レスター伯の限界

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日常系としての新しさと古典性/ノスタルジー ー日常系としての『日常』の新しさー

いずみのさん(id:izumino)が日常系と『日常』に関するエントリで、

うちのこないだの『日常』レビューを取り上げてくれました。

参考:『日常』から「日常系」という存在を捉えてみるーピアノ・ファイア

詳しくは記事を読んでもらえたらと思うのですが、

ギャグ漫画がベースにあったうえでの日常系という見解には大筋で賛成します。


その一方で、『日常』を日常系の系譜の中での位置づけに関しては、

一筋縄では行かない部分があると思うのです。

◇「らき☆すた」「けいおん!」 の“系譜”も健在

 一方、「らき☆すた」や「けいおん!」シリーズのヒットを受け、平凡な日々を掘り下げるタイプのアニメ「ほのぼの系」が依然として人気だ。この“系譜”を受け継ぐのが、「日常」テレビ愛知などUHF局)だ。「らき☆すた」や「けいおん!」を手がけた京都アニメーションの制作で、ほのぼのとした女子高生の日常を描くという設定も同じ
11年春アニメ : 見直されるオリジナル作品 見えないストーリーがファンを魅了ーMANTANWEB

果たして、『日常』は『らき☆すた』や『けいおん!』の系譜の中にストレートに位置づけられるのか?


そこで今回は日常系を代表する漫画『よつばと!と比較しながら、

『日常』の作品構造の特徴を示したいと思います。

その上で、SF/ファンタジーと日常系の関係

そしてノスタルジーと日常系という問題に関しても考察してみます。

日常 1 (角川コミックス・エース 181-1)

日常 1 (角川コミックス・エース 181-1)


1.『よつばと!』における時間的連続性と『日常』

いずみのさんが記事の中で指摘しているように、

『日常』がギャグ漫画として『あずまんが大王』→『苺ましまろ』の系譜を引いていることは明らかでしょう。

あずまんが大王1年生 (少年サンデーコミックススペシャル)

あずまんが大王1年生 (少年サンデーコミックススペシャル)

苺ましまろ(1) (電撃コミックス)

苺ましまろ(1) (電撃コミックス)


その一方であらゐけいいちは、

あずまんが」から「よつばと!」へと移行するあずまきよひこの変化を

最も敏感に感じ取ったフォロワーの一人でもあると思います。

よつばと! (1) (電撃コミックス)

よつばと! (1) (電撃コミックス)


よつばと!』はよつばの行動を通じて、
「一見大事がない世界を、(よつばにとっては)大事として描く」作品だと思います。

その際に、あずまきよひこは実際の風景を参照にしながら空間を丁寧に描くとともに、

時間の流れもゆったりと、そしてエピソードごとの時間的連続性を意識しながら描くことで、

読者が属する日常とよつばの日常がリンクしているように感じさせる作品作りをしています。


つまり、『あずまんが』から『よつばと!』へと移行する中で、

作品世界の空間性と時間性の描写をより現実へと近づけることで、

個人的に日常性を感じるという意味では、

空間描写の深化よりも時間的連続性の方が重要だと思っていて、

4コマから通常のコマ割り漫画へと移行するのは必然だったのではないでしょうか。

また時間的連続性の担保による日常性の深化という点に関しては、

4コマ漫画のアニメ化(特に『けいおん!!』)も同様の効果を持っている気がします。


そして、レビューでも書いたようにこの時間的連続性というのは、

『日常』の日常性を支える最大の要素です。

あらゐけいいち時間の流れを意識して作品世界を構築する事で、

天丼や伏線の回収によるギャグの強化を押し進めるとともに、

不条理ギャグ漫画でありながら地に足のついた作品に仕上げていると言えるでしょう。

*この点を考えると、アニメ版『日常』に置いてはエピソードの順序が組み替えられているので、

京アニがどのように処理してくれるか期待して見て行きたいところです。

今のところは背景の描き込みと小ネタの配置というこれまでのパターン(特に「けいおん!」)に近いかなと。

2.空間のリアリティ(地続き感)ー『よつばと!』と『日常』のベクトルの違い

1で書いたように、時間的連続性という意味で両作品は日常系の要素を備えている一方で、

空間的な描写に関しては根本的な違いがある気がします。


あずまきよひこは現実の風景を参照にして、

よつばと!』の世界を写実的に描写していきます*1

つまり、作品世界の空間と読者が存在する現実世界の空間の地続き感が、

細やかに描き込まれた背景描写によって担保されている訳です。

*こうしたリアルな背景描写は日常系の作品がアニメ化される際に顕著にみられ

けいおん!』のリアルな京都北白川の風景がその代表といえるでしょう*2


その上で、『よつばと!』においては、

よつばという特異点のキャラの視点を通して、

現実と地続きだった作品世界の日常が、

大事として描かれて行くというベクトルを持っています。

要するに、日常的(写実的)な空間において、

キャラクターが日常的な出来事を非日常的(祝祭的)に体験をすること

このカタルシスが『よつばと!』の魅力の根本にはあります


*またこうしたベクトルを考えると、日常系作品のキャラに対する、

「いや、現実にはこういうやつはいねえよ」って突っ込みは正しい一方で、

属性を強調された(記号化した)キャラクターを日常的な空間に配置することで、

日常と非日常のギャップを感じさせる事が、

日常系の作品の肝と言えるのではないでしょうか*3



このように『よつばと!』の空間描写(背景描写)がリアリティ重視(現実との地続きの強調)であるのに対して、

『日常』の日常的時空間はネタ元へのつながりを保ちつつも、

デフォルメされて(デフォルメしてるとわかるように)描かれるため、

あくまでも、日常の世界は現実の世界とはつながってないように感じられます(作られた非日常性)


『日常』の世界は群馬がベースになっているとはいえ*4

例えば赤ベコやこけしなどのモチーフの使い方は記号的で、

非日常性を示すために使われているといえるでしょう。


無茶苦茶で不条理なギャグや動きが作品の面白さの格である『日常』においては、

作品世界の空間は現実と切り離されている事を強調する側面があって、

そうした「非日常」な空間を構築した上で

「日常的なあるある感」も感じさせるという作りになっています。


また『日常』の場合には、

馬鹿馬鹿しさが許容される高校という閉鎖空間で基本的に話が展開するので、

無茶苦茶さや不条理さが「非日常性」(社会人からみたら非日常)と

「日常性」(高校生には共感)の両方を担保するという構造もあります。



まとめると、『よつばと!』も『日常』も、

一見何でもない世界(日常)には、こんなにも面白さ(非日常)が満ちている

と描写する事が目的である点で共通している一方で、

その面白さ(非日常性)を魅せるベクトルが実は正反対になっているのです*5


3.『日常』のノスタルジーとファンタジー/SF的ベクトル

このベクトル違いを日常系以前の作品系統の文脈と照らし合わせて考えると、

古典的なギャグ漫画のテイストを持つ『日常』は日常系でありながら、

ファンタジー/SF的なベクトルを持つ作品だといえるのではないでしょうか。



ファンタジーやSFというのは、現実社会とは違った法則で動く世界において展開される物語です。

そうでありながら、出来の良いファンタジー/SFはリアリティ(説得力)をもち、

翻って読者の属している現実社会のあり方に影響力を及ぼすというベクトルを持っていると言えるでしょう。

つまり現実社会をそのまま描くことを放棄する事で、

逆に現実社会(や人間)の美しさや儚さや醜さを浮き彫りにすることが可能になる訳です*6

こうした「非現実→現実」というファンタジー/SFのベクトルと、

「非日常→日常」という『日常』のベクトルは親和性があると言えないでしょうか。

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)


また、『日常』の特殊性を考える時に重要なのは、

ノスタルジーを喚起する作品である点です。


基本的に日常系の作品といえばその性質上、現代が舞台に設定される事が多いですし、

らき☆すた』のように時事ネタを交える事もしばしばです。

このように、通常日常系の作品は読者と作品世界の時代的なリンクをはかるわけですが、

『日常』は時事ネタを全くと言っていいほど使わない一方で

明らかに今よりも少し古い時代を思わせる描写を織り込みます*7


こうしたノスタルジーの効果として、

時間的には現在との隔絶を感じさせつつ、空間的にはリアリティを持たせることが可能で、

「かつてあった日常」という特殊な日常性を浮上させる事ができるのです。


こうしたベクトルはゼロ年代にも『かみちゅ』などに先例を求める事ができます。

かみちゅ』は中学生が神様になるというファンタジー色が強い物語である一方で、

尾道を参照にした背景のリアルな描き込みによって、

時代を超えた日常性を感じられる作品です。

そして『かみちゅ』と同様に、『日常』も小ネタやギャグに対するリアクションなどに、

ノスタルジーを感じると同時に、

不条理な非日常な作品空間に日常性を垣間みるという構造になっているのです。

かみちゅ! Blu-ray BOX

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追記:アニメ版『日常』に関しては1でも書いたように、

京アニらしい実写的な空間の描きコミによって日常系の土台を確保しようと試みていると同時に、

よく見るとカセットとか古さを思わせるアイテムがきちんと配置されています。

特に、博士パートは東雲研究所自体が70/80年代アニメ的な空間に近くて、

ドラえもんを見てるときと似たような心理を抱かせる効果があって、

ここらへんも通常の日常系とは違うなあ(「博士」自体がSF的ですし)と感じさせる部分です。

参考:『日常』のこの辺の背景ってすごいよなぁ・・・流石京アニー『やらおん』


このようにノスタルジーというフィルターを通すことで作品世界を構築することは、

作品世界と読者の属する現実世界の時間的な距離を担保した上で

「リアリティを感じさせる(日常)空間、ドラマ、物語」を描くという事につながります。

そしてノスタルジーのもつ時間的「非日常性」と空間的「日常性」の両側面が、

ファンタジー/SF的なベクトルを持つ『日常』を、

特異な日常系作品という立ち位置に押しとどめる役割を果たしているのではないでしょうか。


*個人的にはアマガミSSにおけるドラマの作り方も、

こうしたノスタルジーの効果を上手に利用していると思っていて、

橘さんやヒロイン達の変態性が飛び抜けているにも関わらず

高校生の恋愛の甘酸っぱさを妙に生々しく感じられるのは、

アマガミが携帯のない90年代的な世界において展開される物語だからでしょう。


まとめ

簡単に本エントリにおいて言いたかった事をまとめると

『日常』は日常系でありながら「非日常→日常」というベクトルを持っているということで、

そこには日常系としての新しさと同時に、

ファンタジー/SFに通じる古典性が併存しており、

その両者をつなぐのがノスタルジーだという事です。

こうした構造的な特徴が、原点回帰的なギャグ漫画へのこだわりと合わさる事で、

『日常』をひと味違う日常系作品足らしめているのです。


ここでまとめた構造はあくまでも構造にすぎず、

いくら設計図が優れていようが、作家の技量が伴わなければ作品という家はハリボテ同然でしょう。

しかし、『日常』という作品は、

ギャグ漫画としての確かなクオリティに支えられています。

作家(あらゐけいいち京アニ)の技量と巧みな構造の両者が揃っているからこそ、

『日常』は時代を超えて楽しまれる

普遍的な面白さを持った日常系の傑作になりうる可能性を秘めているのです。

追記

すっかり言及するのを忘れてましたが、

手法こそ違えど、同じような面白さをもつ作品として、

ルーツの『するめいか』もあげれると思います。

『日常』を見て面白いと思った人はあわせてみて見るといいと思います。

するめいか 1 (バーズコミックス)

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蛇足

消費社会の成れの果てとも言える21世紀の日本社会は、

消費行為が日常化し、機械的に消費が行われるようになる事で、

読書する事(本を消費する事)それ自体が目的化する傾向にあるといえます。

そうなると、読書による「日常性からの解放」という、

「かつて読書が果たしていた役割=目的」が後退するのはやむを得ないでしょう*8


そうした環境的な変化がおこると、

ファンタジー/SFといった古典的な非日常性を強く帯びた物語を体験する文法自体が衰退し*9

文法よりもリアリティ(現実との地続き感)によって面白さを感じる事ができる

「日常系」が幅を利かせるのは自然な流れだといえると思います。

そうした状況だからこそ、日常系的な新しさとファンタジー/SF的な古典性が共存する『日常』は、

読書という行為の『非日常性=祝祭性』を、

(アラサー以上の世代に)思い出させてくれる/(それより下の世代には)教えてくれる作品だといえるのではないでしょうか。

レジャーの誕生 〈新版〉 (上)

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読むことの歴史―ヨーロッパ読書史

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*1:作者ゆかりの加古川あたりの風景と関東の風景がミックスされているらしいですが

*2:この3月まであの周辺に住んでましたが、感動的な再現度ですよ

*3:時空間もキャラクターも全部リアルだとドキュメンタリー的になっちゃいますし

*4:『日常』のキャラクターの名字は群馬の地名からとられていたり

*5:この違いは先駆者として先に行く(ギャグ漫画としても、日常系漫画としても)あずまきよひこと、そのフォロワーとしてのあらゐけいいちの違いもあるんでしょうか

*6:英伝なんかはその代表例でしょう

*7:ナタデココ」やドラゴンスクリューとか

*8:そもそも、労働(日常)と余暇(非日常)という産業革命以降の近代的な区分け自体が徐々に意味を失いつつありますし

*9:そういう意味ではファンタジー色の強いキッズアニメや、ジャンプ漫画は貴重といえる