二〇年」から脱却することが必要なのである。

渋滞、投資、バブル

 ちょっとした依頼で渋滞について経済学ぽく考えた(ぽい、に強調)。特に高速道の渋滞。日常的にも利用しているので経験値は豊富であるw。以前、柳川範之氏らの『経済の考え方がわかる本』(岩波書店)で、やはり渋滞の高速道路の話題がでてきて、どの道を走るのが最適か、ということが説明されていた。「裁定の法則」が利用されていて、空いている車線があったとしても、その空いている方にどんどん車がいくことで、結局、どの車線を走ってもみな同じくらい渋滞してしまう、ということが書いてあったと記憶している(あとで要確認)。

経済の考え方がわかる本 (岩波ジュニア新書)

経済の考え方がわかる本 (岩波ジュニア新書)

 この柳川氏らの説明は、渋滞を投資機会のアナロジーで説明していて興味深い。同様な分析を確か米国のどこかの入門書でも読んだ(なんでかは忘れたのでご存じの人は教えてほしい)。ネットでは安田洋祐氏が同様な指摘をしているのを読んだ。柳川氏らの本で書かれている分析を僕なりに勝手に解釈すると、投資機会というのは事実上、空間の選択の余地に等しいだろう。

 高速道を走っていて渋滞しいているときに気がつく現象というのは、1)三車線の場合は真ん中の走行車線が「わりと」スムーズ、2)空いている車線だけ狙って針路変更をそのたびに繰り返しているよりも、長期的に同じ車線を走っていた方がスムーズ、3)がちがちの渋滞に陥るときは例外として、ほどほどの混雑のときはできるだけ車間距離をあけて速度を抑えめで走るのが運転が楽 4)渋滞表示が出て、その表示の内容が「この先、渋滞1キロ」とあった場合、まだそれほどの渋滞ではないと思いあわてて渋滞個所に殺到すると渋滞がなぜか激化している 5)平日の渋滞はその渋滞の発生個所とその渋滞表示の確認地点との距離によっては4)とは逆にのんびり渋滞地点に至ると渋滞がなぜか解消していることが多いetc

 1)は真ん中の車線を走るということは追い抜き車線と路肩側の車線の両方に空間選択の機会があること、3)はそれを同一車線のときに前後の車間距離という空間選択の機会に置き換えたことにほぼ等しい、1)と3)はいわば空間を利用した分散投資で渋滞をできるだけ回避しようとしていることになるだろう。例えば3)のような走行は渋滞回避の手法として『渋滞学』の著者西成活裕氏も推奨している。

渋滞学 (新潮選書)

渋滞学 (新潮選書)

 2)は柳川氏らの本そのままともいえる「裁定の法則」のアナロジーである。また短期的な投資スタンスよりも長期的な投資スタンスが渋滞回避にかなっているとも表現できるだろう。

 4)はいわば「バブル」(バブル崩壊?)的な現象を示しているかもしれない。人々は「渋滞1キロ」という表示をみて、いまから急げばまだそれほど渋滞しないうちに渋滞個所を抜け出すことができる、と予測する。そしてその予測にしたがって渋滞個所に向かってスピードをあげる。ところが同じような予測を多くのドライバーがしてしまうことで、渋滞個所に着くころには渋滞は激化してしまう。

 例えば高速道の渋滞に「ファンダメンタルな価値」があったとしよう。これは(渋滞表示を確認した)地点からその渋滞個所に到達する予測時間のときに実現されているだろう渋滞の度合い(の現在価値)を意味しているとしよう。

 4)のケースでは、渋滞の「ファンダメンタルな価値」よりも低い価格が継続することをドライバーが予測しているケースとして考えられるのではないか。渋滞個所に急げば急ぐほど低い価格(渋滞価格w)で手に入ると期待してどんどん投資をエスカレート(急いでアクセルをふかす)していく。多くのドライバーがそのように考えてしまうと渋滞価格のバブルが膨張していく*1。そして渋滞個所につくころにはその渋滞バブルはピークを迎えていて、まさにバブルは崩壊してしまう(激しい現実の渋滞にまきこまれる)。これは一種の合理的投機バブルに似た現象かもしれない 5)はいわばそういった「バブル」回避方法であろう。西成氏も類似した渋滞回避方法を推奨している。

 まあ、そんなことを思ったが、みなさんはどう考えるだろうか?

*1:日本語で「膨張」と書くと渋滞価格が上昇していくようなイメージだが、ここでは本文のようにファンダメンタルな価値から価格が低めにどんどんすすむことをもって「膨張」と表現していることに注意されたい